59. ディアーナとルーファスの密談
ディアーナはルーファスの頭を抱えるように抱きしめた。
ディアーナの成長した胸の中にすっぽりと収まったルーファスに柔らかな感触が伝わる。
香水ではない、ディアーナの内から香る甘い匂いがルーファスを鼻腔をくすぐった。
ルーファスはソロソロと顔を覆っていた腕を下ろすと、ディアーナの細い腰を折らないようにそっと腕を回す。それからディアーナの胸に顔を埋めるようにして目を閉じた。
「…嫌だ」
ポツリと、ルーファスは呟く。
知らぬ内にディアーナを抱きしめる腕に力が籠もったようだ。ディアーナが苦しそうに息を吐くがそれは緩められる事は無い。
苦しさに身を捩りそうになるのを耐え、ディアーナは子供みたいに縋り付いているルーファスの頭を優しく撫でた。
「…っ、ルー」
苦し気に名を呼ばれた事でルーファスは我に返り、力を緩めると顔をあげる。
「ごめんっ!ディアーナ」
慌てて謝罪するルーファスに、深い息を吐いたディアーナは悲しそうに眉を下げて口を開いた。
「…泣かないで」
紫色の瞳が心配気に揺れている。細い指先がルーファスの目元に触れ、気づかない内に溢れていた涙を拭ってくれた。
「ごめん…。俺は結局あの頃から何も変わってない。男らしく在りたいのに、恥ずかしい姿ばかり見せてしまう…」
僅かに頬を染めたルーファスは恥ずかしくなり視線を逸らした。
昔よりも凛々しくなって現れた友達の、昔と同じ姿に懐かしさを感じたディアーナは首を振る。
「どんな姿でもルーは…わたくしにとっての一番よ」
そう言ってもう一度ルーファスの頭を抱きしめた。
「ごめ…ちょっと…冷静になると色々…辛い」
ディアーナの腕から抜け出し、頭をあげたルーファスは真っ赤になっている。
片手で顔を覆い、もう一方の手は待ったをかけるようにディアーナへ向けられた。
ディアーナは訳が解らず首を傾げる。
その様子を黙って見守っていた執事精霊サミュエルだけが、主人の心情を冷静に察知していた。
ルーファスの目の前に立つのは、妖精のように美しくも愛らしい顔。柔らかそうな白く細い体に、折れてしまいそうな程に細い腰。それにも関わらず豊かに実った胸を持つ絶世の美女だ。それに加え彼女から無意識に漂う色香は男達を惑わせるのに充分だろう。
そんな女性に抱きしめられれば、健全な男性なら思考が別方向に動くのは当然だ。その相手が一途に愛する人であれば尚更、理性との葛藤は想像を絶するものだと容易に推測出来る。
「具合悪い?大丈夫??」
無意識程に恐ろしいものは無い。
ディアーナは制止するルーファスの手をギュッと握るが、ルーファスは益々赤くなり俯いてしまった。
握られたルーファスとディアーナの手に、そっとサミュエルの手が置かれた。
『ご無礼致します』
サミュエルはディアーナに向けて微笑むと、そのまま主人であるルーファスの頭に向けて手刀を落とした。
「えぇっ⁈」
驚きのあまり口を開けるディアーナをよそに、サミュエルはルーファスを見下ろす。
『嘆かわしいですよ。我が君』
ルーファスは頭を押さえて悪態をつきながら呻いた。
サミュエルは気にする様子もなくディアーナに向き直ると、胸に手をあて低頭する。
ディアーナは目をパチパチ瞬くと「ノアと全然違う」と唖然として呟く。
『幼い頃よりルーファス様のお側に仕えております。執事精霊サミュエルと申します。今のはーー応急処置にございます』
応急処置?とディアーナはルーファスに視線を移した。
余程痛かったのか頭を撫でているが、顔の赤みは引いたようだ。
「言いたい事は諸々あるが、助かった」
そう言ってルーファスは頭をあげ、ディアーナに自分の隣に座るよう示す。
サミュエルは一礼すると、また元居た場所まで下がった。
ルーファスに示されたまま隣に腰を下ろしたディアーナだが、手刀を落とされた頭を心配しているようだ。
紫の瞳が揺れているのを見て、ルーファスは安心させるように微笑んだ。
「師匠の修行に比べればマシだよ。もう大丈夫」
「ホントに?もう痛くない?」
ディアーナはルーファスの頭に手を伸ばそうとした所で、慌てたルーファスにその手を掴まれた。
「大丈夫。大丈夫だから先程の話に戻そう。…ディアーナは俺が求婚しなければ戦争が起こらない。そう考えているんだな」
「可能性のひとつだとは思ってるわ」
「ではディアーナを連れていく事が戦争となる理由は?」
そう言ってルーファスは掴んだディアーナの手を解放する。
「理由は何でも良いのよ。国王にとってわたくしは死んでも何ら問題の無い存在。だけど王女でもある。
きっと国王は王女が攫われたのを取り戻すとか、適当に理由をつけるのだと思う」
言葉にはしないが、クルドヴルムとの戦争を考える事になった発端は祖母の降嫁かもしれない。
不仲な母親でも息子としては複雑だったのか、先王を降嫁させる事にプライドが許せなかったのか。
祖母達はゲーム内には登場しなかったし、ルーファスの家族構成には元帥の名が記載されていなかった。
それにゲームのディアーナが祖母の降嫁を後押しするとは思えない。
確実にゲームの始まりと、今は状況が違う。
(多分、ゲームの強制力だ)
このままだとセウェルスとクルドヴルムの戦争は避けられない可能性がある。
今のディアーナに出来る事は、クルドヴルムには行かず、王女の価値を失う事くらいだ。
「戦争を起こさない為には…そうね、王族からの追放という形が一番いいのかもしれない」
「正気か?何の罪もないディアーナが何故そこまでする必要がある」
“追放”の二文字は流石のルーファスも想定外だったらしい。追放後のディアーナを心配してくれているのだろう、その顔は僅かに青ざめているようだ。
「わたくしは死にたくないし、国民が死ぬのも嫌。わたくしが追放される事で誰も傷つかずに済むなら、それが一番良いと思うの」
いつかは平民になると考えていた。それが今になっただけに過ぎない。
ルーファスは自分が何を言っても大した効果は無いだろうと、深い溜息をついた。
「ーーリアムにも意見を求める。
但し、俺は諦めるつもりは無いからな。それを忘れるなよ」
真剣な赤の双眸がディアーナを射抜くように見つめている。
何故か身体中が熱くなり、心臓が早鐘のように打つのをディアーナは感じた。