閑話① 賢者シリル
「パパ!今日はわたくしがクッキーを作ったのよ」
目の前に置かれた甘い匂いのお菓子に思わず目元が緩んでしまう。
ディアーナがここに来た時に、前世の言葉で書かれている日記を見せてもらった。
どうやら思い出す限りのゲームの内容が書かれているらしい。流石の私も異世界の文字は分からないので、それを読みながら説明してくれるディアーナの話を聞くだけだったが…ある文字が妙に気になってそこを指差して尋ねてみた。
「ああ、これはパパ…お父さんの事です。そうそうここで…」
ディアーナは自分が何を言ったのか気付いてないのだろうか。
あの時ディアーナは”父のようなお師匠様”と濁していたが…
ディアーナは日記の内容に夢中だから気付いてないけど、あの時の私はきっと、恥ずかしいくらいに顔が緩んでいたに違いない。
「うん、美味しいね」
クッキーを一口食べて微笑んだ私を見て、ディアーナは満足気に笑う。
大量に作ったクッキーの残りは、ノアを通してルー達に届けるらしい。
直接届けに行けばいいのに。可愛い娘の為なら”城に足を踏み入れてはならない“なんて下らない禁忌など掃いて捨ててあげるのに。
連れて行くよと言っても、
「ルーの頑張りを邪魔してはいけないもの」
寂しそうに俯きながら首を振る。
クルドヴルムには10歳から国中の子供達が学園に通う決まりがある。ルーは色々あって入学が遅れたけれど、元々素地はあるし才能もあるから苦労はしないだろう。
学園は交友関係を広げるのにも使える社交場なので、どちらかと言えばそちらが忙しいのだとは思うがーー
ルーが今度来たら抜き打ち試験と称してボコボコにしてあげよう。
寂しそうにしているディアーナを見ながら私は固く決意する。
それから何年か経ち、私にノアを召喚させるキッカケを作った、傍若無人な可愛い弟子が亡くなった知らせが届いた。
ローランから最後に会って欲しいと請われて、禁忌を犯して亡くなったローランの姉であり、クルドヴルム国王ローゼリアの亡骸と対面した。
触れるとまだ温かくまるで生きているようにも思えるが、彼女はもう息をしていない。
私の大切な子供達は皆、等しく私を置いて去っていってしまう。
もう数えきれない位に大切な者達を見送っても尚、人との関わりを止める事が出来ない私はきっと寂しいのだろう。
ローランは泣きながら苦しげに顔を歪め、側に控えるティアも、盟友が亡くなり涙を流して泣いている。
ルーだけが涙を流す事なく真っ直ぐローゼを見つめながら、唇を固く引き結んでいた。
「ルー…」
「…師匠。僕はお祖母様を超えなくてはいけません。誰もが認める王になって、ディアーナを護ると誓ったのだから…」
目の前で眠るローゼも賢王として名高かった。
身近な関係者には、特にローランからは魔王と称されていたローゼリアだったが、国民への愛は間違いなく誰よりも深い。
そんな偉大な彼女の後を継ぐのは、まだ15の少年。
「ルー、無理をしてはいけません。貴方の周りには、貴方を助けてくれる人が沢山居ます」
「分かっています。でも…」
ルーは悔しそうに拳を握りしめる。
「暫くの間、ディアーナに会いに行く事が出来ない」
偉大な女王の後を継ぐのは並大抵の努力では難しい。
ディアーナを護る為に、ディアーナを切り捨てる。
ではディアーナの気持ちは何処にいけばいいのか…。
そう言ってもルーを困らせるだけだろう。
「ルー、人の心は中々難しいものです。その決意がディアーナに伝わるよう、頑張りなさい」
二人の未来に影が落とされないよう、最低限のアドバイスをしてあげた。
それからまた何年か経ち、ディアーナは誰が見ても美しいと言われる娘に成長した。
白銀色の髪は陽の光で柔らかく輝き、彼女の純粋さを思わせる透明度の高い澄んだ紫の瞳はその容貌と相まって不思議と蠱惑的にも見える。
身体も女性らしく細くたおやかだが、出るところはきちんと成長しているので、髪色どうこうでは無く男性が放って置かないだろうと容易に想像できた。
このままルーが会いに来られなければ、他の誰かに横から攫われるかもしれない。
父親としてはディアーナをより大切にしてくれる方に嫁いで欲しいので、それはそれで仕方ないか、と思う。
そして日々増えるアナスタシア嬢からの帰城を促す手紙。
父娘の時間がもうすぐ終わりを迎えるのだと思うと、寂しさが募る。
ようやく出会えた可愛い娘が私の手元から離れていく事を想像し、私はそっと目を閉じた。