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1-2

 トラックに弾き飛ばされる衝撃、それからどのくらい時間がたったかは私自身にはわからない。ともかく私の意識は一度完全にブラックアウトし、そして今ようやく目覚め始めた。

 ゆっくりと輪郭を取り戻した私の意識がまずとらえたのは「あたたかい」という感覚であった。


 あたたかい。


 うまく言い表せられないがあたたかく、そしてそれは心地よかった。寝ている背中は硬いものに触れている。不意に私は手を伸ばす。無意識のうちにベッドを探しているのかもしれない。

 しかしその手はマットレスやシーツを見つけることはできなかった。その代わり指先はじゃりっとした地面を撫でた。


(あれ……?土……?)


 当たり前だが普通は土に触れるような場所で眠ったりはしない。その違和感は覚醒を促し、そしてほどなくして鼻が土と草のにおいを感じ取った。


土と草。


ここでようやく私は今自分が寝ている場所がおかしいことに気付いた。


「えっ……?あ、あれ?ここは……?」


 慌てて飛び起きた私の目にまず入ってきたものは青い空であった。むき出しの空、それはつまり私は外で寝ていたということだ。

 なぜこんなところで寝ていたのだろうか。一体ここはどこなのだろうか。そう思い周囲を見渡して私は再度驚愕する。

 なんとそこは草原のど真ん中であった。目に付くのは草木やむき出しの地面、はるか遠くの地平には山々がかすれて見え、そして空はひたすらに高く広がっていた。パッと見た限りでも人工物など全く見当たらない、野外だなんて生易しいものではない、ここは大自然のど真ん中であった。


「あ……へ?はぁっ!?」


 当然ながらパニックになる。こんなところで目を覚ます心当たりなどないのだから。

 だがそんな頭でも自己防衛本能は働いたのか、私は慌てて近くの茂みの陰に飛び込んだ。何に警戒すればいいのかもわからぬまま息をひそめ周囲を見渡し状況を把握することに努める。

 心臓は早鐘のように鳴っている。


「なんだ……なんだ……どうなってんだ……?」


 誰に聞かせるでもなく叫ぶかのようにつぶやく。あるいは夢から覚めようとしたのかもしれない。しかし夢から覚めることはなく徐々にはっきりしていく意識が今この瞬間が現実であることを理解させていく。


 訳が分からない。動悸が早くなる。だが幸いにも記憶の方はだいぶ戻ってきた。私は落ち着いてここに至るまでのことを思い出そうとした。

 確かあれはいつもと変わらない朝だった。いつものように家を出てバス停でバスを待って……そうだ、確か自転車が来て、それにつられて皆が押されて……そしておばあさんが転ばないようにして……。


「えっ……」


 そして自分の記憶が巨大なトラックとぶつかるまさにその瞬間で途切れていることを思い出した。

 ただ思い出したところでそれは混乱に拍車をかけるだけだった。


「え……嘘だろ……?トラックに……?えっ?どう言うことだ……?」


 慌てて体をまさぐる。しかし目に見えて身千切れたところなどなく、それどころかスーツには血すらついていない。

 それだけでも不可思議なことなのだが、それ以上につじつまが合わないのが自分がこの場所にいることである。

 記憶は戻った。その正確性に自信もある。しかしそれはどう考えてもこの場所、このだだっ広い草原にはつながらない。混乱に混乱が重なりショート寸前となる中、ふとある言葉が私の頭の中に浮かんだ。


「まさか……異世界……?」


――――――――――――――――――――――――――――――


「異世界にでも来ちまったのか……?」


 そうつぶやいてから私は慌てて首を振った。


「い、いやいや、そんな馬鹿な……トラックにひかれて異世界だなんて、そんなアニメやマンガじゃないんだから……」


 私はあざけるようにつぶやいた。しかしそれ以外に答えらしい答えは浮かんでこない。少なくとも「それはありえない」と言い切れないのが今の状況だ。

 思わずぞっと背すじが寒くなる。


「くっ……!考えるのはやめだ……!それよりももっと周りを見てみないと……」


 改めて感じた危機感は私に行動を促した。そうだ、今足りないのは情報だ。もしかしたら慌てていた自分が見逃しただけでどこかに人工物があるかもしれない。

 しかしその淡い期待は周囲に視線を巡らすたびに薄れていった。

 改めて周囲を見渡して気付いたことは、当初の認識通りここがまさに大自然ど真ん中だということだ。

 見渡す限りの草原で人影も人工物も見当たらない。自然のままに育った木々。無造作に転がる岩。風が一面の草原を撫で、まるで海のような緩やかな波紋を絵描いている。

 その雄大な自然は、地理には詳しくないがサバンナ、あるいはオーストラリアの自然保護区あたりを連想させた。もはやここが日本国内かどうかすらはっきりとしなくなってきた。


 ただまだあきらめるには早い。観察して気付いたのだが、どうやらこの平原は純粋に平地というわけではなく緩やかに起伏をしているようだ。よく見れば小高い丘が所々にあり、そこでは視界が遮られている。その向こうにまだ見ぬ何かがないとも限らない。


「よし……!」


 どんな危険があるかはわからないがこのままではらちが明かない。幸いにも周囲に肉食獣の類はいなさそうだ。

 私は意を決して立ち上がり、そしてあたりをつけておいた丘に向かって身をかがめて駆け出した。


――――――――――――――――――――――――――――――


 そこは小高い丘だった。

 私が潜んでいた草むらから程よく近く、そしてその中で一番高い丘だ。ここなら先ほどまでよりももっと遠くまで見渡せるだろう。そしてその先には私のよく知る「日常」が待っているかもしれない。

 しかしその希望はあっけなく打ち砕かれた。丘の最も高いところまで登った私。そこから見えたのは先ほどまでと変わらずひたすらに草原で、やはり人の営みの跡らしきものは何も見えない。

 その事実に私もとうとう力なくへたり込むしかなくなった。


「うそ、だろ……?じゃあ俺はこれからどこに行けばいいんだよ……?」


 大自然は想像以上に大自然であった。そしてそんな場所に立った時、現代人は実に無力であった。

 コンビニはない。ファミレスもない。建物もない。家もない。風雨をしのげる屋根一つないし清潔な水が飲める水飲み場もない。どこに食べるものがあるかもわからないし、そもそも何が食べられるものなのかもわからない。現代人は本当に力のない生物であった。


「は、ははは……」


 その残酷な現実に思わず乾いた笑いが漏れる。フィクションの世界ですらたとえ異世界ど真ん中に飛ばされたとしてもすぐにその世界の人間の生活圏に合流できる。そこであったかい食事や柔らかいベッドといった人間らしい生活を再度得るのだがどうやらそれすらも望めそうにない。

 目に見えるバス停がなくなった人間はもはやただその場にへたり込み放心するしかなかった。


「………………。あれは……」


 しばらく放心していた私であったがやがて意識を取り戻す。原因はたまたま放心して見下ろしていた丘の斜面に何か実のなっている木を見つけたからだ。

 それはうすぼんやりとした赤い実で木の所々にポツンポツンとなっている。葉に覆われてはっきりとは見えないがそれはリンゴか何かの実に見えた……

とそれに気づいたところで、体は正直なのかグルルと腹が鳴った。


 そういえば長いことなにも口にしていない。朝食にトーストとコーヒーを腹に入れてきてそれだけだ。私は朝はあまり食べない派で、昼食までは職場のデスクに隠してあるお菓子をつまんで過ごすというのを日課としていた。そんな不健康な食生活の影響がこんなところで出るとは。


 グルルルル。


 一度意識してしまうともう空腹を忘れることはできなかった。私は今一度立ち上がり、そのリンゴらしき実がなっている木に向かって歩き出した。


「これ、リンゴ……だよな?」


 近づき木を見上げる私。少し自信がなかったのはそれが私の知っているリンゴの木とは違ったからだ。

 私の中にあるイメージは青森かどこかの果樹園のそれである。背が低く身が採りやすい、そんな木だ。しかしこの木は普通の木のように高く伸びている。自然のまま、と言ってもいいかもしれない。枝も無造作に四方八方に伸びており、そしてそんな枝の先にやはりリンゴらしき実が無造作になっていた。

 その実もスーパーで並んでいるような瑞々しい丸いそれではなく、全体的に細くしなびておりスカスカそうな印象を受ける。

 しかし現状食べられそうなものは周りにはない。私は疲れ切った体に鞭を打って木に登り、できるだけ多く実がなっている枝に当たりをつけてぶら下がり、体重をかけてその枝を折った。

 こうして採った実を手に取り改めて近くで見るとやはりリンゴに近い果実のようだ。


「食べられそうではあるな……」


 見た目はしなびたリンゴ。嗅げばほのかに甘酸っぱい香りがする。完全に勘だが毒があるようにも見えない。

 自然になっている実を採って食べるという行為は少々野性的すぎてためらうが今はまさに背に腹は変えられない。私はままよと言ってその果実にかぶりついた。


「………………。微妙だ……。食べられなくはないが……」


 かじりついて数度咀嚼した感想はその通りだった。食べられなくはない。

 だがはっきり言ってしまえばまずい。少なくともスーパーに並ぶような味ではない。全体的にスカスカで瑞々しさがなく、芯のような変に硬い組織がやけに口に残る。奥のほうには蜜らしきものもあったがそれもほとんど酸っぱい寄りの甘酸っぱいで、時には本当にただ酸っぱいだけの実もあった。

 だがそんなものでも貴重な食糧である。私はゆっくりと、半ば強引に採った実をすべて腹の中に入れた。

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