閑話③ ディアーナ・ヴェド・セウェルス
薄暗い回廊に響くのは足音だけ。
ディアーナは目の前を歩く国王夫妻をチラリと見てから、自らの手を握る妹に微笑んだ。
アナスタシアは繋がれた手に力を込めてディアーナを見つめる。
「お姉様は怖くないの?」
「どうして怖い事があるの?わたくし達は聖王陛下の神殿に向かっているのよ」
「王になるのはお姉様が良かった。相応しいのはお姉様だわ」
ディアーナが儀式の権利を放棄した事をアナスタシアはまだ認められないようだ。
ディアーナを見つめる瞳に僅かな非難の色が見える。
「王色を持たないわたくしは王に相応しくないわ。アナスタシアが次期国王になってくれれば、こんなに嬉しい事は無いもの」
「でもっ…!…私が選ばれるとは限らないわ」
今日の儀式はアナスタシアが王になる為の通過儀礼。
以前祖母が教えてくれた事が真実なら、それがアナスタシアも同様なら、聖王の間に入室しても何も起こらないだろう。
ディアーナはそこまで考えて、父である国王に視線を移した。
儀式に向かう前、念のためディアーナは尋ねたのだ。
“歴代の王が遺した書物は確認したか”と。
国王は眉をひそめると「捨てた」とだけ言った。
歴代が遺した遺産ともいえるそれを捨てたと聞いて、流石のディアーナも唖然とするしかなかった。
ーー多分塵を見るような目で見ていたのだと思う。
あえて弁明する必要はないのに、古かったからとか、自分には必要無いと思ったから、とか諸々説明された。
その時、何となく気づいたのだ。
書物を捨てたのは本当かもしれないが、国王は書物を見ている。
自分の事も、歴代達の事も全て…知っているのだと。
もっと早く確認しておけば良かったのだ。
ディアーナやアナスタシアが物心つく前であれば如何様にも出来たが、アナスタシアはもう10歳。
儀式で真実を知ることになる。
「アナスタシア。国は神が導くものではないわ。人の手で創っていくものよ。儀式の結果は関係ない。次期国王はアナスタシアが相応しい」
今日真実を知るアナスタシアを励ますように、その手を握り返してディアーナは告げた。
「着いたぞ。ここが聖王の神殿だ」
国王は目の前にあらわれた扉の前で足を止める。
金属で出来た扉には細かい紋様が刻まれており、中心部には紫色の大きな宝石が嵌め込まれていた。
扉には取っ手が無く、開く事が出来ないように見えるが、内部に入る方法を四人は知っている。
国王が嵌められた宝石に触れる。
宝石が紫色の光を発して四人を包み込んだ。
あまりの眩しさに全員目を瞑り、次に開いた時には
銀色に輝く神殿の内部に居た。
円形状の神殿は広くなく、中央にセウェルスの紋が刻まれた玉座が置かれているだけで、他には神殿を支えている柱くらいしか無い。
神殿の内部は白に近い銀色で厳かだ。
(”神託の儀式”の知識では神殿の内部まで細かく分からなかったけど…)
ディアーナは楕円形の天井を見上げた。
どうやって採光しているのかは分からないが、玉座の真上に紫色の宝石がひとつだけ嵌め込まれており、光の加減なのか角度によって赤や青にも見える。
(…パパ?)
慌ててもう一度見渡し、宝石と同じような瞳と白銀色の髪を持つシリルを思い浮かべた。
(この神殿、パパの色に似てる?)
「ディアーナ、自分の場所へ移動しなさい」
国王の言葉でディアーナの思考は途切れる。
もっとゆっくり考えたかったが、ディアーナは諦めるように息を吐いてから自分の場所ーー玉座に向かって右側に移動した。
王妃は左側、国王は玉座の正面に立つ。
「では、始めよう」
その声で、ディアーナと王妃は膝を折り、玉座に向かって叩頭する。
アナスタシアはゆっくりとした足取りで、入口から左回りで円形の神殿を歩き始めた。
ディアーナは叩頭している為、アナスタシアの足音しか聞こえない。
その足音がディアーナに近付き、通り過ぎたところでディアーナは頭を上げる。
アナスタシアは国王の正面に立ち、国王からの言葉を待つ。
「アナスタシア・エダ・セウェルス。行きなさい」
国王の言詞に決まりは無い。
ディアーナには掛けた事が無い穏やかな声で、アナスタシアに告げた。
アナスタシアは頷くと玉座に足を向ける。
緊張した面持ちで玉座に座るが、
ーー何も起きなかった。
アナスタシアの顔色が悪いのを見て、ディアーナは抱きしめたい衝動を堪える。
王妃は戸惑うように国王を見上げた。
国王は長い溜息をついてから玉座まで歩を進めると、アナスタシアの肩に手を置く。
「ーー次期国王の其方に”神託の儀式”の真実を伝えよう」
ああ…国王はやはり知っていたのだ。
ディアーナは国王が告げる言葉を黙って聞いた。
アナスタシアは特に動揺する事も無く、儀式の真実を理解したようだった。
神殿を出て王宮に戻る間にディアーナの耳に顔を寄せるとそっと囁く。
「お姉様は知ってたのでしょ。だからあの時、結果は関係ないと言ってくれたのね」
ディアーナは返事の代わりに眉を下げて微笑む。
「私、あの言葉を聞いてからこうなるんじゃないか、って思ってたの。だから私が落ち着いていられたのはお姉様のおかげよ」
アナスタシアはふわりと笑った。
ディアーナは目を見開くと安堵したように微笑む。
「やっぱり貴女は次期国王に相応しい」
アナスタシアなら何があっても大丈夫だと、ディアーナは心から思った。