161. ディアーナを愛する神とは
自我が芽生えた時、すでにそれは神と呼ばれていた。
神は管理する箱庭と運命を調停する役割を与えられた。
何をすべきか神は知らなかった。ただ自分が管理する箱庭をただ眺めている日々が続く。
ある時、眺めているだけに飽きた神は、興味本位で箱庭にある山を指で押し潰し、空から水を降らせてみた。
すると箱庭の中で天変地異が起き、その中に生きる生物達の殆どが死に絶えてしまう。
神は箱庭の中にある運命を捻じ曲げた事に気付き、調停者の役割を果たせなかったと恐れ慄いた。
しかし神には何も起きなかった。
自らに罰が下されない事を不思議に思いながらも、しばらくは観察しようと箱庭を眺め続けていた。
辛うじて生き残った生物は。やがてその数を増やし昔のようにコミュニティが出来ていた。
ただ、羨ましかった。
光の世界でたった一人、世界を眺めているだけの神は、箱庭の中で輝く生命の輝きが羨ましく、そして憎らしかった。
神は足元にある土を拾い上げて異形の生物を作り、箱庭の中にあった森の中にその生物を置いた。
羨ましいから少し壊してしまおうという悪戯心だった。
やがて生命を吹き込まれた生物は、分裂し、その力を増やし始めた。反対に箱庭を与えられた時から存在した生物は次第にその数を減らしていった。
またしても箱庭の運命を捻じ曲げてしまったのでは無いかと恐怖した。
このままでは箱庭の色が黒に覆われてしまう。今度こそ罰が下されると思った神に、初めて何かが語り掛けてきた。
このままでは箱庭が使い物にならなくなる。
そうなれば神は消滅すると。
神は自分以外の声に驚きながらも、自分が消滅する事を恐れて箱庭に生きる四人の生物に声を掛けた。
四人の生物には自ら粘土で製作した武器を与え、時にはサポートした。
その甲斐あってか悪戯心から生まれた生物は箱庭から消滅した。
初めて箱庭に生きる生物と会話した神は、生物達がキラキラと輝いている事に喜びと、また仄暗い感情を覚えた。
特に白銀を持つ美しい青年は神の感情を良く逆撫でした。
神は罰を与えようと考え、それを自らに近しい者へ変化させる事にした。
自らと同じように永遠の時を与え、制約を与え、その青年の苦しむ様を見ては心を躍らせた。
それからまた少し経った後、別の箱庭を管理していると名乗る者からコンタクトを受けた。
自分以外の存在に出会ったのは初めてで、嬉しくなって自身が管理する箱庭の運命を細かく伝えた。
ーー遊戯をしないかと。
最初は訝しんでいた神だったが、別の箱庭で生きた生命を自分が管理する箱庭の生命として蘇えらせる。
暇潰しになるだろうと承諾した。
そしてその生命は別の箱庭での記憶を取り戻すよう予め設定した。
また別の箱庭の神にこの世界の運命について話をすると、それは良いと喜ぶので別の世界の生命にその知識を植えてみようと提案した。
二人の神は退屈な暇つぶしの道具として一人の少女を生み出した。
そしてその少女は別の箱庭の運命を終え、神が管理する箱庭に生を受ける。
神は気になった。
こんな風に誰かに興味を持つのは初めてだった。
もっと近くで見てみたい。別の箱庭の記憶、この箱庭の運命を知る少女の側で、少女が運命の通りに生き、何を思うのか、苦しむのか悲しむのか。
居ても立ってもいられず神は箱庭の生物に入り込んでみた。
その生物の生命を奪う結果になったが、神の行動は罰せられないと知っている。気にする必要は無かった。
肉体を持つのは初めてで誤って湖に落ちてしまったが、それをまだ幼さを残した少女の手が拾い上げた。
初めて触れる温もり、温かな柔らかい体。
そして神を見つめる興味津々の優しい透明度の高い紫の瞳。
「アル。…あなたの名前、アルはどう?」
初めて付けられた名に、神は歓喜に震えた。
永遠を生きる虚無感や孤独が一瞬で埋められ、全てが少女に染められた。
それは少女が成長し、まるで蕾から大輪の花を咲かせるかの如く美しい娘に成長するにつれ、娘を永遠に自分の物にしたいという気持ちに駆られた。
だがこの箱庭での行動は神の一存でどうにでもなる。
連れて行くのはいつでも出来ると神は娘の側で幸せを堪能した。
反面、予定外の事も起こっていた。
この箱庭の運命を先に知っていた娘が運命に抗った事だ。
遊戯の結果としては面白い流れだが、今迄と違い他の箱庭の神も介入している。
今まで許されてきた調停者としての役割を果たさない場合の罰が恐ろしかった。
娘の周りに介入したり、かつて土塊から創造した魔物の残骸を探して増殖させたり、出来る限りの方法で歯車を元に戻そうとするが上手くいかない。
神は一旦自分の世界に戻り作戦を立てようと考えた。
そうした矢先にかつて自らが創造した道具で、箱庭の世界に生きる者達と対峙する事になる。
先導する一人の男が神殺しも厭わない強い気持ちを持っている事は知っている。
邪魔ばかりする脆弱な生物に神の怒りを与えようとしても、怯む事なく向かってくる姿。
際限なく放つ攻撃が次第に神の力を奪っていく。
神の指一つで滅びる脆弱な生物の筈なのに何故なのか。
次第に焦りが生まれた。
「アル?わたくしの元に帰って来てくれないの?」
聴き慣れた柔らかく心地の良い愛しい娘の声。
神の光は次第に小さく弱々しいものになっている。
運命を辿らせる為に苦しめたディアーナの口から出るのは正体を知っても尚、神のーーアルを求める言葉。
『ディアーナ。僕の世界に行けば僕とずっと一緒だよ』
箱庭の運命はディアーナが鍵となる。
ディアーナが拐われる事で国が滅び、統合されて一つの国となる。
その為にはディアーナの死と、その後クルドヴルムとルーファスの死が必要だ。
だがクルドヴルムとルーファスの死は、神の世界に戻れば一瞬でカタがつく。
何より今はディアーナの肉体を殺して、精神だけを手に入れる必要があった。
「アル。何度でも言うわ。わたくしの幸せはここにある。アルの言う世界に行っても幸せにはなれない。ここに居ればわたくしと一緒に居られるのよ」
それは神にとって一瞬の幸せに過ぎない。
この世界でディアーナを生かしたとしても、彼女はいつか還っていく。神の世界であれば永遠だ。それだけは譲れない。
だから言うのだ。欲しいものを手に入れ、役割を全うする為の方法を。
『ディアーナが僕の世界に来ないと言うなら、僕はディアーナを殺してでも連れていくよ』