70. ディアーナ・ヴェド・ベネット
「なあ、俺…何で寝てたの?」
目覚めたリアムと騎士達は影と闘った記憶がすっぽり抜け落ちていた。恐らく影も同様だろう。出来ればアナスタシアが暗殺を指示するまでの記憶が抜け落ちてくれれば良いが、こればかりは祈るしか無い。
時間だけは経過しているので示し合わせたように抜け落ちた記憶にリアムは首を傾げているが、真実を伝えるのはセウェルスを出てからで良いだろうと判断する。
あの後、ディアーナはゲームの強制力…つまりアナスタシアの暴走で戦争が引き起こされる可能性を示唆した。
確かにディアーナと共に現れたアナスタシアはまるで幽鬼のようで何かに操られているようにも見えたから恐らくそうなのだと思う。
(まあ、強制力か何だか知らないが俺は諦めるつもりは無いからな)
そうしてルーファスはあの時の事を思い返した。
ーーー彼が居ない世界でわたくしが生きていると思う?
多分、あの瞬間を狙われれば簡単に殺されていた。
それ程までに衝撃的な言葉だった。
分かっているのか…いないのか、多分無意識に出た言葉なんだろう。そう思うと尚更…そこまで考えたルーファスは机に突っ伏す。
「ルーファス?」とリアムが驚いて声を掛けてくるが、今の顔だけは流石に恥ずかしくて誰にも見せられない。
全員記憶を無くしていて良かった。あの言葉は自分だけのものだと、ルーファスは幸せを噛み締めた。
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アナスタシアが目覚めた時、見慣れた寝台の中にいた。
身体を起こしてからぼんやりする頭を振ると、視界に白銀色の髪が見えてアナスタシアは動きを止める。
「…お姉様?」
掠れた声で姉の名を呼ぶ。名を呼ばれたディアーナはベッドサイドに置かれていた水入れからコップに水を注ぐと、アナスタシアの背を支えるようにしてからコップを手渡した。
喉がカラカラな事を思い出し一気に飲み干すと、ぼんやりした頭がようやくクリアになってくる。
記憶が曖昧な部分があるが自分が何を望んだかはハッキリと覚えている。
何て恐ろしい事を考えたのだろうと、アナスタシアは震える両手を見下ろした。
「…大丈夫。全部終わったわ」
ディアーナの細い指がアナスタシアの頭をゆっくりと優しく撫でた。
「…終わった…って、ルーファス様は?!」
ディアーナに縋り付くようにしてアナスタシアは震える声で確認する。
(お姉様の大切な人なのにっ!クルドヴルムの国王なのにっ!!何て事をしてしまったの?!)
アナスタシアの気持ちを察したのか、ディアーナは優しく告げた。
「ルーは無事よ。誰も何も傷ついてないわ」
「でもお姉様!私…私のせいでクルドヴルムと戦争になってしまうかもしれない。そんな事になったら私…」
「いい運動になった、ですって」
「…え?」
ポカンと口を開けたアナスタシアにディアーナは微笑む。
「ルーからの伝言。だから大丈夫よ、何も起こって無いのだから戦争なんて起こらないわ」
ディアーナの言葉に安心したのか、アナスタシアの両目に涙が溢れる。
「だけど影の命令は止めてね。今回は大丈夫だったけど次は分からないもの。…それと…」
頷くアナスタシアの額にコツンと自分の額を合わせる。
「あとで一緒に謝りにいきましょう」
そう言って、ディアーナはアナスタシアを抱きしめた。
アナスタシアはディアーナを抱きかえすと、うんうんと大きく頷く。
「…私、悲しいけど…すごく辛いけど…頑張ってお見送りするわ……だって、大好きなお姉様だもの」
「わたくしもアナスタシアが大好きよ」
腕の中で泣くアナスタシアが泣き止むまで、ディアーナは優しく抱きしめた。
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翌日、ディアーナは臣籍降下の儀式を終えて、その名をディアーナ・ヴェド・ベネットに改めた。
「ベネット伯爵!ふふっ、私が一番に呼んじゃった」
儀式を終えて駆け寄ってきたアナスタシアが嬉しそうに笑う。
「一番とか関係あるのか?俺には分からないが…アナスタシアが喜んでいるならいいか。ーーおめでとう!ベネット卿」
アナスタシアの隣に立つクリストファーが祝いの言葉を述べ、後ろを振り向いた。
振り向かれた先に、複雑な顔をして立っていたハリソンもディアーナの側に寄ると、泣き笑いのような笑顔を浮かべる。
「おめでとうディアーナ…。あのさ…!!」
何かを言いかけてから、首を傾げるディアーナを見てハリソンは口をつぐむ。
「……いや、何でもない。クルドヴルムで沢山学んで来いよ」
今度は努めて明るい笑顔をディアーナに向けた。
「ありがとうみんな!わたくし、セウェルスに少しでも貢献出来るように、クルドヴルムで沢山学んで来るわね」
ディアーナは三人に向けて満面の笑顔で答えた。
「王女殿下…いや、ベネット伯」
名を呼ぶ声に振り向くと、ブランドル公爵とネヴァン公爵が立っている。
臣籍にくだったディアーナにとって公爵は上座。
その為、ゆっくりと膝を落としてカーテシーを行った。
「いやいや、私的の場で礼は不要です。ネヴァンから聞きました。クルドヴルム国王陛下には私からも謝罪していたとお伝え下さい」
ブランドル公爵はディアーナを制してから耳元に顔を寄せるとそっと囁く。「そのように」と、ディアーナは返した。
「伯爵位となっても私にとって王女殿下である事に変わりはありません。ハリソンの件は今でも残念ですが…何かあればすぐお戻り下さい。その時は、私とそこに居るネヴァンが貴女様をお護り致しましょう」
ブランドル公爵の愛情にディアーナは思わず泣きそうになるが、どうにか堪えて笑顔を作る。
ネヴァン公爵が自分が伝えるつもりだったとブランドル公爵にボヤいているのを見て、ディアーナは声をあげて笑った。
独りぼっちだったあの頃に比べ、自分は何て幸せなんだろう。
ディアーナは湧き上がる想いに胸が熱くなり、そっと目を閉じた。