◆第163話◆ 『ク―――ズ』
庵は診察前の待合室に座る朝比奈を見つけ、声をかけていた。だが朝比奈はピクリとも反応してくれず、庵が隣に座っても顔を俯かせたままだった。
「――えっと、とりあえず今日はありがとな、朝比奈」
「別に。私は特に感謝されるようなことしてないから」
「いや、お前が居てくれなかったら俺は立ち直れなかったし、星宮も助けれなかった。朝比奈が俺に活を入れてくれたんだよ。本当に、感謝してる」
感謝の言葉を伝えに来たのだが、改めて落ち着いたときに二人きりになると、少し気まずい。いや、だいぶ気まずかった。元は、星宮のいじめ関連で知り合った犬猿の仲なので、こうして二人きりなれば気まずくなるのは当たり前といえば当たり前なのだが。
「......まぁ、いろいろあったけど、なんとかなってよかったな」
「それはそうね。正直、なんとかなるとは思わなかったわ」
何度も会話が途切れながらも、ぽつぽつと言葉を交わしていく。
今こうして、心から落ち着けて椅子に腰を下ろせるのは、星宮救出のために戦ってくれた、みんなの沢山の努力があってこそだ。それは勿論、朝比奈も例外ではない。思い返してみれば、本当に激動の日だった。
「ほんと、酷い目に遭ったけどね」
「......」
暗い顔でそう溢した朝比奈の体はボロボロで、全体的に包帯まみれの状態。歯も何本か折れてしまったらしく、彼女が受けた代償――”北条を裏切った代償”は想像以上に大きいものだった。励まそうにも、どう励ましていいかすら分からない。
「ちょっと聞きたいんだけどさ、朝比奈はなんで北条を――」
「ごめん。やっぱり今は一人にさせて。今は誰とも話したくない」
「あ......」
「特に、あんたとは」
感情の無い冷え切った声音で、会話を拒絶されてしまった庵。まだ診察の途中なのに話しかけるのはまずかったかと反省し、内心であたふたとしてしまう。
ところが、朝比奈は突然顔を上げ、スマホを操作すると、その画面を庵に突き出してきた。
「これ、私のLINE」
「え」
「今は話したくないけど、あんたには話さないといけないことがあるから。......だから、またそのとき連絡する」
***
――その後、病院内を歩いていると、庵は北条と出くわした。
「北条......っ」
「おー天馬。数時間ぶりだな」
のらりくらりとした様子で、まるで今までの記憶が無くなったかのように、”素”の状態で話してくる北条。彼の体にも至る箇所に包帯が巻きつけられていて、それなりの怪我を負っていたことが察せられた。
今日のことがあったばっかりなので、庵は無意識の内に北条を警戒してしまう。
「そんな警戒しなくても、別にもう何もしねーよ。というか、この状態じゃ何もできねーな」
「......なんでお前が病院内ほっつき回ってんだよ」
「あ? あぁ、いやちょっとしたトイレ休憩だよ。さっきからずっと警察の取り調べが続いててな。いい加減うんざりしてきたところだ。あー、超うぜー」
どうやら脱走してきたわけではなく、休憩がてらに病院内を歩き回っているらしい。星宮と鉢合わせになったらきっと星宮は怖がるので、正直あまり動いてほしくない。どうせ言ったところで聞かないだろうが。
「言っとくけどな北条。俺はお前なんかに微塵も同情しないからな。過去に星宮と何があったとしても、お前が星宮にしたことは絶対に許されないことだ」
「あー、その話星宮から聞いたのか。ったく、あんま広まってほしくないんだけどなぁ」
庵の口ぶりから察した北条が、ぽりぽりと面倒くさそうに後頭部を搔く
「正直、俺はお前みたいなクズ野郎は死ねばいいと思う。冗談抜きで」
「言うねぇ。主人公気取りの天馬くん。俺にたまたま勝てたからって、少し調子乗っちゃったか」
「お前っ、少しは反省の色見せろよっ!!」
庵は真面目に北条と言葉を交わそうとするが、北条はそれを嘲笑うかのように鼻で笑い、一蹴する。笑い声は次第に大きくなり、ケラケラと乾いた声を響かせ、涙を拭いながら庵に視線を合わせた。
「反省? 笑わせんなよ天馬」
「は?」
「お前にいいことを教えてやるよ」
その言葉に、庵の背筋が凍りつく。北条は硬直する庵の肩に手を置き、わざわざ耳元で”最悪”を口にした。
「――俺は、今回の件を微塵も反省してないし、するつもりもない。今でも、星宮をもっと苦しめてやりたいと思ってる」
一切の澱みを感じられない、まさしく純粋な悪意が耳元に囁かれ、庵は目を見開いた。咄嗟に北条の手を振り払って、胸あたりを押して突き飛ばし、距離を取る。そして力強く睨みつけた。
「お前、このクズ野郎......っ!」
「あ? なにがクズ野郎だ。お前は俺と星宮の関係を鼻くそ程度しか知らん部外者のくせによ。たまたま星宮と接点を持てたパッと出のダメ人間が調子乗ってんじゃねぇぞ」
「何がダメ人間だよっ! 俺は、お前なんかと違って、星宮のために――」
「運動もできない。顔もブサイク。体格もひょろい。声にハリは無いし、何も取り柄がない。大切な彼女がピンチなのにも関わらず、お前はそれに気づかずのうのうと生きて、やっと助けたと思えば彼女は既に怪我まみれ。それに、お前一人の力じゃ今回の件はどうしようもなかったよな」
「っ!」
「あれ、違ったか? 天馬。今の話は全部、客観的に見たお前の話だぞ」
咄嗟に何か言い返そうと思って、上半身だけが前のめりになった。でも、声は出ない。すんでのところで、脳がこれ以上反論してはいけないと悟ったのだ。
今北条が口にしたことは事実だし、それも一部に過ぎない。握りしめた拳に爪が深く突き刺さるくらいには悔しいが、ここで反論すれば相手の思うつぼでしかないだろう。
「まぁ100歩譲って俺がクズだとしても、それなら星宮は相当のクズになるな。あとお前も」
「......クズは、お前一人で十分だ」
「何言ってんだよ。3人仲良くクズ名乗ろうぜ。ク―――――――――ズ。あ、でも星宮と一緒なのは気持ち悪ぃから、やっぱ俺はクズじゃなくてゴミとかにしとくわ」
「っ。んな話、どうでもいいんだよ!」
ケラケラと嗤いながら何も笑えない発言を繰り返す北条、耐えられなくなった庵が声を荒げるも、北条の表情は変わらない。
だから、庵は込み上げる怒りを飲み込んで、肩を落とした。その態度の変化に、北条が少し目を細める。
「――頼むから、もう星宮に近づくな。......もう、いいだろ」
「何が、もういいんだよ」
「分かるだろ、お前の、星宮への復讐だよ。あれだけ星宮傷つけて、いい加減もう気が済んだだろ」
「いや済んでねぇな。だってあいつまだ生きてるし」
「......」
庵はここまできてようやく理解した。この怪物――北条とは絶対に分かりあえる時は絶対にこないと。お互いの落とし所すら見つけられないと。これ以上の会話は無意味で無価値なものにしかならないのだと。
――別れの挨拶もなしに、庵は顔を俯かせたまま、無言で北条の横を通り過ぎた。
「はっ。背中丸めて歩くなよ。だせぇぞ」
「――」
もう北条の言葉は聞きたくない。聞くだけで吐き気がこみ上げてきそうだ。
「最後に一つだけ言っとくけど、結果的にはお前らの勝ちかもしれんけどな。全体的にみればどう考えても俺の勝ちだ。あんま浮かれんなよ、天馬」
「――」
「あーぁ、豚箱ぶちこまれる前に星宮とヤっときたかったなぁ」
そして庵は意味もなく病院内を駆け出した。常識とかモラルなんてものは頭から抜けて、今はこの気持ち悪い感情をどうにか発散させてしまいたい。歯を食いしばりながら、何度も人とぶつかりそうになって、涙を溢しそうになって、本当に星宮がかわいそうに思えて――、
「クソ、がぁっ!」
行き場のない思いを拳に乗せて、惨めに病院の壁を叩く。あんな最悪の男にずっと星宮が苦しめられていたのだと思うと、どうしてもっと早く助けてやれなかったのだと考え、胸が潰れそうになった。
次回で中和します。




