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「はぁ……食ったなぁ……」
6個目の芯をそこいらに投げ捨てて私は一息ついた。実はスカスカだったり可食部がほとんどないようなのもあったがどうにか腹を膨らませるくらいには食べられた。
そして腹が満たされたおかげで少しばかり冷静にもなれた。
「さて。とりあえず生き延びないとな」
正直今の状況に関してなぜこんなことになったかはまったくもってわからない。だが唯一わかっていることとして、ここでは元の世界にいた時のような楽はできないということだ。
食べ物が買えるところなんてないし身を守る隠れ家もない。今日一日を生き延びるだけでも簡単にはいかない世界だ。そんな世界で救助が来るまで、あるいは元の世界に戻れる手がかりをつかむまで一日でも長く生き延びなければならない。
「つまりサバイバルってわけか」
私はにやりと笑った。状況的には笑うなんてもってのほかなのだろうが、この追い詰められた状況、そして男の血だろうか、ともかく不思議なくらい自分の中に活力があふれていることに気付いた。あるいは追い詰められた人間というのはこういったものなのかもしれない。
ともかく私は前向きにここでサバイバルをする決心をした。
一日でも長く生き延びる。となるとやはり大事なのは水と食料だ。私は再度周囲を見渡す。ただし今度は人工物ではなく水と食料になりそうなものを求めてだ。そうすると先ほどは気にも留めなかったものが見えてくる。
まず幸いだったのは近くに川があったことだ。これで当面水の心配はしなくて済む。もちろん衛生面で気にならないと言えばウソになるがそれは今は過ぎた願望だ。加えて先ほどのリンゴとは別の果実がなっている木を見つけた。しかしこちらはやや遠いところにあった。
今すぐにでも確認したかったがここで私は日がだいぶ傾いてきたことにも気付いた。空はまだ青いがすぐに夕闇が襲ってくるだろう。そこで出てくるのが明かりの問題だ。当然ここに街灯なんていう文明の利器は存在していない。つまり日が落ちればあたり一帯は完全な闇に包まれて身動きが取れなくなるということだ。
そうなる前にしなければならないこと、寝床や朝までの食料の確保を済ませておかなければならない。残念だが今見つけた木の確認は後回しだ。
やることがはっきりとすれば行動の捨拾選択は早かった。私はすぐにまた木に登り、枝を折って幾つかのリンゴを手に入れた。量は心もとないがこれで晩御飯の心配はなくなった。
私は脱いだスーツの袖を結んで袋状にしそこにリンゴを詰め、そしてさっき見つけた川のほうに向かって歩き始めた。
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川は、当然だが自然にできた川だった。川幅は2メートルほど。護岸工事なんて気の利いたものはされていないため岸周りの土はぬかるんでおり、また小石やぬるぬるとした草も多かった。覗き込めば深さは想像以上に浅い。
ここで私はふと気づいた。もしかしたらこの川は乾期と雨期で全然違う川になるのかもしれない。サバンナには雨期にしかできない川、乾期になると干上がってなくなってしまう川があるという話をいつかテレビで見た。
この川もそうだとすれば永続的な水の確保ができたとは言い難い。だがそれでも今日の渇きをいやすことはできる。私はハンカチで簡易的にろ過した水でのどを潤した。空のペットボトル一本でもあればもっとちゃんとろ過した水が飲めたのだが今はこれでも最善の手であった。
こうしてどうにかではあるが食料と水は確保できた。
あとは寝床だ。私は川から少し離れ、そしてやがていい具合に角の取れた石が敷き詰められた場所を見つけた。今日の寝床はここでいいだろう。下が硬いのは否めないが下手に地面に寝ると湿気で体が濡れたり虫にたかられかねない。それにだいぶ日も沈んできている。もう間もなく黄昏時、明かりがなければ近くの人の顔もわからなくなるほど暗くなる。そんな時分になってから動くのは危険すぎる。
おそらく今日はもうこれ以上の寝床は見つからないだろう。私はどっかりと座り込み迫りくる夜闇にじっと耐える覚悟を決めた。
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数刻後、予想通り夕闇が周囲を覆い始めた。ある程度予想していたとはいえ、その闇は改めて明かりという文明の偉大さを思い知らさしめた。まだ太陽は地平線の際に残っているが、とにかく恐ろしいほどに細部が見えないのだ。
以前テレビで、『黄昏時』とはまだ街灯が一般的ではなかった時代にすれ違う人に対して「誰そ、彼?(あなたは誰ですか?)」と問わなければならないほどに細部が見えなくなることが語源だと聞いたことがあるがまさにその通りだった。夕日は周囲の物を均一にオレンジ色に照らし、そして容赦なく細く長い影を敷く。それは細部だけでなく輪郭や距離感すらも狂わせ、うっかりすると隣に置いてあるスーツですら見失いかねなくなる。改めて人間の弱さを思い知らされた私であったがすぐにこれはいけないと首を振った。
「いけないいけない、弱気になるな!大丈夫だ、問題ない!食い物も水も手に入れたんだ。今のところ上々だろうが!」
こういった状況で弱気になるのはよくない。私はぐっと膝を抱えて自分を励ます。
それに実際現状はそれほど悪くはない。なにせ水も食料も手に入れているし、何よりけがをしていない。サバイバル一日目としては上々の滑り出しだ。だからこそ今自分がしなければならないのは明日以降どうするかを考えることだ。私は改めて今の状況を分析する。
分析した結果、やはり足りないのは情報だという結論に達した。ここはどこなのか。周囲に人はいないのか。そもそもなぜこんなところに飛ばされたのか。本当にわからないことだらけだ。
それに改めて考えるとやはり今日の自分は多少なりパニックになっていたと思う。もちろん仕方のないことではあるが、今思えば丘の上で周囲を見渡した時などにもっとちゃんと観察できたのではないだろうか。本当に人の住んでいる形跡はなかったのか?生活の跡はなかったのか?集落があるとすれば川の近くだろう。ぱっと見ではわからなかったが川沿いを観察すれば何かしらの人間の痕跡が見えたかもしれない。だが昼間の私は川イコール水を見つけてそれっきりだった気がする。
(しまったな。もっとちゃんと見ておけばよかった……)
考えれば考えるほどに反省点が見つかる。できることならそれを踏まえて今すぐにでも動き出したいがこの暗闇の中ではそれも無理だった。焦ってはいけないと自分に言い聞かせる。今できる最善のことは無事に夜を乗り切り明日の朝を迎えることだ。
「そのためにはちゃんと睡眠をとらなきゃだな……!」
やるべきことを確認した私は明日に備えて横になって目をつぶった……というところで下腹部が少し反応した。
きゅるるるる……
便意だった。それも言うまでもなく大きい方。幸い下痢ではなさそうだが今夜いっぱい抑え込めそうな感じでもない。私は仕方なしに上体を起こした。
「こんなタイミングでか……いや、これもある意味健康ってことか?それよりも……」
ここにきて私はまた一つここの未開さを思い知らされた。当たり前だがここにはトイレなんて気の利いたものはない。つまりはそこらへんにしなければならないということだ。
「くぅ……いや、仕方がないか……とりあえず適当に穴でも掘ってそこにするか……」
一瞬川にすることも考えたがこの薄暗い中、整備されていない川岸で踏ん張るのは少々怖い。私は素直に寝床から数歩離れた場所に穴を掘ってそこですることにした。
数分後、ようやく5センチ程度の穴が掘れた。ちゃちな穴だがちゃんとした道具がなければこんなものだろう。もう少し深く掘りたくもあったが、どうもこれ以上は私の下の方が許してくれないようだ。私は急いでベルトを緩めた。
「明日はトイレの場所も探さなきゃだな……」
穴の位置を意識してそこにしゃがみ込む。無防備にスースーとする尻に気恥ずかしさとどこか懐かしさを感じた。
(……しゃがんでするのなんて学生以来か?)
記憶をたどれば最後に和式で大きい方をしたのは高校生の時だ。場所は学校、高校は田舎の公立高校だったためほとんどの大便器が和式のままであった。たしかあの日は急に腹が痛くなってトイレに駆け込んだのだ。流石にもう高校生なので学校でうんこをしたっていじられることはないのだが、それでもえも言えぬ気恥ずかしさを感じたのを覚えている。
なんてことを思い返していたところ、ちょうどいい具合に腹痛の波がやってきて、私はそれに任せて出すものを出した。
「う……ふぅ……」
まさにクソみたいな感想だが、出たのは悪くないうんこだった。やや柔らかめだったが変に引っかかることなく、するりと一本で出てくれた。こんな時間に柔らかめのうんこが出たのはおそらくストレスが原因なのだろうが、まぁこの状況下では仕方がないだろう。むしろリンゴや水に当たってではないことに喜ぶべきだ。
「さて、じゃあどうやって拭こうかな……」
穴を掘っている最中からうすうす気づいていたが、ここにはトイレットペーパーはない。
近くにあるそれらしいものを見繕ったところ、結果として一番無難なのはやはりそこらへんに生えている葉っぱであった。
私は適当に手を伸ばして葉っぱをむしり、それが肌が切れるタイプの葉っぱではないことを確認してから使用した。使ってみた感想はとにかく拭きづらいということだ。手に持った葉っぱは想像以上に面積が狭く、拭けているかどうかの感触も感じない。それでも経験則を頼りに何回も繰り返してどうにか妥協できるところまで拭くことができた。
もうこれが限界だろう。私は「もう十分にお尻は拭けた」と信じてパンツを上げた。まさかお尻を拭くのがここまで大変だったとは。
「まさかこんなところで文明のありがたさに気付くとは……明日朝一で川で洗わないとな……」
寝床に戻り横になると一気に瞼が重くなった。
やはり慣れないことばかりで疲れていたようだ。大きなあくびを一つすると体がもう寝るモードに変わっているのに気づいた。もうあと5分もしないうちに私は寝てしまうだろう。その意識が途切れるわずかの間に明日しなければならないことを確認する。
とりあえず明日はもう一度木に登って周囲を見渡したい。あとはちゃんとした寝床もあった方がいいだろう。あぁ、そうだ、トイレもだ。あとトイレットペーパー代わりになりそうな葉っぱとかも……。
このあたりで私の意識はほとんど睡魔の中に沈んでいた。
(あぁ……明日のことは明日考えよう……それにもしかしたらこれが夢だったってことも……)
小さな希望を抱きつつ、私は最後の意識を手放した。
こうして私は深い眠りについたのであった。
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昨日は怒涛の一日であった。なにせいきなり大自然のど真ん中に連れてこられてサバイバル生活を強いられたのだから。それでもどうにか一日目を無難に過ごせた私は疲れから深い眠りについていた。
しかしその眠りは唐突に妨げられた。きっかけは自分以外の誰かの声であった。
(ん……?人の声……?)
まだ半覚醒にも満たない意識の中で私の耳は誰かの話し声をとらえた。内容までは聞き取れないがどことなく興奮したような声、あるいは誰かが命令するかのような鋭い声が聞こえた。
ただそれらは「私」に向けての声ではないように感じた。ならばここで起きる必要はない。私はもう少し寝かせてほしいというその意思を現そうとしたのか、寝ぼけながらに腕を振る。そしてその腕が硬く冷たい石に触れた。
「あ、れ……?」
手に返ってきた天然の岩の質感。それは私に昨日のこと、サバイバル中だということを思い出させ、そして今しがたから聞こえていた声に思い至らせた。
(……あっ!?誰かいるのか!?私以外の人間が!?)
昨日以来ようやく会えた自分以外の人間。意識を一気に覚醒させた私は勢いのまま飛び起き、そしてそこにいた存在に目を止めた。
「……えっ!?」
そして私は驚き固まった。
そこにいたの人間だった。いや、「おそらく」人間だったといった方がいいだろう。なぜならそこにいたのは皆身長が60センチメートルにも満たない小人たちだったからだ。