◆第160話◆ 『幕引き』
――ナイフを首に突き立て、自殺を図った北条。
電車に轢かれ、星宮ごと死んでしまう最悪の展開を回避したのも束の間。誰もが気が緩みかけていた瞬間、唯一北条の異変に気づいていたのは星宮だけだった。
「離せよ......星宮っ!」
「......っ」
北条の腕を掴み、首の血管を切り裂こうとする北条の手を止める。それは間一髪の出来事だった。
「星宮っ」
「琥珀ちゃん!」
遅れて、庵と愛利も星宮の行動の意味に気がつく。直ぐ様星宮のフォローに回ろうとするが、星宮の必死な視線を見て、庵は何故か躊躇ってしまった。躊躇った理由は庵自身もうまく説明はできない。ただ、今は変に手を出すよりも、星宮に任せるべきな気がして――、
「何、逃げようとしているんですか」
「は?」
腕を掴みながら、星宮が低い声で北条に語りかける。その言葉に、北条は目を見開いた。死ぬことを、逃げると思われている。そう捉えられる発言だったからだ。
――でも、実際は違った。
「――私、まだあなたに謝れてないです」
「――」
「全部、あなたが悪いわけじゃない。私も幼稚園の頃の記憶は、まだあります」
謝りたい、そんな今更すぎる発言に、北条は心の底から冷たい笑みを浮かべた。今になって謝罪が聞けたところでもう何も救われない。とっくの昔に賽は投げられているのだ。
「庵!」
「星宮!」
「星宮さん!」
遅れて、朝比奈、暁、みのりもこの場に合流する。そして、この場に居る誰もが、ナイフで自殺を図ろうとする北条を見て、異質なものを見る視線を向けた。沢山の視線を受けて、北条はまた嗤う。
「――あぁ、またこれか」
ずっと、変わり者だとバカにされてきた。それが嫌で、見返してやりたくて、体を鍛えて、勉強もして、処世術も学んで――普通以上のものを、理想を越えた理想を手に入れた。でもそれは幻想で、最初から何も変わっていなかったのかもしれない。その証拠が、今この状況にあるだろう。
結局、北条は――エメラルドという捨てた自分から根本的な部分を何も変えれなかった。
『なんで、みんなと同じじゃないの? エメラルドくん』
過去のトラウマがフラッシュバックする。星宮にバカにされ、星宮に心を壊され、星宮が嫌いになって、星宮が目障りで、星宮を見返したくて、星宮を苦しめたくて、星宮から幸せを奪いたくて、星宮を同じ目に遭わせたくて、星宮に死んでほしくて、星宮に星宮に星宮に――、
「っ......」
北条の腕力が緩んだ瞬間、星宮はその手からナイフを奪い取った。奪い取ったものを、直ぐ様その場に投げ捨てる。
「......ごめん、なさい」
「今更謝って何になるんだよ。舐めてんのか」
謝罪の言葉を聞き入れるはずもなく、北条はその場に膝から崩れ落ちた。星宮はその姿を見下ろし、ギュッと唇を噛みしめる。落ち着いて見てみると、彼の姿は思っていたよりも少し小さく見えた。
「今は、私もどんな事を話せばいいのか分かりません。だから、落ち着いたあと、二人で今までのことを話しませんか?」
「はっ。あとなんて、もう俺にはねぇだろうが」
「ありますよ。私たちは多分、このまま同じ病院送りですから」
もう、北条からは生きる気力のようなものを感じられない。今は何を話しても、この男には意味のないこととなるだろう。だから、最後に強制的な約束を取り付ける。もちろん、返事なんて貰えないけれど。
「しょうもない幕引きだな」
そして、救急車のサイレンの音が少しずつこの場に近づいてくる。ようやく、北条との長い長い戦いに終止符は打たれたようだった。
***
その後、庵たちは全員救急車に乗せられ、大きな病院に連れて行かれた。
救急車に乗っている間、警察官に特に取り調べなどはされていない。おそらく、全員の無事が確保されてから調査は始まるのだろう。ここからはそれぞれの親も呼ぶことになるので、まだ一連の騒動が解決とは言い切れないだろうか。
「――はい。お大事にね」
「......どうも」
病院に着いてからそれぞれが別の場所に案内され、数時間が経過した。
庵は指を骨折していたが、重症というわけではなく、固定だけしてもらって開放してもらった。よくこんな状態で北条とやりあえたなと、今になって自分を尊敬する。あのときはアドレナリンで溢れかえっていたので、然程指の骨折は気にならなかった。
「......さて」
診察室から出て、庵は一息つく。父である恭次は警察からの連絡でもう既に病院に来ているらしい。仕事中に、おそらく腰が抜けるほどに驚かせてしまっただろう。最近、迷惑をかけてばっかりだ。
「父さんには後で謝っとくとして、星宮はどこなんだ」
白を基調とした巨大な病院。少し歩けば、すぐに迷子になってしまいそうだ。そんななか、ピンポイントで星宮を探すなんて無茶な気もするが。
「――あ、天馬さんじゃん! ほら、あの人でしょお姉ちゃん!」
「ほんとだ、コハの彼氏発見」
突如、静かな病院に響く二つの声。一つは、可愛らしくハリのある元気な声で、もう一つは前者と対象的に、抑揚のない平坦な声。後ろを振り返ると、そこには小岩井姉妹が居た。
「あぁっと、小岩井さんだっけ?」
「小岩井秋。秋でいいよ」
「お、おう。じゃあ、秋。えっと、さっきはどうも」
秋とは今日知り合ったばっかりだが、おもちゃのロケランをぶちかまそうとする彼女とは、衝撃的な出会い方をしたので未だ記憶には色濃く残っている。最初は頭のおかしいヤバい奴だと思ったが、秋の持っていた花火が、北条を追い詰める最後のピースになってくれた。
みのりに関しても今日知りあった仲。将来の夢が看護師のみのりは、足を負傷した星宮の応急処置をしてくれた。すぐに北条の手によって応急処置が無駄になってしまったが、それでも少なからずは星宮の負担を軽減させてくれたはずだ。
「ふーん、君がコハの彼氏ね」
感情の読めない意味深な瞳で庵を見つめてくる秋。なんとなく、バカにされている気がした。
「なんだよ。あんたこそ、星宮の何なんだよ」
「私はコハの友達......ってコハが言ってた」
「なんだそれ」
素直じゃないだけなのか、本当に星宮が言っているだけなのか。真実は分からないが、今はそんな話はどうでもいい。
「あ、聞きたいことあるんだけどさ、星宮が今どこ居るか知らないか? ちょっと会いたいんだよ」
「うわ、彼氏面ダル」
「え?」
秋がぼそっと何事かつぶやいたが、庵の耳には届かなかった。
「星宮さんなら、私たちさっき会いましたよ。上の階の379号室......だった気します。そうだよね、お姉ちゃん」
「どうだったっけ」
「もう、私合ってるよっ。――あ、星宮さんですけど、怪我は手当してもらってもう大丈夫そうでしたよ」
「そうなのかっ。血めっちゃ出てたけど、大丈夫だったんだな......よかった」
優秀な秋の妹はしっかりと星宮の病室を記憶していた。それに、さっき会ったということは、星宮の方も診察は終わっているのだろう。話しておかないといけないことは山積みなので、また忙しくならない内に早く会わなければならない。
「おっけ、ありがとう。じゃあちょっと行ってくる」
「あっ。待ってください天馬さん!」
庵が二人に別れを告げて星宮の病室に行こうとすると、みのりに呼び止められた。後ろを振り返ると、そこには少し険しい顔をしたみのりの表情があって――、
「星宮さんに会う前に、ちょっと話しておきたいことがあって......」
「あぁ......なんか想像ついたかも」
みのりが内容を話す前に、大体の見当がつく庵。そしてそれは予想通りのもので――、
「星宮さん、今すごく落ち込んでるんです。だからその......優しくしてあげてください」
色々と大事になってしまった一連の騒動。星宮はきっと、その責任は自分にあると考えている。そして実際に、責任は星宮にもある。自分よりも他人を優先するような優しい心の持ち主が、沢山の人を騒動に巻き込んで心を傷めないわけがないだろう。
分かっていたことだ。庵は、こくりと頷いた。
「――そうだな、分かった」
「まぁでも、天馬さんなら星宮さんも心開いてくれそうだし、大丈夫ですかね。ね、お姉ちゃん」
「私、この先の展開が見える。落ち込んでるコハをこの男が臭いセリフ沢山吐いて立ち直らせて、それでいちゃつくんでしょ。そういう”落ち込んでるヒロインを励ます主人公”の王道展開アニメ、もう見飽きたんだよね」
「お前、なんか俺への当たりが強いな??」
どうやら秋の脳内シュミレーションではこれから庵が臭いセリフを吐いて星宮を立ち直らせるらしいが、イマイチ庵はそんな自分のイメージが沸かなかった。
そして庵は秋とみのりに見送られ、星宮の病室を目指す。段々と近づいていくにつれ、庵は少しばかりの緊張に心臓を早まらせた。
更新だいぶ空いてすみません。
やっとラブコメらしい展開ができそうです。




