【番外編】王家の盾
ルーファスが戻ってくる。
ルーファスの帰還を知ったクロエは心の底から喜んだ。
これで全てが元通りになる。もう心配する事なんて何もないと。
ルーファスが戻ればすぐに会える。
何を話そうか、成長した自分を見て驚くだろうか。
想像するだけで楽しく、ルーファスが学園に登校を始めたと聞き、早く会えないかと指折り数えて待ち続けた。
「久しぶりだねクロエ。少し見ない内に益々美しくなったね」
王城で対面したルーファスはクロエの成長を喜んでくれた。
会うのは2年間振り、いやそれ以上かもしれない。
学園に通い始めたと聞いてから王城に呼ばれるまで数ヶ月間が空いていた。
いつまでも呼ばれない事が悲しくて、ある時から数えるのを止めた。そうでもしないと公爵家の名を盾にしても会いたいと駄々をこねてしまいそうだったから。
「お久しぶりでございます。殿下」
クロエは漸く様になったカーテシーを披露する。
褒めてくれると思っていたが、ルーファスからは別の言葉をかけられた。
「クロエはここに呼ばれた理由を知っている?」
ルーファスの問いにクロエはカーテシーを解いてから首を振って否定する。
家族からは何も聞いていない。いつもより念入りに準備をするよう指示があったくらいだ。
ジッとクロエの挙動を見つめていたルーファスは溜息をついた。
「クロエに何も言わずここに送るとは…。レスホール公爵は何を考えているのか…」
ルーファスの口から呟くように漏れた言葉に、クロエは意味が分からず首を傾げる。
「クロエ。大人達はクロエを僕の婚約者にしたいみたいだ。年齢も近いし、何より君はレスホール公爵の令嬢だからね」
ルーファスから発せられた"婚約"という言葉にクロエは驚き目を見開く。
冷静になれば立場的にクロエほどの適任者は居ない。
だが何故だか"婚約"とルーファスが結び付かないのだ。
「クロエ、王族が唯一と出会うと、その人しか見えなくなるのは知っているね」
「はい。竜王の血がそうさせると聞いております」
ルーファスはひとつ頷いて話を続けた。
「私は唯一と出会った。私は彼女を諦めるつもりは無い。だから誰とも婚約しない」
「お相手はセウェルスの王女殿下でしょうか。どのような方なのか気になります」
ふっ、とルーファスの口元が緩むと笑みが浮かぶ。
思い出しているのか口元を押さえながら微笑むルーファスに、クロエは困惑した。
クロエに向ける優しい笑顔ではなく、甘く艶のある笑み。
そんな顔をするルーファスをクロエは知らない。
「そうだね。陽だまりのように温かい人だよ」
柔らかな口調は想い人への愛情の深さを思わせた。
ルーファスにとって掛け替えの無い相手だと理解できたが、セウェルスの王族と縁を結ぶのは難しい。
少なくとも婚約者を定めずに放置してもらえる立場では無いのだ。
クロエは思案の結果、ひとつの結論を出してルーファスに向かって一歩進み出た。
「わたくしをお使い下さい。わたくしなら殿下の盾になって差し上げられる。いつか殿下の想う方を迎えられるその日まで、わたくしが殿下の盾になります」
レスホール公爵家は王家の盾。盾の役割を果たせるのはクロエだけだ。
だがルーファスは驚いて目を見開き、息を吐いた。
「クロエには幸せになって欲しいんだ。僕にとって妹のような、大切な子だから」
そう言ってクロエの頭に伸ばされた手は、それに触れる事なくピタリと止まった。
「殿下…ルーファス様。ルーファス様がわたくしに望むように、わたくしもルーファス様に幸せになって欲しいのです」
伸ばした手を引っ込めたルーファスは昔のように優しい笑顔を浮かべながら、首を振る。
「ありがとうクロエ。その気持ちだけで嬉しいよ」
結局、最後までルーファスは婚約者を定めなかった。
◇◆◇◆
ルーファスの結婚式に国中が沸いている。
クロエの視界にはルーファスと、隣に寄り添うディアーナの姿が映っていた。
王妃の筆頭候補として周りから見られていた日々が終わりを告げ、クロエは漸く肩の荷がおりたように思う。
最期までルーファスは婚約者を定めなかったが、他の令嬢を牽制する為にクロエは完璧な令嬢になるべく努力を重ねた。その努力は無駄では無かった。
「お疲れ様クロエ」
いつの間にか隣にやってきたリアムがクロエの背中をポンポンとたたいた。
「いいえ、お父様とお兄様がわたくしを自由にしてくれたお陰ですわ」
そう、クロエひとりでは達成出来ない事だ。
「俺達は何も。クロエが盾となってくれたおかげで、あいつは幸せを掴む事が出来た。次はクロエ、君の番だよ?」
「ふふっ、どうでしょうか」
リアムは背を叩いていた腕を肩に回すと、クロエに微笑み掛けた。
「クロエが俺の妹で良かった」
想像出来ない台詞にクロエは目を丸くする。
「突然なんですの?明日は嵐でも来るのかしら」
リアムは唖然としている妹を見て苦笑した。
本人は気付いていないが、リアムは側で見ていて知っている。クロエの初恋はルーファスだ。
だがその淡い想いはディアーナの存在を知った瞬間に自覚の無いまま終わった。それでもルーファスの幸せの為、そして王家の盾の役割を果たす為、今日までの時間を王家に捧げた。それは誰でも出来る事ではない。
「酷いなぁ。本当にそう思ってるのに」
「まあっ!一応ありがとうと言っておきますわね」
リアムに笑い掛けてから、クロエはもう一度幸せな二人に視線を送る。
視線に気付いたディアーナがクロエに向かって満面の笑顔を向けた。
「ああ可愛いですわ。ルーファス様には勿体無い…」
うっとりとディアーナを見つめるクロエに、リアムは肩を落とした。
「うん、ちょーっと歪んじゃったよね」
「褒めたり貶したり、お兄様も大概ですわね」
兄を一睨みしてから、クロエはディアーナに向かって笑いかけた。
「わたくしの大切な人達が幸せになってくれる事が、わたくしの幸せですわ」
ルーファスにとってクロエは妹でした。またクロエの気持ちを知っていたので、氷の陛下と呼ばれる中、クロエにだけは優しく接していました。