32. ディアーナの喜び
その夜、ディアーナの部屋にルーが訪れた。
「修行の前に伝えておきたい事があるんだ」
部屋の入口に立っているルーは俯き加減で何か迷っているようだ。
ディアーナはルーの手を取り部屋の中に導くと、そのままバルコニーに続く扉を開く。
「言いたく無い事なら、言わなくていいよ」
ディアーナはルーへ振り返って笑う。
きっと修行に関係する事なんだとは思うが、話したく無い事を無理矢理聞くつもりは無い。
「違うんだ。僕がディアーナに知って欲しいと思ったから、来たんだ」
ルーは首を振って否定すると、ディアーナと繋いだ手を離してからバルコニーの手摺りに背を向けて立つ。
ルーは俯くとひとつ息を吐いた。そして何かを決意したように口を引き結ぶと顔をあげた。
「僕は魔力が無い。いや、無くなったんだ」
「無くなった?」
そんな事あるのだろうかとディアーナは首を傾げる。
「…以前両親達を殺したのは僕だと言ったよね」
ルーの言葉にディアーナは素直に頷いた。
「あれは、両親と一緒にセウェルスへ行った帰りだった。国境付近で山賊に襲われて…僕は魔力暴走を起こしたんだ…」
そう言って、ルーは苦しそうに自分の胸の辺りを掴んだ。
ディアーナは城の教師が言っていたのを思い出す。
国境付近で山ひとつ消え去る規模の爆破が起こり、幸いセウェルスには被害が無かったものの、クルドヴルムの国境付近の村には少なく無い被害が出たと。
そして、その爆発でクルドヴルム王太子夫妻が身罷ったと。
王太子家族がセウェルスを訪れていたのは知っていたが、ディアーナは対面の場に呼ばれていない。
そしてその頃クルドヴルムに対してあまり興味が無かったディアーナは、訃報を聞いてもセウェルスに被害が無くて良かったと思いはしたが、クルドヴルムについては考えもしなかった。
もちろん、王子が生き残った事も。
(クルドヴルム王太子夫妻が亡くなった事故の事は知っていたのに、ルーに言われても気付かなかった…)
ディアーナは猛省した。
山ひとつ消え去る程の爆発なんて、そう簡単に起こる事ではない。どんな魔法を使っても、それこそシリルでも出来るかどうか分からない。
召喚だって、その力があればとうの昔にセウェルスは滅ぼされている。
唯一可能性として考えられるのが”魔力暴走”だが、山ひとつ消す程の魔力を内包する人間こそ僅かだと思う。
「ルー、わたくしっ!」
思わず声を上げたディアーナを片手を上げて制すると、そのまま自分の顔まで持っていき、ゆっくり前髪をあげた。
初めて見るルーの瞳をディアーナは言葉もなく見つめる。
整った顔立ちの中にある双眸には色が無い。
クルドヴルム王族の赤ではなく、ルーの瞳は白。いや透明と言った方が正しいかもしれない。
「ーーこの瞳はその時に変化した」
両親を亡くし、大切な護衛達を亡くし、自らの魔力も失った。
そして王族の赤ではなく色無しになったルーの周囲は必ずしも優しいものでは無かった。
以前夕食の時に話した”出来損ない”と、家臣が口にしているのを耳にした事もある。
もちろん祖父母や大叔父、一部の人達はルーの事を本気で心配してくれた事を知っている。それでも一度に失うものが多すぎたルーは心を閉ざし引き籠るようになった。
「魔力を失った僕を心配した大叔父は、一縷の望みを託し師匠に僕を預けたんだ。でも、あれから一年経つけど僕は未だに変わらない」
そう言ってから、何も反応を示さないディアーナにルーは不安になり「…気持ち悪いよね」と告げた。
「ーーやっと、見せてくれた」
ポツリと呟いたディアーナの姿を見て、ルーは驚く。
「なんで泣いてるの?」
ディアーナの瞳からポロポロ涙が溢れ落ちている。
「ごめんなさい、嬉しいの。ルーがわたくしを受け入れてくれて」
涙を流しながら、眉を下げて困ったように微笑む。
そのままゆっくりルーの目の前まで歩み寄り、そっと手を伸ばすと、ルーの目元を指で優しく撫でた。
色を失った瞳が揺れると、そこから涙が溢れ、ディアーナの指を濡らす。
「ディアーナはこの目が気持ち悪くないの?」
「何で気持ち悪い事があるの?わたくしこそルーのご両親が亡くなったと聞いた時にすぐ気付くべきだった…」
ディアーナは少しだけ背の高いルーの頭に腕を伸ばすと、自分の肩の辺りに引き寄せた。
力いっぱいルーの頭を抱きしめながら、ルーのフワフワと柔らかな黒髪に頬を当てる。
「辛い思い出を話してくれてありがとう。わたくしを信じてくれてありがとう」
過去を打ち明けてくれたルーに心からの感謝を込める。
ルーは肩を震わせると、自分の腕をディアーナに回してすがりつくように抱きしめ嗚咽する。
「ルー。わたくし達、これからも一緒に頑張ろうね」
ディアーナの言葉に、ルーは泣きながら何度も肯いた。