聖女システム
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「聖女ロミアよ! そなたが偽物だということはすでに暴かれた! 本物の聖女は、このジェシカ・ロマーネである! よって、私との婚約は破棄され、これまで国民を謀った罪により国外追放とする!」
その言葉を聞いた瞬間、私の心に溢れた言葉、それは『好き!!』だった。
私はたった今、偽聖女認定されたロミア。平民なので家名はない。十年近く聖女ロミアと呼ばれていたけれど、たった今それもなくなったので、今からはただのロミアだ。
ただの! ロミア!!
ああ、なんて素晴らしいの。ずっとずっと望んでいたことが、叶った。
ずっと自分の中で好感度ランキングワースト三位をひた走っていた婚約者――――いえ、元婚約者のギルバード殿下の株が急上昇のストップ高になったわ!
ちなみに一位は国王陛下で二位は神官長。殿下はその次とはいえ各々の差は僅差だったんだけど……。
ああ、ほんと、今私、彼のこと世界で一番好きかもしれない。
だって、だって、本当に望んでいたのよ。生きたまま聖女を辞めることを。
ざわざわと周囲がざわめき、私と距離を取る。
「あ……」
ありがとうございますと口にしそうになって慌てて口を噤む。そんなこと言ったら不審だわ。どう考えても。せっかく殿下がチャンスをくれたのだもの。絶対に摑まなくてはならない。
本当は、殿下の隣に立っているジェシカ様にもお礼を言いたいけれどぐっと耐える。そして、私はその場でゆっくりと頭を垂れた。
「殿下のご判断に従います。追放はどのように? このまま身一つで出て行けばよろしいですか?」
「……殊勝な振りをしても逃がさんぞ。お前を追放するための支度は終わっている。エド! あとは任せた」
「かしこまりました」
ギルバード殿下の声に、側近候補のエド……エドなんだっけ? 忘れたわ。まぁとりあえずエドと呼ばれた青年がこちらに近付いてくる。
「行くぞ」
二の腕辺りを強く摑まれて、私は痛みに眉を顰めたけれど、文句は飲み込んで素直に従う。エドは足早に会場を出ようとしているようで、私としてもそれは大賛成だったから。
そう、ここは侯爵家で開かれているお茶会の会場だった。小規模なものではあるけれど、王家の末王子であるギルバード殿下が参加するということで、厳選された高位貴族の子息子女が多く呼ばれている。
主催である侯爵家の令嬢に退去の挨拶をするべきだったかとも思ったが、今や自分は元聖女、いや偽聖女。罪人になんて、話しかけられたくないに違いない。
勝手にそう納得して、むしろエドを追い抜くほどの速さで歩く。
エドは驚いたようだったが、逃がさないというように腕を摑む手にますます力がこもった。そんなに摑まなくたって、エドから逃げる気なんてない。私が逃げようとしているのはこの場所、いいえ、この国からだもの。
早く早く、ここから逃げなくては。
二人三脚並みに足並みを揃えて私とエドは会場を出た。廊下は驚くほど静かだった。人の気配が全くない。
護衛の騎士さえいないということは、きっと前もって人払いしていたのだろう。
「お前などにはもったいないが、早急に追い出すためだ」
目の前で広げられたのは、魔方陣の描かれた羊皮紙だ。私は癒しと浄化以外の魔法は知らないが、状況からして、長距離移動用のものだろう。
エドは迷うことなく、その羊皮紙に魔力を込める。すると次の瞬間には、私はエドと共に深い森の前に立っていた。すぐ脇に紋章のない、一頭立ての小型の馬車が停まっている。御者台には男が一人座っていた。
人気のなさに私は一瞬にして体を緊張させた。このままここで斬り捨てるつもりかもしれない。そう考えて、いざとなれば走り出せるように膝を軽く曲げる。けれど……。
「乗れ」
エドはそう言っただけだった。剣の柄に手をかけるでもなく。
私は拍子抜けしつつ言われるままに馬車に乗る。
「奥に詰めろ」
そう言われて従うと、そのままエドも乗り込んできた。まさか、一緒に来るつもり?
思わずじっと見つめると、嫌そうに眉を顰められた。
「お前が逃げ出し、勝手に国に戻らぬよう、国境の先まで送るよう言われている。大人しくしていろ」
「わかりました」
なるほど、国境まで魔法で移動しなかったのは、協定のためだろう。移動魔法を使って侵略行為などが行われないよう、国際協定によって、国境周辺への移動魔法は禁止されている。
こくりと頷くと怪訝そうな顔をされたが、私はすぐにエドから興味を失って、窓の外へと顔を向ける。殺されるのでないならそれでいい。それよりも、ここがどの森でどことの国境に送るつもりなのか知りたかった。
私は聖女として、魔獣の出るような森の浄化に駆り出されたことが幾度もあるのだ。
国境に接しているということなら、北のアシュリーか東のレーベンの外れかしら。せめて近くの街が見えればと思うけれど、馬車は森に沿って走るばかりで、これといった特徴的なものは見えなかった。
どちらかと言ったら、レーベンのほうがありがたいのよね。北はそろそろ外で寝るのが厳しい寒さになるし……。
それに、北は最近少しきな臭いとも聞く。
「随分大人しいな」
エドはどこか拍子抜けしたようにそう言った。当たり前だ。逃げる気などないし、もし逃げ出そうとしても私じゃエドに敵うはずもない。攻撃魔法の一つでもあればよかったけれど、浄化と治癒だもの。魔獣相手ならともかく人間に対しては無力なのよね。聖女の力って……。
それにしても……。
私はちらりとエドに視線を向けた。
「なんだ?」
「なにってわけじゃないけど……」
エドは私が暴れなかったことが意外だったみたいだけど、私だってエドが私に暴力を振るったり、拘束したりといった態度に出ないことが意外だ。
ギルバード殿下のことはできる限り視界に入れないように薄目で見ていたから、エドのこともほとんど知らないのよね。なんかいつも一緒にいるのがいるわね、ゲイなのかしらとは思っていたけれど。
――――ひょっとして、この調子なら教えてくれるかしら。
「ねぇ、私はどこの国に行くの? レーベン? それともアシュリー?」
「その程度の予想はできるのか」
エドはひょいと眉を上げてそう言うと、少しの間を空けて「アシュリーだ」と答えた。
答えが得られたのはよかったけれど、望んだものではなかったことにため息が零れる。
「戦火に巻かれるのをご所望ってことね」
まぁそれでもこの国に残るよりはいいわ。考え方を変えれば、戦場のほうがさっさと仕事が見つかりそうな気もする。
「……案外世情に詳しいな」
エドの驚いたような言葉を、私は鼻で笑いそうになった。咄嗟に堪えたのは、この男の感情を逆なでするのは得策ではないと分かっているから。大人しい振り、反省してる振りでもしておいたほうが多少いいだろう。
しかし、間抜けな問いだなと正直思う。聖女はあらゆる場所に赴かされ、あらゆる人間と会う職業だ。向こうは私のことを『世間のことには興味のない清廉潔白な頭がお花畑な聖女』だと思ってるから、治癒を受けつつ機密になるようなことも話し合ったりする。
まぁそれでも、私を偽聖女に仕立て上げる計画だけは耳に入らなかったから、よっぽどの突貫だったか、案外そこだけは気をつけていたのか……。
今となってはどうでもいいけど。サプライズって好きじゃないけど、こういうのなら悪くないものね。
「ところで、国外追放ってどうするものなのかしら?」
ふと不思議に思って首をかしげる。国境を正式に越えるとなれば、当たり前だがそれなりの手続きがいるし、隣国だってそうホイホイ犯罪者を放流されては困るわよね。
「……アシュリーの森に放逐する」
エドは言いにくそうにそう口にした。けれど、私はぽかんとしてしまう。多分気まずそうなのは、それが普通の人にとっては死罪とほとんど変わらないからだと思う。
通常、森は魔獣の住処となっているから。おそらく騎士であっても、森の深部に置き去りにされれば助からないでしょうね。
でも、よく考えて欲しい。私は聖女だ。魔獣なんて敵ではない。というか、私が魔獣の敵、天敵なのだ。向こうが尻尾を巻いて逃げ出す立場なのである。魔獣に殺されるはずがない。
森に入れられても、私なら徒歩で抜けることができるだろう。聖女は魔法以外にいくつかチート級のパッシブスキルがあって、動物に好かれ、ある程度の意思疎通ができる、というのもその一つなので、水場を教えてもらったり、道を聞いたりすることもできてしまう。場合によっては、背中に乗せてもらうことすら可能だし……。
そこまで考えて、あっ、と気付く。
そうか、この人、私が偽の聖女だと思っているんだったわ。
なるほどそれなら確かに、私が死ぬと思っていてもなにもおかしくない。そうかそうか、そういうことか。
でも、それを気まずいと感じるなんて、この人殿下の下についてる割には随分と感性がまともなのね。ざまぁみろ、死んで当然だくらいの感覚なんだと思っていたわ。出世したいならさっさと殿下から離れたほうがいいわよと忠告してあげたいくらいだけど、余計なお世話よね。
そんなことを考えていたら、馬車が止まった。エドがドアを開けて先に下りる。
「下りろ」
言われるままに馬車を降りると、エドは馬車を引いていた馬を一頭外し、それに乗るように指示してきた。
もちろん逃げ出したりせずに、私は素直に従う。自由がすぐそこまで迫ってきているのだ。むしろ内心ウキウキしていたけれど、表情には出さないように気をつけた。
そして、すぐにこれがチャンスであることに気付く。なんのチャンスかって? もちろん、馬をいただくチャンスに決まっているわ。
エドはまだ馬に乗っていない。轡を手にしてはいるけれど、御者にこの場で待つようにと指示を出している。
――――いける。
私はそう踏んで、馬のたてがみをそっと撫でた。
「走って」
「えっ、おい!」
突然、馬がエドの手を振り払い、森へ向かって走り出した。
「ちゃんと、国境を越えますからご安心くださいませ。馬があると便利なのでいただいていきますね~!」
私は笑顔で手を振る。エドのぽかんとした顔は木の枝に遮られ、すぐに見えなくなった。
木の間を縫うように、馬を進め、そのまま森の奥へと進んでいく。先ほどの言葉に嘘はない。私の目的は国を出ることなのだから。
「このまままっすぐ、森を抜けたいの」
私の声に応えるように、馬は道を選んで走ってくれる。小枝が私の顔を避けてくれるのは偶然じゃない。植物にまで好かれているのだから、聖女というのは本当に得だ。
「さぁ、これからどうやって生きていこうかしら」
聖女だってことは、ばれないほうがいいわよね。聖女なんて、正直ろくなものじゃないし。
私の生まれた国――――イシュバーン聖王国にある聖女というシステム。
もちろん私が勝手に聖女システムと呼んでいるだけで、誰にも話したことはない。そんなことを口にしたら、不敬だと白い目で見られるか、最悪幽閉される可能性すらあっただろう。
私がその、聖女本人だとしても。
まず聖女というのが何か、それを説明する必要があるかしら。
聖女というのは、おおよそ三十年ほどの周期で現れる、強い癒しと浄化の力を持つ少女のことをいう。
聖女は必ず平民の中から現れる。そして、聖女として国のために力を尽くし、いずれ王族と婚姻する。イシュバーンでは、王妃以外は婚姻後の女性の王族は人前に姿を現すことはないので、聖女としてのお務めもそこで終わる。その後は城の奥にある離宮で、のんびりと暮らすという。
そもそも、それがあやしいのよね。
なぜ、聖女は平民にしか現れないのかしら。最初はそれが不思議だった。そして何年か聖女を務めるうちに辿り着いた答えは『平民しか聖女と認められないからではないか』ということだった。
もともと、癒やしだの浄化だのの力を持つ人間はいる。しかも強い魔力を持つ者は貴族に多いのだ。だったら、普通に考えて、貴族にこそ聖女が出現する確率は高いはず。
なのに、なんで平民なのか?
それはきっと貴族の女性では問題があるからだ。
聖女は必ず王家の人間と婚姻する。そうである以上、貴族だったら政治的な問題が起きるに決まっているのよ。そもそも、王家と婚姻せずとも、これだけ国に貢献する人間が貴族であれば、その家に力をもたらさないわけがないし、家の者から聖女への干渉がないわけがない。自らの領地や、同盟を結んだ貴族家などを優先しようとする動きも出るでしょうし。
それに、聖女は引退後、人前に現れないことになっているけれど、これも平民であれば簡単だわ。もともと城に上がることが許されないのだから。平民はあまり住んでいる場所から移動しないものが多いし、嫁に出たら生家には戻らないことだっておかしくないと、聖女を続けるうちに知った。それで腑に落ちたのよ。
ああ、それも理由だったのね、って。
婚姻後の聖女を見たものはいない。王族になったのだから、城の奥の離宮で国の安寧のために祈りを捧げながらゆったりと暮らしている、って説明されたけど、どう考えても納得がいかないのよ。
だって、国の偉い人たちって、聖女なんて使い潰してこそだと思っているもの。まだ聖女としての力があるなら、婚姻後であれ働かせないはずがない。私だって伊達に十年近くも聖女をやっていたわけじゃないのだ。それくらいは分かる。
おそらく聖女としての力が残りかすみたいになるのに合わせて王族と婚姻させて、あとはお城の奥で悠々自適にお祈りとかして過ごしていますよって振りをしているのだろう。聖女の結婚がときに三十歳近くの晩婚となるのも、きっとそのせいだ。イシュバーンでの女性の婚姻が十五~二十歳程度が平均であるにもかかわらず、聖女は二十五~三十での婚姻が多い。どの聖女も聖女としての務めに誇りを持っていたためだと言われたが、本当に? と疑わざるを得ない。聖女は激務だ。感謝はされるが、やって当然という風潮で、礼の言葉が極表面的なものであることに気付いてからはやりがいなど失った。
少なくとも私は、結婚して引退できるなら今すぐにでも引退したいと常々思っていたわ。力が衰えてきた振りをしようかと考えたこともある。実行はしなかったけど、それはまた別の理由があるのよ。
役目を終えた聖女が生きているとは、正直思えなかったから。
怪しいと思って、王城の辺りに巣を作っている鳥に何度か聞いたことがあるけれど、離宮には誰も住んでいないという話だったもの。少なくとも離宮で悠々自適な生活をしているっていうのは嘘。死んでいるのかどこかに閉じ込められているのかは分からないけど、死人に口なしって言うものね。殺しておいた方が安心でしょうね。コストもかからないし。
前世で言うブラック企業も顔負けの極悪さ。
あ、そうそう。私には前世の記憶がある。まぁそうじゃなかったら七歳で親元から離されて聖女としての教育を受ける女の子がこんなことを考えるはずもない。教養の一つも教えられないのだから。
あなたは神に選ばれた尊き聖女であり、その力で国に奉仕するのが使命だ、とだけ教えられ、顔のいい王子様と引き合わされて、偉いねがんばってるねさすが僕の妻になる人だと持ち上げられ、平民としては考えられない贅沢な生活環境(といってもあくまで平民には、であり殿下を見る限り王族並みというわけではないと思う)の中でひたすら癒しと浄化の術をかけさせられる。
純粋培養の聖女たちは、そうして使い潰されていったのだろう。私だって日本の女子大生としての記憶がなかったらそうなっていたはずだ。
もっとも、だからといって逃げ出す算段ができたわけじゃなかった。聖女はそれだけ厳重に管理されていたし、今回のことは本当に運がよかったとしか言い様がないわ。やっぱり、殿下には感謝しなくてはね。あと、ジェシカ様にも。
殿下がジェシカ様を本物の聖女だと言うからには、きっと彼女にも癒やしと浄化の力があるのだろう。まぁがんばってね、という気持ちだ。貴族として生きてきた彼女が聖女の生活に耐えられるとは思えないけれど……。それは自業自得だものね。
とはいえ、王家のことも神殿のことも大嫌いだから、がんばらないならがんばらないで私は構わないのだけれど。
そんなことより、私自身のことだ。
私はまだ十六だから、聖女の力が衰えるとしてもまだ早くとも十年近くはあると思っていいだろうし、その間にできるだけ稼いで、生活の目処を立てたいところよね。力の衰えの原因が分からないのが、不安と言えば不安だけど……。
実際の所、どうして力が衰えるのか、本当に不思議だ。魔力というのは通常は体力と同じで、年齢による増減はあるけれど、完全に無くなるということはないとされている。無くなるときは死ぬときだ。
聖女の力が衰える、という私の仮説が間違っている? それとも――――衰えの見えた聖女は殺されているのではなくて、自然死を迎えている? その死の兆候が、力の衰えであると言うことになるけれど……。
分からない。けど、今のところはこれ以上考えない。今はもっと考えるべきことがいくらでもあるんだもの。
聖女だとばれない範囲で、どう仕事をしていくか。
正直、人目を避けて森の中で暮らすことだって不可能じゃないとは思う。でも、そんなのつまらないわよね。せっかく自由になったのに。
だとしたら、やっぱり特技を活かすほうが楽に稼げるとは思う。浄化はともかく、治癒自体は使える人もある程度はいるはずだから、使ったから即聖女バレするということはないはず。
それをメインに稼いでいくとして、生活の拠点をどうするかも考えなくちゃね。
馬が手に入ったおかげで、元手がゼロじゃなくなったのは大きい。まずは馬を売って、それから生活に必要なものを買うとして……。
これからの生活に胸を弾ませて、ただのロミアは笑顔を浮かべた。
彼女の耳に、聖女を失った生国の動乱が届くのは、もう少し先の未来のことだった。