浮気者で無関心の酷い婚約者、貴方とは結婚出来ません。わたくしは新たなる素敵な方と幸せになります。
アリーナ・レティントス公爵令嬢は、歳は17歳。
このカラント王国のハロルド王太子の婚約者であった。
アリーナは艶やかな黒髪にエメラルドの瞳の美しい令嬢であった。
同い年のハロルド王太子と婚約を結んで7年。
10歳の時にお互いに顔合わせをするも、それ以来、会う事もなかった。
ただ、一言ずつ紹介し合っただけで、
それ以降、会う事もなく、まともに話をした事もない。
プレゼントすら貰った事もない。
貴族の子息が行く王立学園に入学しても、向こうはまるで興味がないみたいで、話をする機会がなかった。
まるで婚約などないような扱いをアリーナは受けていた。
そもそも、この国は王妃教育すらないような国だ。
それでもアリーナは卒業すれば、王太子妃となって、ハロルド王太子と話をする機会もあるだろうと…それにこれは政略だろうと諦めていたのだ。
ハロルド王太子はモテる。色々な女性達が婚約者がいると解っていながら、ハロルド王太子の傍で愛想を振りまいている。
わたくしが婚約者なのよ。わたくしもハロルド様とお話したい。
でも、どうしてもハロルド王太子に近づく事が出来なかった。
ただでさえ、婚約など無かったような扱いなのだ。
君は誰?だなんて言いかねない。
そんな事を言われたら、悲しくて悲しくて。
そしてある日聞いてしまった。
ハロルド王太子は取り巻きの令息達と廊下を歩きながら話をしているのを。
偶然、アリーナも傍を通りかかったのだ。
取り巻きの公爵令息の一人がハロルド王太子に、
「今度、王宮で夜会があるそうですねぇ。行かれますか?そろそろ私達も夜会デビューしてもいい年頃かと。」
「そうだな。行ってみてもいいかもしれないな。」
もう一人の取り巻きの公爵令息が、
「ハロルド様は婚約者がおられるでしょう?」
「確かいたな…そのような者が。まぁ卒業するまで放っておいていいだろう。結婚すれば嫌でも相手をしなければならない。今まで放っておいて悪かったと一言言って、適当に機嫌を取ればよいのではないのか。私は王族だ。公爵令嬢なんぞ本来なら機嫌取りをする必要はないのだがな。ハハハハハ。」
「そうですね。それじゃ夜会のお相手は?」
「レイラ・キャメライン男爵令嬢にしよう。胸の谷間が魅力的な女性でな。」
アリーナはショックだった。
貴方の婚約者はすぐ傍にいたのよ。それなのに気が付かないばかりか、わたくしを馬鹿にするような発言。
許せない。許せないわ。
父であるレティントス公爵に訴えた。
「今までわたくしは我慢に我慢を重ねてきました。でも…王太子殿下のあまりにも酷い扱い。耐えられません。」
「しかしだな。これは王家の命令で。」
そこへレティントス公爵夫人が一冊の本をアリーナに手渡して。
「わたくしも、堪忍袋の緒が切れました。アリーナ。この本を読んで実行しなさい。」
「お母さま。この本は…」
― 冷たい男性を虜にする方法 ―
「お母様。わたくしは婚約を解消したいのです。」
「これは政略。王家の命です。どうしても結婚しなければならない相手ならば、こちらから攻撃するしかないわ。アリーナ。頑張りなさい。」
何?この怪しげな題名の本は…
ああああっ…何だかとても嫌な予感が…ともかく、この本の通りにやってみるしかないわ。
わたくしは、ハロルド王太子殿下と結婚しなければならない運命なのだから。
本には美しく着飾って自分アピールをした後、謎の男性と共にダンスを踊り、相手の関心を引くべしと書いてあった。
謎の男性?
今度、夜会があるわ。初めての夜会。
男性の知り合いなんていないし、お兄様に頼もうかしら。
自室で仕事をしていた、兄、エディックに声をかける。
王宮の会計課に勤める頭のいい兄であった。銀縁の眼鏡をかけて黒髪にエメラルド色の瞳の美男の部類である。
「お兄様。お願いがございますの。」
「何だ?アリーナ。」
「わたくし、夜会デビューのファーストダンスのお相手を、お兄様に踊って頂きたいの。」
「婚約者がいるだろう。ハロルド王太子殿下。彼に相手を頼むのがマナーではないのか?」
「お兄様は知っているでしょう。彼はわたくしとの婚約が無いような振る舞いをしている事を。当日は男爵令嬢と踊るそうですわ。
ですから、お兄様。変装して下さらない?そしてわたくしとファーストダンスを。お願いです。わたくしは彼の関心を引きたいの…」
「それならば仕方がない。相手をしてやろう。ただ、一つ聞きたいのだが。お前はハロルド王太子殿下と結婚したいのか?」
「本当は婚約を解消したいのです。でも。お父様とお母様が王家の命だからと…」
「そうか…まぁダンスの相手は任せておけ。」
「有難うございます。お兄様。」
夜会の当日、アリーナは銀のドレスを着て思いっきり着飾って、レイラをエスコートして現れたハロルド王太子の前に姿を現した。
手には真っ赤な薔薇の花束を持って、そしてにこやかに挨拶をする。
「これは王太子殿下、良い夜ですわね。」
「うっ…なんて美しい。なんて美しい人だ。何故、薔薇の花束を?」
「アリーナ・レティントスと申します。」
ハロルド王太子は驚いたように目を見開いた。
「君が私の婚約者の???」
「この薔薇の花束は王太子殿下に。」
ハロルド王太子に差し出して、受け取って貰い。
「それでは失礼致します。お友達と夜会を楽しみますわ。」
「ちょっと待ってくれ。」
レイラは胸をハロルド王太子の腕に擦り付けて、
「王太子殿下っ。あんな女より私の方を見て…」
ハロルド王太子は隣の男爵令嬢なんて目に入らないように無視し、アリーナをダンスに誘う。
「私と一曲踊ってくれないか?」
「わたくしはあちらの殿方に、ダンスの一曲目を踊る栄誉を与えておりますので。」
「私は婚約者だぞ。」
「わたくしの顔を知っておられましたか?わたくしにプレゼントを下さった事は?婚約者らしい扱いは?」
ハロルド王太子は返事に困っているようだ。
アリーナはカーテシーをし、
「それでは失礼。あちらの殿方とダンスを踊りますので。」
目元を仮面で隠した背の高い男性の元へアリーナは行き、
「お相手よろしくお願い致します。」
「喜んで。」
その様子をハロルド王太子はじっと見つめているようである。
背中に熱い視線を感じた。
いい気味だわ。
仮面で顔を隠した男性は兄のはずである。
約束通り、ちょっと髪色を銀に変えてもらい、変装して貰った。
ん?兄にしては変だわ。何だか雰囲気が違う。
「お兄様ではないのかしら?」
「貴方とダンスを踊りたいが為に、エディックに代わって貰ったのだ。」
「貴方は誰…?」
「誰でもいいではないか。ハロルドに見て貰いたいのだろう?」
まぁこの人、王太子殿下を呼び捨てだなんて、何て不敬な。
ダンスを踊りながら、背の高い相手の顔を見上げる。
目元が仮面で隠れていて、顔が良く解らない。
だが、ダンスの腕は一流のようで、彼の上手いリードに、アリーナは流れるようなステップを踏むことが出来る。一生懸命練習したが、まだ下手なダンスも、この男性のリードなら軽やかに踊っているように見られるはずだ。
貴方は誰?
お兄様の知り合い?
教えて…貴方は誰?
一曲終わると、ハロルド王太子が急ぎ足でこちらへ近づいて来る。
男性はアリーナをエスコートしてテラスへと上手く誘導してくれた。
ハロルド王太子はアリーナの事が気になって仕方ないらしく、二人の様子を柱の陰からじっと見つめていて。
その傍で男爵令嬢レイラが、
「王太子殿下ぁ。レイラ、踊りたい。一緒に広間へ行きましょう。」
「煩い。アリーナが、他の男性と共にいるのだ。」
「アリーナなんかより、レイラを見てよ。」
「しつこいぞ。ああ、アリーナ。あれ程、美しい女性だと思わなかった。」
「王太子殿下、酷いっ。」
二人の言い争う声が聞こえてくる。
ハロルド王太子よりも、目の前の謎の男の方が気になって気になって。
鍛えているのか…着ている服の下のとても綺麗な筋肉が、胸元から覗いていて。
思わずドキドキしてしまう。
男は楽し気に、
「そんなに俺の胸が気になるのか?」
アリーナは赤くなりながら、
「見事な筋肉だと思って…」
「鍛えているからな。」
「教えて下さらない?貴方様は…」
「教えてどうなる?俺はエディックの妹の事が気になった。だが、君はハロルド王太子殿下の婚約者なのだろう?」
「そうですけれども。」
「彼の関心を引きたいのだろう?」
ハロルド王太子が近づいて来る。
「そうか。アリーナ。私の関心を引きたいが為にこの男を。」
ああ…わたくしは…こんな男に嫁がなければならないなんて…
心の底からハロルド王太子の事が嫌になった。
婚約者として扱って貰えなかった。
関心も持って貰えなかった。
他の女達と楽しそうに過ごしていた。
王家の命令だから、従わなければならない。
この嫌な男と結婚しなければならないのだ。
「わたくしは…嫌です。」
ハロルド王太子は目を見開いた。
アリーナは叫んだ。
「わたくしは嫌です。貴方様と結婚するなんて嫌です。耐えられません。貴方様と結婚するなら修道院へ行きます。今までされた仕打ち、許せると思って?貴方様と結婚する位なら一生、修道院で暮らした方がマシです。」
両親や兄は困るだろう。
ごめんなさい…お父様、お母様、お兄様。
ハロルド王太子を虜にしなければならなかったのに、どうしても出来なかった。
ハロルド王太子は拳を振るわせて、
「失礼な女だ。婚約破棄だ。破棄っ。そこの男と出来ているのであろう。慰謝料を請求するから覚悟するがいい。」
「慰謝料ですって?王太子殿下こそ、隣の令嬢はどなた?」
男爵令嬢はニコニコして、
「レイラ・キャメラインでぇす。王太子殿下とは褥を共にする仲ですわ。」
ハロルド王太子は青くなって、
「馬鹿っ。それを言うな。」
仮面の男はハロルド王太子に、
「それなら、慰謝料はお前が払わなければならんな。」
「お前は誰だ?」
仮面を外した男は、ロイド王弟殿下であった。
「叔父上…」
騎士団長も務める国王陛下と歳の離れた弟であるこの男性は未だ独身である。
銀の髪の凄い美男で色々な令嬢達の憧れの的の27歳であったが、社交辞令として会話はするが、女性との噂は一切なかった。
だから、彼は男に興味があるのだと噂をされていたのだ。
アリーナは一歩、後ろに下がって恐る恐る、
「あの、男性と出来ているという王弟殿下ですわね。」
ロイド王弟殿下は、にこやかに、
「噂に過ぎないが?女性に機嫌を取るのが面倒なだけだ。」
この男も、同類か?ハロルド王太子殿下と…
ロイド王弟殿下は、アリーナを見つめながら、真剣な眼差しで、
「今まで仕事が楽しくて、結婚なんて考えられなかった。だが、そなたを見て、初めて胸がときめいた。私と結婚してくれないだろうか?」
ハロルド王太子が喚く。
「叔父上、アリーナは私の婚約者ですっ。」
「お前にはそこの男爵令嬢がいるだろう?」
レイラはハロルド王太子の腕に大きな胸を擦り付けて、
「レイラ、ハロルド様の事を愛していますわー。あの褥で、レイラの事を愛しているって…」
「この馬鹿っ。」
アリーナはロイド王弟殿下の腕に手を回して、
「わたくし、貴方様に嫁ぎたいと思います。浮気者のハロルド様と結婚する位なら、修道院へ参りますわ。」
ハロルド王太子が喚く。
「叔父上は男性に興味がっ。」
ロイド王弟殿下は慌てたように、
「その趣味はない。まったくない。辺境の騎士団では男色が流行っているが、俺は王都の騎士団長だ。だから、まったくその気はない。信じてくれ。」
アリーナはロイド王弟殿下の逞しい腕にしがみついて、
「信じますわ。わたくし、貴方様を信じます…」
この分なら、ハロルド王太子との婚約は解消か破棄されるだろう。
国王陛下も王弟殿下の頼みなら文句も言えないだろう。彼は優秀な騎士団長なのだ。
ともかくハロルド王太子と結婚する事も無くなり、修道院へ行かずにすんで安堵した。
そして何より、ロイド王弟殿下という素晴らしい男性と結婚出来るのである。
両親も兄も安堵することだろう。
アリーナが屋敷へ帰って報告すれば、
両親は大喜びで、
父のレティントス公爵は嬉しそうに、
「あの優秀なロイド騎士団長と縁続きとなれるとは…」
母の公爵夫人も、
「あの方、男性に興味がある訳ではなかったのね。よかったわね。アリーナ。」
兄のエディックは、
「ロイド様とは王宮で顔見知りで、一度、茶をすることがあって、その時にお前の話が出たんだ。アリーナ。ロイド様と結婚する事になってよかった。ハロルド王太子殿下は、ちょっとな…」
「お父様、お母様、ご心配をかけました。お兄様。有難うございます。」
結局、ハロルド王太子の浮気の責任を感じたのか、王家から多額の慰謝料が払われた。
そして、ロイド王弟殿下との婚約が認められたのだ。
ハロルド王太子はどうなったかと言うと…
ロイド王弟殿下が、国王陛下とお茶をしながら進言する。
「ハロルドは修行に出した方がいいのではないか?」
国王陛下は頷くも、
「辺境の騎士団はさすがに可哀想だ。あそこはなぁ…」
「それならば、うちの騎士団でみっちりしごいてやる。」
「お前の騎士団。大丈夫なんだろうな。まさか…男色?」
「兄上、うちの騎士団はマトモだ。本当にまともなんだっーーー。」
ハロルドはロイド王弟殿下の騎士団でみっちりしごかれる事になった。
辺境の騎士団へ行くことにならず、ハロルドは泣いて喜び、その処遇に感謝した。
男爵令嬢レイラとは別れて、ハロルドは王宮騎士団でみっちりしごかれている。
廃嫡はされず王位継承権はそのままなので、二年で王太子へ復帰できるだろう。
アリーナはロイド王弟殿下と婚約をした。
彼はとても優しく紳士的で、アリーナは幸せを満喫している。
「わたくし、貴方様の事を愛していますわ。」
「俺もアリーナの事を愛している。」
結婚してからも、ロイド王弟殿下は、アリーナを大切にし、二人の間には子にも恵まれて、生涯幸せに暮らしたと言われている。