163. ディアーナを護るもの
ズメイの背に横たわるエイセル竜騎士団長は左半身に攻撃を受けたのか肩から腕を失い、吹き出る血がズメイの背を赤く染めていた。
「エイセル竜騎士団長!」
ディアーナはズメイの元へ駆け寄るとその背に飛び乗って目を閉じたまま動かないエイセル竜騎士団長の口元へ顔を寄せた。
僅かに息をしているエイセル竜騎士団長に安堵の息を吐いてからディアーナは治癒魔法を発動するため祈る。
ディアーナの身体が輝き、エイセル竜騎士団長の身体を包み込むと血は止まったが欠損部分が戻らない。
『ディアーナ。神の力で失ったものを戻せるのは神だけだ。彼が失ったものは戻らない』
仲間の竜を目の前で失った悲しみに揺れながらラグナは言う。
ディアーナは真っ青になって目の前で目を閉じるエイセル竜騎士団長を見下ろした。
フレディと違って軽くて少し苦手。けれど一番最初にディアーナを認めてくれたクルドヴルムの重鎮。
武官の彼が身体を欠損する事が何を指すのか容易に想像出来て、ディアーナは小さく震えた。
ズメイを見上げるような形で立っているルーファスも哀し気に眉を顰める。
そして一度目を閉じて俯き、何かを振り払うように頭を振ってから顔をあげた。
本当なら神の力を削いだあと、神が逃げ込むのと同時に飛び込む予定だったがその機会を失った。
シリルが魔王の呪いを利用したのは、ルーファスの考えが分かり、それを止める目的もあったのだろう。
幼い頃から共に過ごし戦闘においては無敵だと信じていたシリルが膝をつき血を吐くまで弱っても神を消滅させる事が出来なかった。
空には未だ羽の生えたものが浮かんでいる。
次の攻撃がくればまた護るべき国民を失う事になる。
それだけは何としても避けなくてはならない。
ルーファスは振り返ってリアムとクラース、そして騎士団を見つめた。
「リアム、クラース。残った騎士団とエイセル公爵を連れて退却しろ」
「陛下を置いていけません。この生命は貴方を護る為にある」
クラースは即座に拒絶する。
「これは王命だ」
「それでもです。私の誇りを奪わないで欲しい」
ルーファスは「大馬鹿者」と苦笑して説得を諦めた。
そしてリアムの肩を叩いて「お前は戻れ」と指示する。
「ふざけるなっ!俺も残る」
「シャーロット嬢に許してもらえないままでいいのか?」
「お前を護れない位なら死んだほうがマシだ。それにお前を放って戻ったらそれこそ許してもらえない」
馬鹿は休み休み言えと、騎士団が見ている中で主君に悪態をついた。
「お前も馬鹿だ」
ルーファスはそう言ってリアムの胸を軽く叩く。
泣き笑いのような顔をするルーファスにリアムは笑った。
攻撃を免れた竜騎士、近衛騎士も退却することを拒んだ事でルーファスはエイセル竜騎士団長だけを王城へ連れていくよう竜に指示を出す。
「お姉様!お怪我はありませんか?」
ディアーナがアナスタシアの元へ駆け寄ると、アナスタシアが抱きついてきた。
「わたくしは大丈夫。それよりもネヴァン公爵。アナスタシアを連れて退却を。これから先、何があるか分かりません」
アナスタシアを受け止めた後、ネヴァン公爵に向けて退却を依頼した。
クリストファーは納得出来ない顔をしていたがアナスタシアを護る事を最優先にしたのか黙ったままだ。
ネヴァン公爵はディアーナに向かって低頭する。
「承知致しました。それでは私一人が残り、王女殿下をお護りいたしましょう」
「ネヴァン公爵?!それでは意味がありません。ネヴァン公爵が守護するのはアナスタシアです」
ネヴァン公爵はゆっくり歩み寄りディアーナの正面に立つ。熊のような大きな身体から手が伸びてディアーナの頭に置かれた。
「殿下はセウェルスの大切な宝です。クルドヴルム王と婚約されても、殿下はセウェルスの姫。お守りするのは当然です」
ネヴァン公爵は目尻の皺を深くしてディアーナを見つめた。
頭に置かれた大きな手からネヴァン公爵の優しさが伝わりディアーナの胸が震える。
「だめよ…。死ねかもしれないのに…」
「私も残ります。これはお姉様の為ではありません。クルドヴルム国王が残るのにセウェルスの王である私が引く訳にはいきません」
「アナスタシア!これはわたくしの問題よ。あれはわたくしの命を狙っているの。貴女に何かあったらわたくしは…」
「お姉様。…お姉様を連れて行くなんて許さない。運命どうこう言うなら私は死なないから大丈夫」
「…アナスタシア」
ネヴァン公爵の横に立ったアナスタシアは空に浮かぶ羽の生えたものを睨みつけた。
戸惑うディアーナにクリストファーが苦笑して「諦めろ」と口だけ動かした。
厳選した人員であった事が災いしてかセウェルス聖騎士団も誰一人退却を良しとせずアナスタシアに付き従う事を願う。
ディアーナはアナスタシアへの忠誠に感謝しつつ、空に浮かぶものに対する打開策が無い事に歯噛みする。
(そもそもあれは何?ゲームでも出てこなかったし、アル自身では無い)
ディアーナは空を見上げた。
空に浮かぶそれは攻撃する事なくただ浮いているだけだ。
それが逆に恐ろしく、背筋に汗が伝う。
ひとまずアナスタシアを護る為に唯一の使役獣の名を口にした。
「フヴェズルング」
名を呼ぶ声に応じてフヴェズルングが姿を現した。
「お願い。アナスタシア達を護って」
フヴェズルングは不服そうに呻くが、主の命令には逆らえないと渋々承諾する。
ディアーナはフヴェズルングの柔らかな毛並みを堪能してからそれが浮かぶ丁度真下まで歩みを進めた。
「ディアーナ?!」
それに気付いたルーファスがディアーナの元へ駆け寄ろうとしたのを「来ないで」と制止する。
ルーファスは一瞬眉をひそめたが、止まる事なくディアーナの元へやって来た。
「来ないでと言ったのに」
「そう言われて止まると思うか?」
ルーファスはディアーナの肩を抱いた。
ディアーナはホッと息を吐くとルーファスの胸にもたれ掛かる。
「どうしたらいいか分からない。またわたくしのせいで騎士が亡くなってしまった。わたくしが死ねば皆助かるなら、わたくしは死ぬべきなのかしら」
「ディアーナのせいでは無い。先程の攻撃は無差別攻撃だ。それにディアーナが死んだからといって神が約束を守るとは思えない。どうしたらいいのか分からない時は…」
ルーファスが言い終わる前に、空に浮かぶものが槍を掲げた。太陽の光を浴びて槍がキラリと光る。
そのままピタリと動きを止めたそれに意識が奪われていると、シリルの声が響いた。
「ディアーナ!!避けなさい!」
シリルの声で弾かれたように意識を周りに集中する。
ディアーナの正面に先程神が放った黄金色の剣が浮いており、剣先を向けてディアーナの胸めがけて向かってきた。
ディアーナの目にはまるでスローモーションのように映るが、足が動かない。
肉を貫き剣先から血が伝い落ちるのを、ディアーナは茫然と見つめていた。