41. ディアーナとルー
ディアーナは目の前で起こった状況が理解出来ずにいた。
目の前に賊の姿はなく、代わりにあるのはディアーナを護るように大きな翼を広げる真っ白なドラゴンの姿。
賊が乗っていた馬はドラゴンに怯え震えている。
僅かに視線を移すと、呆気にとられた騎士団の姿と、血塗れになって動かない賊の姿が視界に入る。
ドラゴンは首をもたげると、つんざくような咆哮をあげた。
「ディアーナ!!」
咆哮の中に、会いたかったルーの声が混じる。
幻聴だろうかと思ったが、もう一度名前を呼ぶ声で、ようやく声のする方を見て
「ルー!!!」
叫ぶのと同時に、ルーの温もりがディアーナを包んだ。
「良かった…。無事で良かった…」
ディアーナを抱きしめながらルーは安堵の息を吐く。
抱きしめる腕が僅かに震えているのに気付き、ディアーナは顔を上げてルーを見つめ、ーー目を見開いた。
その紫色の瞳が嬉しそうに揺れ、ポロポロと涙が溢れ落ちる。
「ディアーナ?」
きっと怖かったのだろうと、抱きしめる腕に力を込めると、ルーの両頬をディアーナの手が包んだ。
「助けてくれてありがとう。それとルーの瞳……」
満面の笑顔で最後は言葉にならず、両手はそのままディアーナはルーの肩に顔を埋めると、声を震わせて泣いた。
「綺麗な赤」と泣きながら言ったディアーナの言葉に、ルーは驚く。
そろりとディアーナから視線をあげて目の前に立つドラゴンの名を呼ぶ。
「ズメイ…」
気付けば2人の前に立つドラゴンの咆哮で怯えた馬や山賊の姿は消えていた。
騎士団やその馬達はその恐怖を堪えているようだ。
名前を呼ばれたドラゴンはゆっくり首だけで振り返ると、優しい瞳でルーを見つめ、甘えるように小さく鳴いた。
ようやく実感できたルーの瞳がジワリと歪む。
溢れた涙がいつかのようにディアーナの指を濡らすと、ディアーナは泣きながらも何かに気付いたようにその腕をルーの首に回した。
ルーはディアーナの肩に頭を預けると「戻った…」そう呟き、静かに泣く。
抱き合って泣き続ける姿を隠すように、ズメイの翼が2人を包み込んだ。
暫くそうしていただろうか。
先に泣き止んだのはルーで、顔を上げるとズメイの顔がすぐそこにあったので優しく撫でてやる。
嬉しそうに鳴くズメイの声でディアーナも顔をあげた。
「ズメイって言うんだ。僕が使役したドラゴンの名前。ズメイ、彼女はディアーナ。僕の友達だ」
ズメイの顔がディアーナの面前まで近付いた。
青い宝石のような瞳がディアーナを静かに見つめている。
初めて見るドラゴンだが不思議と怖くはなく、ディアーナはルーの首から腕を離すと、ズメイの鼻先をそろりと撫でた。
気持ち良いのかズメイは目を細め大人しく撫でられている。
「可愛いね」
「ズメイも喜んでる。ディアーナが気に入ったみたい」
ルーとディアーナはお互い泣きはらした顔で見つめ合いながら、笑った。
「お姉様!!」
「殿下!」
アナスタシアと侍女の声がして、2人は振り返った。
ズメイは包み込んでいた翼を広げると、自らの背中に戻す。
「アナスタシア、怪我はない?」
ルーの腕が緩みディアーナを解放したので、ディアーナはアナスタシアに向かいながら確認した。
「お姉様が無事で良かった!私が我儘を言ったせいでごめんなさい。お姉様はちゃんと危ないって言ってくれてたのに、ごめんなさい!!」
今度はアナスタシアに抱きしめられて泣かれた。
「アナスタシア。貴女が無事で良かった」
「ーー良くないよ」
静かな声にディアーナは声の主を見て息を止める。
そこには普段の優しいルーではなく、冷え冷えとした赤を宿したルーが立っていた。
怒りを隠す事もせずに周りに控える侍女と騎士団を見回す。
「何故国境付近にあるこの湖に、あんな華美な…襲って下さいと言わんばかりの馬車で来たんだ。もしもディアーナ…王女達に何かあればどう責任を取るつもりだった」
少年とは思えない程の威圧感を放つルーに、アナスタシアは怯え、ディアーナにすがりつくようにしている。
アナスタシアが怯えている事を気に掛ける事もなく、ルーは続けた。
「何故止めなかった。クルドヴルムと和平が締結されても国境付近は何があるか分からない。その人数で護れると慢心したか」
「ルー!」
冷たく言い放つルーの言葉をディアーナは遮る。
アナスタシアを侍女に預け、ディアーナはルーの前に立った。
「危険を知った上で最後に許可を出したのはわたくし。全ての責任はわたくしに有ります」
冷たい赤と穏やかな紫が交差する。
自分でも不思議だと思うがディアーナの心は穏やかだ。
もちろん最初は驚いたが、ルーが怒っているのは全部自分の為だと思うと嬉しさが勝る。
「騎士団や侍女達は命懸けでわたくしを守ってくれたわ。わたくしが無闇に飛び出したのがいけないの」
頭を下げたディアーナに周りは慌てるが、ルーは僅かに眉を顰めたまま動かない。
数秒、ディアーナをそのまま見つめてから、大きな溜息をつき頭を押さえた。
「僕は生きた心地がしなかった。実践慣れしてないのに無謀だよ。本当に反省してね」
頭をあげたディアーナを見つめる瞳は、いつもの様に優しく穏やかなものだった。