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気付けば小人たちの村はもう目と鼻の先で、村の中にいる小人たちの姿も視認できるまでになっていた。彼らは物陰や木の後ろに隠れながら、ちらちらとこちらをうかがっているようだった。
(まぁ、そりゃあ目立つよな)
彼らからすれば自分たちの3倍近くある巨人がまっすぐ村に向かって来ているのだ。その恐ろしさたるや生半な怪獣映画の比ではないだろう。
そのためもしや先ほどのようにパニックになるのではと危惧したが、それはすぐに杞憂だとわかった。遠巻きに見ている彼らの目は恐れもあったがそれ以上に好奇心に満ちていた。あるいは誰かが先んじて私の存在を伝えていたのかもしれない。ともかく理由はどうあれ無用な混乱を引き起こすことはなさそうだった。
もう少し近づくと村全体にはちょっとした祭りのような高揚感が広がっているのも感じ取れた。そしてそれは私の隣を歩いていた列の先頭が村に入ると一層強まった。村の人たちが一斉に凱旋を讃える。
「おぉ!あれが今回の御使い様か!」
「果実は?果実はあったの!?」
「おぉい!道を開けろ!帰ってくるぞ!」
村全体の活気が一気に上がった。同時にあわただしく動き出した小人たちも見えた。先ほど祭りのようだと感じたが、改めて見ると祭り本番というよりもそれが始まる直前、準備段階のあの妙に高揚している時のように感じた。おそらく彼らにとっての『本番』はこれからなのだろう。
そんな彼らを私は村の入り口の手前から見ていた。さすがにこんな状況で村の中に入れば邪魔なだけだ。私の前を歩いていた巫女ルゥフも同じように考えていたのか、ちょっと困ったように頬を掻いてから私の方に振り返った。
「うーん、これは……えっとニンゲン様、申し訳ありませんがこちらで少々待ってもらってもよろしいでしょうか?すぐに楽になれる場所を用意しますので」
「ええ、構いませんよ。腰は下ろしても?」
「はい、もちろんです。そうですね、でしたら……あそこの岩のところにお座りください」
ルゥフが指さしたのは私の膝丈くらいの高さの岩だった。確かに腰掛けるにはちょうどいい。私がそこに素直に座るとルゥフは「ありがとうございます。では少しばかりお待ちください」と言って村の方に駆けていった。その途中でルゥフは列にいた数人の小人に声をかけていた。声をかけられた小人たちはルゥフの言葉に頷いてから私の前に、まるで私を守るかのように立ち並んだ。
(あぁ。こいつらは兵士か何かなのかな?)
よく見れば列にいた小人たちと村にいた小人たちでは服装が違う。大まかなデザインや装飾は同じだが列にいた側の方がなんとなく丈夫っぽい上等そうな服を着ていた。実際村にいた小人たちは私に近づきたそうにしていたが、この兵士らしき小人たちを越えてまでこようとはしなかった。
(……やっぱり、意外としっかりとした集団なんだな)
階級や命令、それに集団行動。彼らが人間的な秩序を有していることは十分なくらいに見せつけられた。無秩序な集団ではないということは一種の安心感が生まれる。もちろん警戒を怠るつもりはないが、それでもどうやらある程度は信頼しても大丈夫そうだ。ならば今のうちにしっかりと休んでおくべきだろう。私は朝以来の落ち着ける時間にふぅと一息ついた。
一息ついて落ち着いた私は改めて小人たちの村を観察することにした。
まずはこの村の全体像だが、村と言っても人間社会のそれのように建物が建ち並んだりはしていない。いくつかの自然物、岩や茂みに囲まれた広場のような場所。それが彼らの言う村であった。広場の広さは8メートル四方といったところだろうか。私がその中心で大の字に寝転んでも邪魔にならないくらいのスペースはあった
これだけ広々としているのは広場に建物がないからだ。どうやら彼らは人間でいうところの『家』を持っていないらしい。では彼らがどこに住んでいるのかというと、この村という名の広場を囲う岩、そこにあけられた横穴の中であった。岩には大小さまざまな穴があけられており、よく観察すればそこを出入りする小人たちが簡単に見て取れた。
それを見て私は今後のことがちょっとだけ気になった。
(まさか私もあそこに入るように言われるのか?あんなの、肘まで入るかもわからないぞ)
招かれてきたはいいものの、ここには家らしい家もない。雨とかが降ってきたらどうするのだろうか?やはりここも長居する場所じゃないのか?
そう考えこんでいた私であったが、ここで村の方から聞こえた一際大きな歓声でそちらに気が移った。
「うおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
(なんだなんだ?……うっ!)
何事かと思って目を向けた私は思わず顔をしかめた。見れば村の中央に例の神輿、つまりは私のうんこが到着したところだった。
(あぁ、そうだ……あれがあったんだった……)
もしこの世界でスポットライトを浴びているのがこの大自然や小人たちだけだったなら、私はもっとこのファンタジーな世界に浸れたことだろう。しかしあの汚物の存在が私に妙なリアルさを思い出させる。
私としては羞恥心しか感じないのでさっさとどこかにやってほしいのだが、なぜか知らないが彼ら小人たちはこれをたいそう大事なものとして扱っているようだ。実際今も神輿の下に、つまりは私のうんこに向かってぞろぞろと集まって来ている。
(いったい何なんだ?まさか食べたりとかしないよな!?)
彼らにとってはおいしい食べ物なのだろうか?しかしどうもそれも違うようだ。耳をそばだてれば会話の一部を聞き取ることができた。
「すごい……これが繁栄をもたらすという『泥』で『果実』かぁ……」
「でも思ったより、なんか……きれいじゃないな……」
「うぅ……なんか変な匂いがしますねぇ……」
「本当にこれが我らの繁栄のための果実なのか……?」
どうやら全員が素直に、盲目的に信仰しているというわけでもないらしい。『くさい』という認識もあるようだ。にもかかわらず大半の小人たちは、それがまさに天からの贈り物であるかのように目を輝かせて見ている。
(いったい彼らはあれをどうするつもりなんだ……?)
相変わらず何が起こっているのか全く理解できない中、村の方からルゥフがこちらに向かってくるのが見えた。
「お待たせしました、ニンゲン様。楽になれる場所の用意ができましたが……もう少々こちらでお待ちいただけますか?」
「それは構いませんが、何かあるんですか?」
「ええ。儀式が間もなく始まります。こちらの方がご覧になりやすいですので、どうぞここでご覧になっていってください」
儀式?また何やら私の知らない何かが行われるらしい。詳しく聞こうとしたがルゥフは「あっ!始まりますよ!」と言って村の方を向いてしまった。仕方なしに私もそちらの方を見れば、いつの間にか巫女ダナテァと、そして同じような小綺麗な服を着た小人たちが神輿を取り囲んでいた。周囲のざわめきも収まりつつある。
やがて全員が口をつぐみ厳かな雰囲気が周囲を満たすと巫女ダナテァが儀式を始める宣言をした。
「それではこれより舞いを始める!」
その宣言と同時にダナテァを除いた神輿を取り囲んでいた小人たちが一斉に歌い舞いだした。
「~~~♪」
「~~~!!~~~!!」
「~~♪~~♪」
彼らの歌の歌詞はまるで聞き取れなかった。あるいは歌というよりも祝詞といった方が正しいのかもしれない。彼らは発声したかと思えば口笛のようなものを吹いたり、時には唸ったり時には歯を鳴らしたりして儀式の唄を紡ぐ。それは無秩序のようでありながら確かに一連の流れがあり、そして徐々にその内在するエネルギーが膨れ上がっていくのが見て取れた。それに呼応して舞のほうも激しくなっていく。
また儀式の参加者は巫女ダナテァたちだけではなかった。周囲で見守っていた他の小人たちも手拍子をしたり同じように歌ったりしてその一体感を高めていく。儀式というからもっと神妙なものを想像していたが彼らのこれは、俗な例えだが、ロックバンドのライブフェスのようであった。そしてライブフェスがそうであるように、私もまた気付けば場の空気に当てられてこの儀式に釘付けになっていた。
彼らの文化は全く分からない。全く分からないがその非言語的な表現は時に言語の壁を超える。時には楽しそうに。時には悲しそうに。時には勇敢そうに。時には寂しそうに。彼らのそれはまるで生物の一生を一瞬で表現したかのような舞と歌であった。それが彼らなりの生命賛歌の舞であるということを直感的に理解した。
歌うたびに舞うたびに、小人たちの意識が一つになる。いや、小人たちだけではなかった。私でさえ彼らの舞に目を奪われ声明の流れの神秘を感じ取っていた。そしてこの宴が最高潮に達しようかという頃、神輿の前にひざまずいていた巫女ダナテァが一つ柏手を打った。そして何か祝詞のような文句を口ごもんだ後、歌の最も盛り上がる節に合わせてその手を神輿に、つまりは私のうんこに突き刺した。
「いぃっ!?」
流石にこれにはそれまでの神秘的な酔いも覚めて正気に戻った。
(おいおいおい!?だから何でそんなためらいもなくうんこに手を突っ込むんだよ!?)
そう、それは確かにうんこ。十数時間前に私の尻から出たただのうんこだ。
だが彼らにとってはそうではなく、そして事実ただのうんこではなかった。
「はあぁっ!!」
巫女ダナテァはうんこから手を引き抜き天高く上げた。するとそれと同時に神輿の上のうんこは優しい、神秘的な緑色の光を放ち始めた。
「なっ!?」
うんこが光りだすだなんてそんなこと聞いたこともない。しかし変化は止まらない。私がじっと見つめる中、なんとうんこがもぞもぞと動き出したのだ。
「は、はぁっ!!??」
思わず身を乗り出す。うんこの中で何かがうごめいているのだ。そしてその正体はすぐに顔を出した。
ぽこん。
「おおっ!!」
俺と同じくうんこを、『形なき果実』を見つめていた小人たちが感嘆の声を上げる。そこに現れたのは植物の芽であった。
そしてその芽は一呼吸おいてから一気に成長し始めた。始めは高さ1センチにも満たない双葉だったのが次の瞬間には10センチに。そして次の瞬間には20センチに、30センチに、50センチに、1メートルに……!そのままどこまでも伸びていくのかと思ったがその植物は1メートル30センチくらいのところでその成長を停めた。それは小さな木であった。小さな木がいきなりうんこから生えてきたのだ。
この神秘的な光景に、気付けば広場はしんと静まり返っていた。
やがて一人の兵士がダナテァに話しかける。
「大巫女様、これは?」
「ふむ、果実が少量であったためであろう。しかしこれでわかったであろう?あれが間合事なき『果実』であったということが」
そしてダナテァは振り返り、村中に響く声で叫んだ。
「皆の者、見たであろう!?これこそが『形なき果実』の力!『果実』と『御使い様』がこの村に舞い降りたのだ!!」
「うおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
巫女の言葉に村全体が大きく吠えた。彼ら自身は小さいにもかかわらず、その叫びは地響きを思わせるほどのものだった。そして小人たちは一人、また一人と私に向かってひざまずき、こうべを垂れ始めた。気付けば村人全員が私に向かって神妙に頭を下げていた。
彼らの、この世界のことは相変わらず何もわからない。それでも彼らのその態度が祈りのポーズであることは理解できた。彼らは私に祈っていた。神秘を。繁栄を。未来を。ただ『うんこ』をしただけの私に対して。
理解ができずにおいていかれていたのは私一人だけであった。
「なんなんだよ、これ……」
だがこのつぶやきに答えてくれるものは誰一人としていなかった。
これが私が体験した、ささやかな神話の序章であった。