◆第123話◆ 『崩れゆく交際関係』
――星宮の、庵に対する浮気疑惑。
――庵の、星宮に対する浮気疑惑。
二人の破局を狙う敵による、ゆっくりと迫りくる陰湿な攻撃。お互いにかけられた浮気疑惑により、二人の心は大きく掻き乱されつつあった。特に星宮が受けた衝撃は大きく、もう二度と前を向いて歩けないほどに傷つこうとしている。庵を信じていたからこそ、受けた衝撃と絶望は大きかったのだろう。
しかし、まだ二人の関係は崩れきっていない。何故ならば、まだ二人は浮気疑惑がかかってから一度も顔を合わせていないからだ。今がお互いを見つめ直すために距離を置いている期間であるからこそ、皮一枚で繋がっている交際関係。
本当に二人の関係が崩れてしまうタイミングは、二人が出会い、お互いの浮気を確信してしまう時。そしてその時は、早々に訪れようとしていた。
***
今日の天気は曇り空。絶妙な寒さと、時々吹き荒れる冷風がチクチクと制服越しに刺さり、無意識の内にポケットに手を突っ込んでしまう。女子はこんな寒さの中でもスカートを履いているが、足が寒くはないのだろうか。少なくとも、今隣を歩いている女子は平気そうであるが。
「いやぁ〜、今日は寒いね天馬くん! もうほんと冬は苦手だよぉ」
「言うほど苦手そうには見えないけどな。さっきからピョンピョン飛び跳ねてるだろ」
「え〜、飛び跳ねてなんかないよぉ。天馬くんもしかして目悪い?」
「かもなぁ」
庵の文化祭でのペアである甘音アヤ。彼女と知り合い約一週間が経って、ようやく庵も甘音に対する警戒が解けてきた。今は気軽に会話も外出もできるようになり、もう二人を隔つ壁は無くなったといっても過言ではないだろうか。
ただ一つ言っておきたいのは、この二人は理由もなく二人きりで外出をしているわけではない。文化祭準備のための買い出しという名目で、仕方なく二人きりの外出をしているのだ。これからもこれまでも、一度も庵は星宮以外の女と不必要な外出をするつもりはない。
「......なんか距離近くないか?」
「えぇ? そうかな」
それはそうと、最近甘音の様子がおかしかった。ボディタッチは多いし、隣を歩かせればしれっと距離を詰めてきて腕を触れさしてくる。
星宮と付き合う前の庵なら、何も言わずに頭の中で「むふふ、女子と触れてる」なんて思ったことだろう。しかし、今の庵は一皮剥けている。ボディタッチをされたところで何も動じない。鼻息一つ漏らさない真摯な男なのだ。
(俺は星宮と手繋いだことあんだぞ? あ?)
とは思いつつも、ちょっとだけラッキーと思う自分がいた。陽キャ女子とイチャイチャしてる自分に酔っているだけで、別に「むふふ」とはなっていないが。
「ごめんけど、俺から少し離れてくれ。普通にお前と変な関係を周りから疑われたくないし」
「むぅ。天馬くんってほんとに男子? こういうのって女子からされたら嬉しんじゃないの?」
「もしかしたら甘音は俺のタイプじゃないのかもな」
「なわけー。ワタシの可愛さを舐めないでよねー」
顎に指を当て、あざとく笑みを浮かべる甘音。どうやら自分の容姿にはだいぶ自信があるらしい。確かに優れた容姿だとは思うが、宝石級美少女である星宮は誰にも越えられない。甘音には悪いが、庵からしたら甘音は星宮と比べて下だ。もちろん、星宮が上の上なだけで、甘音も上の中くらいはあるが。
(......勝手に女ランク付けするとか、クズのすることだろ。俺のバカ)
庵は星宮と甘音を勝手に天秤にかけたことの最低さに遅れて気づき、頭をブンブンと振って反省する。普通にキモい行為だ。家に帰ったら筋トレでもして反省をしようと庵は思うのだが――、
「――あ」
突然、甘音の足が止まった。考え事をしていた庵はそのことに遅れて気づく――なのだが、立ち止まる前に硬く柔らかい感触が顔にぶつかった。ぶつかったのはおそらく人。庵の前方不注意だ。
「ごめんなさ――」
庵の言葉は最後まで続かなかった。言い切る前に、ぶつかった男の顔が視界に映ったからだ。
「――おぉ、天馬。超久しぶりだな。今日はアヤも一緒か」
庵がぶつかったのは北条康弘。以前、星宮がイジメを受けたときに助けになってくれた、学校の人気者。今も爽やかな笑顔で、まるで庵の前方不注意を気にもしていないように挨拶をしてくれた。
しかし、庵はその挨拶を返せない。何せ、既に視線は北条から外れている。北条の隣にはもうひとり、居た。
「......あ、あぁ!」
庵から声ならぬ声が漏れる。庵が一番恐れていたこと、それが今起きてしまったのだ。変な汗がありとあらゆるところから吹き出して、思考が真っ白に染まる。呼吸がおかしくなりそうだった。
目と目が合う。相手も大きく目を見開いて、言語化をするのは不可能な程に複雑な表情をしながら、桜色の唇を開いた。同時だった。
「ほし、みや」
「天馬、くん」
庵の隣には甘音アヤ、星宮の隣には北条康弘。この瞬間、お互いにかかっていた浮気疑惑が確信に変わる。まさしく、最悪の再会と言わざるを得なかった。
***
今まで目を背け続けてきた。星宮は北条と付き合っていない、所詮噂、なんて都合のいい想像もした。でも、こうして北条と星宮が隣に居ることを見れば、そんな現実逃避はもう何も意味をなさない。
この瞬間、星宮は浮気をしていると、庵は確信した。反対に星宮も、庵の浮気を確信した。
「――あ」
しかし名前を呼びあった以上、それから二人に会話は起きなかった。視線も、庵の方が目を合わせるのが辛くなり、逸してしまう。星宮も何かを察したかのような表情をして、顔を俯かせてしまった。
「北条くんじゃん! 今日は星宮ちゃんと放課後デート?」
「まぁ、そんなとこだな。アヤもか?」
「まぁねー。ワタシたちラブラブだもんね! ね! 天馬くん」
思考が真っ白になっていたが、不意に聞こえた甘音の言葉に現実に引き戻される。甘音と北条が知り合いだったことは初耳だが、そんなことに触れている場合じゃない。今、甘音は星宮の前でとんでもないことを言ってくれた。
庵は、逆に星宮から浮気疑惑(ほぼ確信)をかけられていることを知らない。だから、甘音と付き合っているみたいな誤解をされるのはごめんだった。今更否定しても意味ないことを知らず、庵は甘音に剥けて口を開く。
「おい甘音! 誤解されるようなこと言うなよ! 俺はお前とデートなんかしてないし、ラブラブなんかじゃない! マジで勝手なこと言わないでくれ......! 俺は星宮のっ」
「えぇ、そんなこと言うなんて酷いよ天馬くん。ワタシたち、あんなこととかこんなこととかもう色々してるのにさぁ」
「は!? お前何言ってっ!」
庵が必死に否定しようとするも、甘音はそれを待っていたかのように誤解を招くような発言を更に重ねた。しかも甘音はチラチラと星宮に視線を送っていて、庵との関係性をそれとなく見せつけ、アピールしている。明らかに狙った発言だった。
「まぁまぁ天馬もアヤも落ち着きなよ。仲が良いのは結構なことだけどさ、”俺の星宮”が怖がってるから」
「!?」
驚きは更に上書きされ、今の北条の発言は庵の脳を震わせた。”俺の星宮”とかいうあまりにも気持ち悪い発言は本当に北条から出たのだろうか。庵は甘音のことなんか忘れて、ただ愕然としていた。
「――」
星宮は北条が何を喋ろうと、何も反応を示さない。ただ真顔で――何もかもを諦めたかのような表情で、地面を見つめていた。
「ま、俺たちは用事があるから先行くよ。またな、天馬、アヤ」
「うんっ。じゃね、北条くん! 星宮ちゃん!」
ありとあらゆる爆弾を残して、北条と星宮の二人が庵の前から消えていく。星宮の足取りはどこかおぼつかなくてフラフラとしている。んな二人に庵はかける言葉も見つからず、『星宮に浮気の誤解をされたこと』と『星宮の浮気が確定したこと』に絶望して、その場に立ち尽くしていた。
まるで、ここで星宮と庵が出会うことが最初から想定されていたかのような、よくできた再会だった。大切な彼女を失ったことをジワジワと理解していき、今まで我慢していたものが溢れ出ていく。気づけば、庵の目尻には涙が浮かんでいた。
「......どうして」
「ん? どうしたの天馬くん?」
「あ、あぁ......あぁっ!」
甘音が背後から声をかけてくるが、最早今の庵にはどうでもいい。甘音なんかとは話したくない。頭の中は星宮とのキラキラとした思い出の回想でいっぱいだった。さっきから堪えていたものが、爆発する。
「どうして北条なんかに浮気するんだよおおぉぉ!! 星宮ぁ!!」
地面に拳を叩きつけ、叫んだ。心配した様子を見せる甘音が近寄ってくるが、知ったことか。何度も何度も拳を叩きつけ、この行き場のない気持ちを発散させようとした。でも、このどす黒い気持ちは一向に晴れようとしない。
当たり前だ。庵にとって星宮は――命より大切な彼女なのだから。
「あああぁぁ!!」
一緒に喫茶店も行った。一緒にゲームもした。一緒に初詣も行った。苦しいことも、楽しいことも、いつだって一緒に分かち合った。最初の出会いは思いがけないものだったけれど、今はもうお互いになくてはならない大切なパートナーだった。
なのに、何故。あれだけ好きだったのに。両思いだったのに。正直、このまま結婚までいくだろうなんて思う時があった。そうだというのに、そんな未来の幸せは気づかない内に庵の前から消え去っていて――、
「まぁまぁ落ち着いて天馬くん。ここで騒いでちゃ、迷惑だよ?」
「っ。うるせぇよ! 今はお前の声なんか聞きたくないから、とっとと帰ってくれ!」
声をガラガラにして、ようやく甘音に言葉を返した。しかし出たのは荒い言葉。今は甘音を気遣っていられるほど精神的に余裕がない。庵は甘音を無視して、立ち上がろうとする。
「――あ?」
瞬間、庵のポケットが震えた。スマホの通知だった。
何故か庵はその通知にただならぬ気配を感じ、直ぐにスマホの電源を付けた。LINEの通知だった。そこには見慣れたアイコンが、久しぶりに庵にメッセージを送ってきていて――、
『今日の夜、会えませんか。話したいことと聞きたいことがあります』
星宮からのメッセージだった。
一つの山場がもう少しで訪れます




