2−1 猫系美少女転校生
「風が吹けば桶屋が儲かる」の意味は誤解されている。このことわざの真意は、出来事の発端を明確にするのは不可能ということだ。
そもそも物事に明瞭な始まりは無いと言うこともできるが、僕がこれから体験する騒動に限っては、その発端を断言できる。全ての始まりは、彼女が転校してきたことであった。
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「今日からこのクラスに、新しいお友達が加わります」
朝のホームルームで担任が述べた言葉は、ネムネムな目をした生徒たちの目をギラギラにした。カッコいい子かな、頭いいかな、スポーツ出来るかな、そんな妄想談義が至る所で開始する。
根も葉もない理想像と比べられる転入生の気持ちになれバカ、と心の中で思いながら、僕は脳内で福笑いを開始した。パーツが全てあるかも怪しいような顔が完成。──よし、準備バッチリだ。
「尾割さん、入っていいわよ」と担任が促し、ガチャリとドアが奥に開く。驚いたことに、そこには乱立されたハードルを優に飛び越える可愛さのショートカット女子が立っていた。──マジですか。
猫耳のカチューシャを揺らしながら教壇に上がった少女は、こう言った。
「私は尾割千莉にゃ。みんな、よろしくにゃん♪」
──"千莉ちゃんフィーバー"が始まった瞬間であった。
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5時限目のチャイムが昼休みへの突入を告げると、文字通り一瞬で、尾割の周りに肉の壁が構築された。その中には女子も大勢いて、可愛い女子が妬まれるのは世の常だと思っていた僕は不可解に思ったが、尾割の受け答えを聞いて納得した。
「千莉ちゃん、カワイイよねー」
「ありがとにゃ!でも、猫ちゃんたちのカワイさには勝てないのにゃー」
──完璧な返しだ、と思った。客観的に可愛いことが明白な尾割が否定や謙遜をすれば、嫌味にしか聞こえない。そこで、猫という比較不可能の対象とあえて比較することで、一切の嫌味無く謙遜した感じを出している。
「どうしてそんな喋り方になったんだよ、尾割」
「小さいころ頑張って猫ちゃんと話そうとした名残なんだにゃ!恥ずかしいけど、語尾に"にゃ"って付ければ本当にお喋り出来ると思ったんだにゃ...」
僕は八方美人が嫌いだし、実際マイナスの言葉で使われる。しかし、溢れ出る愛嬌と無邪気ながら誰も傷つけない言動を兼ね備えた尾割は、それを二乗してプラスにできるくらい無敵だった。
佐々波も尾割の爪の垢が飲めば少しはトゲが取れるんじゃないか、なんて思いはすぐに封じ込めた。
商店街の一件は忘れようと決めていたから──。
「そうだ、放課後、誰かが千莉ちゃんに学校を案内するのはどう?」
誰がが言った。その言葉に尾割自身も同意し、唐突な案内人決めが始まった。希望者を募ると大方の生徒が手を上げたので、結局、公平を期して尾割が決めることに。
皆の注目が集まっても尾割は全く緊張するそぶりを見せず、右手を銃の形にして堂々と高く掲げると、一気にビシッと振り下ろした。
「早く皆と仲良くにゃりたいから、まだ一度も話したことのないキミにするのにゃ!」
クラス全員の目が、尾割の人差し指が示す方向を追って、僕に集まった。本当に勘弁して欲しい。
「おいおい、そいつは新人だぜ!適正全無しのゴミだぜ!」どのクラスにも一人はいるアホDQNが吠えた。
やめなよDQN君みたいな雰囲気になり、気まずい空気が流れる。尾割も、相当驚いた顔をしていた。
「そ、そういうことを言うのは良くないにゃ。それに、学校案内に適正は関係無いにゃ?」
尾割が言うならとDQNは渋々引き下がり、案内人決めは解散となった。やれやれ、前世が無いとロクなことが無いな。
【真くん、君は内心では新人でありたいわけだ』
......そんなこと思うかバーカ。
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「それで、4階の角のここは──」
「不死原くん。事情を知らなくて、さっきは変に注目を集めさせちゃってゴメンだにゃ」
放課後、僕が音楽室を紹介しようとしたとき、急に尾割が誤ってきた。
「あぁ、別にいいさ。あんなこと前は日常茶飯事すぎて、僕の精神防御力はカンストしてるからな」
「ふにゃぁ?......キミは優しいにゃー」
尾割は僕の言葉に対してかなり驚き、戸惑ったような顔をしていた。──いや、カンストは冗談だからな。
ともあれ尾割に笑顔が戻ったので、改めて音楽室を紹介する。
「不死原くんは何か楽器弾けるのかにゃ?」と聞かれたので、「ピアノなら」と答えた。
「ホントかにゃ?!なら──『猫ふんじゃった』を弾いて欲しいにゃ」
「ああ......別にいいけど」
僕は椅子の高さを調整して座った。横で尾割が目をキラキラさせて見ている。弾き始めると、彼女はぴょんぴょんジャンプして喜んだ。それを見て僕も少し楽しくなって来て、『猫ふん』をいろいろアレンジして弾いてやる。尾割は顔を><にして喜ぶ。ゴーシュもこんな気持ちでセロを弾きゃ良かったのに。そんなことを思いながら、僕はピアノを弾き終えた。
「ふぅ」僕は一呼吸ついて、鍵盤に蓋をした。
「いやー感無量だにゃ!この曲とっても好きなんだにゃ!」
「猫が踏まれるって内容なわけだが......猫さんサイド的にはオッケーなのか?」
「オッケーにゃ!」尾割がビシッと親指を立てた。「あ、そうなんすか」と言い、僕らは音楽室を後にした。
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「不死原くん、今日は本当にありがとうだにゃ!不死原くん優しいし面白いし、とっても楽しかったにゃん」
学校案内を終えて、僕らは校門の前にいた。
「たいしたことじゃないさ。この高校なぜか入り口が二階だったりして複雑だから、迷ったら聞いてくれ」
尾割がうつむいて、複雑そうな顔をした。──まただ。この学校案内で、何度も見せた顔だった。その心の内は読めないし、いろいろな感情が渦巻いてるんだろうけど、いちばんの感情は悲しさじゃないかなと、僕は身勝手に想像していた。
不意に、尾割が意を決したように顔を上げた。その茶色の綺麗な目が夕日に照らされ輝いている。
「......不死原くん。キミって、本当に新人にゃの?」
「え?急になんだよ」
「答えて!」
尾割がドスの効いた怒声を上げた。初めて聞く大声に、僕は思わず怯む。
「そ、そうさ。僕は新人だ。前世なんてありゃしない。でもそれを聞いていったい──」
「......ふふっ、そっか」
僕の言葉を聞いた途端、尾割は急に笑顔になって、僕に微笑んだ。
「いやーとっっても安心したにゃん。まったく、不死原くんが変に優しいフリをするのが悪いにゃあ」
僕は返事しなかった、いや、尾割の迫力がさせなかった。尾割がニコニコして近づいてくるのを、僕はただ見ていることしか出来ない。
彼女は僕にそっと抱きついて、耳元で囁いた。
「ねえ、どうして前世が無いなんて嘘つくの?」
頬を一筋の汗がツーっと落ちていった。風がその跡に吹き付け、体温を奪っていく。
僕が気づいた時には、すでに尾割は離れていた。何事も無かったかのように、可愛い顔でこちらを見ている。
「明日、学校あったかにゃ?」
「......明日は土曜日だ」
「そっか、なら、キミを殺すのは月曜日になるわけだにゃ」
「そ、そういう冗談言うタイプだったのか。意外にユーモアが──」
突如、尾割が右腕を斜めに振り上げた。あるじゃないか、と言葉を続けようとした瞬間、僕の右腕に焼けるような痛みが走った!
「うあああ!」
右腕に、三本の赤い線が深く深く刻まれていた。──痛い。血が止まらない。痛すぎる。どうして。
混乱する僕は右腕を押さえてその場にうずくまった。上から陽気な声が聞こえてくる。
「それじゃ不死原くん、月曜日にまた会おうにゃー。では、さらばにゃ!」
尾割が走り去る足音が聞こえる。僕は背を無様に丸め、その場でうめき声を上げることしか出来なかった。