◆第105話◆ 『2月4日』
2月3日、放課後。
「――今日は2月3日。その明後日、2月5日に計画を行動に移す。そのことについて、少し話しておきたくてね」
北条のこの宣言に、朝比奈は呼吸を詰まらせた。しかし北条が口にしたことの意味が分からないほど朝比奈も馬鹿ではない。いつかこの時がくるとは、北条の本性を知ってしまった頃から分かっていたことだ。ただ事が事なので、分かっていたことでも背筋が凍ってしまう。
「......えっと、明後日ってめちゃくちゃ急ね」
「そう? まぁ、君が俺の命令を無視して何も動いてくれない間、俺はしっかりと準備を重ねてきたからね。俺にとってはちょうどいい頃合いだよ」
「なんか、ごめん」
ぶっちゃけた話、朝比奈は今日の今日まで『星宮の弱みを握る』、『秋を学校に来させない』という命令を何一つ進めてこなかった。その理由は朝比奈自身にも分からない。ただ単にめんどくさかったのか、または罪悪感を抱いてしまったのか。
どちらにせよ、もう朝比奈は後戻りのできないところまで足を突っ込んでしまっている。こうして北条の手下となっているのがその証明だ。今更後ろめたい気持ちが出てきたとしても、引き返せない。
「謝らなくていいよ。結果的に朝比奈さんの力はあまり必要じゃなかった。そもそも、君に頭を使わせるような命令を出したのが間違いだったよ」
「よく分かんないけど馬鹿にされてんのは分かるんだけど。それで、言い方的に私はもう用済みってこと?」
「まさか。そんなわけないだろ。俺が何のために朝比奈さんの復讐を手伝ってやったと思ってんだ」
「......まぁ、でしょうね」
もちろん、なにも朝比奈がせずにお役御免となるはずがない。そして、北条の計画の準備段階が終わったということは、朝比奈が動くのはその核となる計画自体の部分。どんどんと踏み込んではいけない領域に進んでいってしまってる気がして、冷や汗が吹き出てくる。
そもそも、北条がいう計画とは。何を目的にし、どうなれば達成されるのか。朝比奈も詳しくは知らない。北条がニヤリと不穏な笑みを浮かべた。
「――2月5日から、星宮琥珀を徹底的に叩く。そのために一番重要な役割を朝比奈さんに任せるよ」
そう、北条の狙いは星宮。それはずっと前から変わらない。朝比奈が気になったのは今の発言の『一番重要な役割』という部分。まだ何も詳細は分からないが嫌な予感がしてならなかった。
何を命じられるのか分からない恐怖。その答え合わせをするにはまだ心の準備が足りてなくて、朝比奈は別の話題を必死に絞り出した。
「ねぇ北条くん。話を遮るようで悪いけど、一つ聞いていい?」
「ん? まぁ答えられる範囲ならいいけど」
早まる心臓の鼓動に冷静を促し、朝比奈はずっと北条に聞きたかった質問を口にした。
「――なんで北条くんは、そんなに星宮を追い詰めようとするの? 北条くんと星宮の関係って、何」
***
――2月4日。文化祭準備五日目。
今日も今日とて、文化祭に向けての準備が進められる。そろそろクラスの出し物の準備も並列して進めなくてはならないといけない頃合い。しかし細かいスケジュール管理は基本的に生徒会の人間がしてくれているので、一般の生徒は然程心配する必要はない。
「――さん」
「......」
「――さん?」
「......」
「あの、朝比奈さん?」
「っ。え?」
くりりとした瞳を心配そうに揺らめかせる宝石級美少女の姿が朝比奈の目の前にあった。朝比奈はまずそのことに気づき、自分が考え事に集中しすぎて星宮の存在が頭から消えていたことを遅れて理解する。
「......何」
「何じゃなくて、すごくぼーっとしてましたよ。どうしたんですか?」
「あんたには関係ないでしょ。どうもしてないから」
心配してくれた星宮に対し、未だ素直になれない朝比奈は冷たくあしらってしまう。とはいっても二人の間に会話が成立するだけ立派な成長といえるだろう。星宮も、一度いじめられた相手ではあるが、過去は水に流して今は友達になろうと頑張っているところ。
「それで朝比奈さん。昨日の話し合いで私達は『かたつむり』を作るって決めましたけど、材料はどうしますか?」
「画用紙に絵描いて提出じゃダメなの。私、物作りとか苦手なんだけど」
「絶対ダメってことはないと思いますけど、そんな適当するペアはいないと思いますよ。私も手伝うので頑張りましょ、朝比奈さんっ」
「......だるい」
遅れて創作物コンテストの準備をスタートをした二人だが、星宮が朝比奈を引っ張るってくれるので話し合い自体は他のペアよりも早く進んでいるはず。このまま何も問題なく活動を進めれれば、どこかの遅いペアくらいには追いつけそうだ。
「んで、どうすんのよ。私頭良くないから何をどうすればいいとか分かんないんだけど?」
「そうですね......私もまだ具体的なアイデアが何も思い浮かばないんですよね。だから、朝比奈さん。一緒にショッピングモールかどこかで材料を見に行きませんか?」
「......」
おそるおそるといった様子で星宮が朝比奈にお願いをしてみる。昨日ようやく少し打ち解けたばかりの関係なので、さすがに距離感を間違えた申し出だったかもしれない。ただ、材料を二人で決めるという過程はとても重要なことなので、あまり省きたくはないところだ。
予想通り、朝比奈は渋い顔をした。だが少しの間のあと、ぼそりと言葉を溢す。
「――いいわよ」
「えっ、本当ですか!?」
まさかの前向きな答えに、星宮は目を丸くした。オーバーリアクションな星宮に朝比奈が鬱陶しそうな顔をする。しかし朝比奈の言葉にはまだ続きがあった。
「いいんだけど、いつ行くかは私が決めていい?」
「え? 今日じゃないんですか? まぁいいですけど」
すっかり今日行くものだと思いこんでいた星宮は少し拍子抜けを感じる。だが変に急かして朝比奈の気を悪くはさせたくないので、素直に朝比奈の時間指定に従おうという結論に至った。。ただ、ここから朝比奈の様子が少しおかしくなる。
「......」
「朝比奈さん?」
急に顔を伏せだし黙り込んだ朝比奈。次の言葉を口にするまで、朝比奈はどれだけの時間を要したのだろうか。星宮からしたら急に沈黙が流れ出して、さぞ困惑したことだろう。
長い長い沈黙のあと、ようやく朝比奈は顔をあげる。そこには何かを決意したかのような瞳が星宮だけを映していて――、
「明日の2月5日。――一緒に行くわよ」
朝比奈の言葉に星宮は何の躊躇いもなく首を縦に振った。この決断が新たなる地獄の始まりになることを彼女はまだ知らない。




