◆第154話◆ 『迫るタイムリミット』
今回の更新からキャライラストを公開していきます。
”助けてください”。そう叫んだあと、星宮はすぐに通話を切った。理由は眼の前の”敵”に集中するため。股間を蹴られ悶絶していた北条も、そろそろ痛みが引いてくるはずだ。
「逃げるのは、無理ですよね......」
この隙を突いて家から飛び出したとしても、おそらく外には甘音が待ち構えている。あの北条のことなので万が一のことは考えているはずだ。また、窓から飛び降りようと思ってもここは3階。骨折どころでは済まない高さである。
「――っ」
こちらに再び襲いかかってくる前に、何か対策を考えなくては。とりあえずベッドから降り、脱がされかけていた服を着直す。そして何か使えるものはないか見渡した。
「これ...っ」
目についたのは、先程北条が見せつけてきたポケットナイフ。これもさっきの股間蹴りのショックで落としたのか、地面に転がっていた。星宮はその血に塗れたポケットナイフを迷わず拾い上げる。
「――くっっそがぁっ! 星宮ァァ! お前、やってくれたなぁ!」
股間を押さえながら、北条が目を血走らせながらゆっくりと星宮に近づいてくる。そのダサすぎる姿に、北条の迫力は半減されていた。星宮はポケットナイフを力強く握りしめる。
「何俺のナイフ握ってんだよ。お前、それを俺に刺す気か? 俺を地獄に突き落とした最低最悪のお前が、俺を殺す気かよ? あぁ!?」
「――」
「このクソ女がっ。今すぐベッドに戻れ。お前も、同じ目に遭わせてやるよ!」
声が裏返るほどに感情的になっている北条。もちろん、もう星宮が北条の言いなりになることはない。助けが来るまでの時間稼ぎを、今自分ができる最善で尽くすまで。
「あなたと”そういうこと”をするなんて絶対に無理です。それに一緒に死ぬだなんて、もっと無理です。私の体はあなたのモノじゃありませんっ」
力強い言葉を北条に――エメラルドにぶつける。自己犠牲なんて考えは捨てた。星宮の人生は北条が決めるものではなく、星宮自身が決める。こんなところで屈してたまるものか。
「星宮の分際で何生意気なこと言ってんだよ。そんなに天馬の言葉が響いたか? あんな薄っぺらいその場しのぎの言葉に、何の意味があるんだよ」
「――」
庵の言葉が薄っぺらい? そんなわけがない。あれだけ必死な庵の声を、星宮は初めて聞いた。あの声、あの衝撃、あの言葉、それはまだしっかりと星宮の心に残って勇気を与えてくれている。
「あいつは俺とお前のことを何も知らない。天馬は俺を一方的に悪だと決めつけてる。でも実際はどうだ? お前が過去に俺を地獄に堕としてなけりゃ、こんなことにはならなかったはずだ」
「――」
確かに庵はエメラルドのことについて何も知らない。でも、それは関係あるのか? 例え庵がその事を知っていたとして、北条の味方につくのか? 否、そんなわけない。
「お前が全ての始まりなんだよ。お前が悪なんだよ。――だから、罪を償えよこのクソ女ァ!」
星宮琥珀が全ての始まりだとしても、悪ではない。だから――、
「嫌っ! 悪はあなたです北条くんっ!」
「あぁぁぁぁぁぁっ!」
叫び声を上げながら、北条が一直線に突進してくる。星宮の手には一本のナイフ。この場を凌ぐ最善の一手には、このナイフを使うしかない。
「私に、そんなことできません――っ!」
「くッ」
星宮はナイフをその場に落とし、代わりにベッドの上の枕を北条に投げつけた。こんなものを投げつけたところで1秒の時間稼ぎにもならないが、それでいい。北条が枕を受け止めている間に、星宮は自室の扉目指して走り出した。
「どこ行くつもりだァ!」
「――っ」
昨日の傷がズキズキと痛むが、今は一刻を争う非常事態。弱音を吐いている場合ではないのだ。星宮は部屋から飛び出し、傷の訴えを無視して、追いつかれる前に目的の場所へ走る。後ろから聞こえる足音は追いかけられている証拠。
「間に合ってっ!」
星宮が向かったのは物置部屋。スライド式のドアを開け、中に入り、直ぐに閉じた。閉じる直前、一瞬北条の姿が見えたので本当にギリギリだったのだろう。開けられてしまう前に、しっかりと内鍵をかける。
「――星宮ァァ!」
北条が扉越しに叫び、ガチャガチャと扉を開けようとする。しかしこの部屋の扉はここの一つで、内鍵式。一度鍵がかかったら外から侵入するのは不可能だ。
ひとまず窮地を脱した星宮は、物置の壁に背中を預けながらヘナヘナと座り込む。遅れて、さっき無理した反動がヒシヒシと体全体にやってきた。
「う......」
お腹が痛いし、背中も痛い。頭もフラフラとするし、足もガクガクと震えている。今すぐにでも体を横にして休憩したいが、北条に何度も蹴られ悲鳴を上げている扉を見て、そんな余裕は作れなかった。
「隠れてないで出てこいよ! ぶち殺してやる!」
「嫌っ......嫌っ!」
窮地は免れたと思いきや、北条の力強い蹴りに外れかけている物置の扉。ここを突破されれば、もう星宮に逃げ道はない。扉を守るためにも何か支えに物を置きたいが、普段から使用していないこの物置に、役に立ちそうなものは何もなかった。
「ひっ......!」
今までとは違う、変な音が扉から漏れだす。刻一刻とタイムリミットが迫っている証拠だった。星宮にあとできることは、一秒でも早い庵の助けを願うことだけ。
***
――それから、何分経っただろうか。
「あぁっ」
限界を迎えた扉がついに外れ、まっすぐに倒れてくる。危うく星宮が下敷きになるところだった。そして後ろから北条の姿が現れる。
「久しぶりだなぁ、星宮」
「やっ......ま、待って」
逃げ道はもうない。一歩、一歩と後ずさるも、狭い物置なのですぐに壁にぶつかった。
「――」
今度こそどうしようもない。これ以上の時間稼ぎは不可能だ。やっぱりポケットナイフを捨てたのは失敗だったかと後悔しそうになるが、どのみち星宮がナイフを使いこなせるわけがない。
限りなくゼロに近い選択肢の中、必死に思考を巡らすが――、
「まぁ落ち着けよ星宮。お前は、あとだ」
「え?」
「外でアヤが襲われてる。お前の呼んだ助けが間に合ったみたいだぞ」
先ほどとは違う、妙に落ち着いた声でそう口にした北条。どうやら庵たちはもう既に星宮のマンションに辿り着いているらしい。甘音が襲われているというのは意味が分からないが、きっと何かの作戦だろうと解釈した。
「天馬くん、が......」
「あぁ、お前の大好きな天馬くんのお出ましだ」
星宮の呼び方を嫌味っぽく真似する北条。張り詰めた空気に、更に緊張感が足される。
「それじゃ、今から天馬を半殺しにして、その首をお前の前に持ってきてやるよ。てかそっちの方が面白い」
「......っ」
「――だけど、その前に」
物置から出ていこうと一瞬後ろを振り向いた北条だが、すぐにまた星宮の方を振り向き、不気味な笑みを浮かべた。そしてポケットに手を突っ込み、ギラリと銀色に輝く何かを取り出す。
「逃げられたら困るからな?」
血の付着したポケットナイフが、星宮に向けて振り上げられていた。




