160. ディアーナは恐怖を覚える
ディアーナを見つめるルーファスの瞳は穏やかで、怒りや悲しみの感情は見られず静かな海のようだ。
「わたくしと一緒に幸せになるのでは無かったの?」
その声は震えていた。
喉がカラカラに渇き言葉になっているかも分からない。
ルーファスがこれから何をするのか、あまりの衝撃で不思議と涙は出て来ず、代わりに身体中から嫌な汗が噴き出すのが分かった。
「勿論、一緒に幸せになるよ。怪我のひとつもせずにディアーナからご褒美をもらうと約束したろ?」
「……嘘つき」
言葉の先にある意味を察したルーファスの目が見開かれパチパチと瞬いた。
そして眉を下げて困ったように笑う。
「嘘じゃない」
「じゃあどうやって神の世界に行くの?国を護る責任があるなら無茶しないで。わたくしを置いて行かないで」
「危険な場所だと分かっていて連れて行ける訳が」
鼻先が触れる程近い位置で囁きあう二人を見て、アナスタシアは眉をひそめた。
「お姉様の様子がおかしいわ。ルーファス様…お姉様を泣かせたわね。やっぱり婚約破棄させようかしら」
「アナ。クルドヴルム王は何か考えがあるのかも知れない。それをディアーナが反対してるのだろう。国王が自ら危険を犯すのは感心出来ないな」
アナスタシアの呟きにクリストファーは苦笑する。
先程の連携も計画なんてしておらず、ルーファスに一瞬見つめられただけで体が勝手に動いたのだ。
神が言うラスボスと主人公の意味はクリストファーには分からなかったが、ルーファスとの共闘は心が弾んだ。何も言わなくても相手の思考が分かり、楽しいと心の底から感じる事が出来た。
今もルーファスはクリストファー達を見ていないが、何をしようとしているのか手に取るように分かる。
「私の事はネヴァン公爵が護ってくれるわ。クリスは自分の思うままに行動して。そして必ず私の元に帰ってきてね」
クリストファーを見上げて微笑むアナスタシアに「勿論」と、大きく頷いた。
エイセル竜騎士団長とクラースは悠然と佇む黒竜ラグナに目を奪われていた。
艶のある黒が陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
それだけでもラグナの存在が神々しく映った。
「二人とも、陛下がまた良からぬ事を考えている時に何を気を抜いているんだ」
普段のリアムからは想像もつかない程に低い声でエイセル竜騎士団長とクラースを指摘した。
リアムはルーファスとディアーナの姿を見て嫌な予感が拭えない。
このままではルーファスが消えてしまうのでは無いか。そんな風に思えて仕方ない。
「陛下の決める道が俺達の道だ。なぁクラース?」
「陛下の選ぶ道が危険で険しいものなら、俺はそれからルーファスを護るように命を懸けるぞ」
クラースはディアーナ達を見つめるリアムの隣に立つと大きく息を吐く。
ルーファスがとんでもない事を考えているのは想像出来た。クラースの想像ではルーファスの思惑が成功するとは思えない。
だが主従の誓いを交わした相手に何があっても、クラースは自分の出来る事を聞くだけだ。
青年二人の背中を見つめていたエイセル竜騎士団長は、嬉しそうに目を細めると小さく息を吐く。
「万が一の場合も考えておかねばな。…あー、モニカにもう一度プロポーズしておくのだった。これで最後は辛いなぁ」
それでも未来のある青年達に危険が及んだら、エイセル竜騎士団長は躊躇なく生命を差し出せるだろうと素直に感じた。
「危険なら連れて行かないって…ならっ」
『ルーファスを僕の世界に招くつもりは無いよ』
ディアーナが言いかけたところで、金の光が声を発した。
鼻先が触れる程度の距離からディアーナを見つめていたルーファスは邪魔をされた事で明らかに顔を歪めた。
『僕が欲しいのはディアーナだけだ。ディアーナ以外要らない』
ルーファスはディアーナに微笑んでから顔を離すと、金色の光に向かって舌打ちする。
「昔からあざといわ邪魔するわで本当に腹が立つが…残念だったな。ディアーナは既に俺だけを選んでいる。お前に渡すつもりは無いと、何度言えば理解できる?」
勝ち誇ったルーファスに光の気配が怒りに変わる。 怒りのせいか光が炎のようにユラユラと揺れた。
『……僕に逆らう事が何を意味するか身を以て知るがいい』
光が弾けるとその光が無数の矢になり周囲に控える騎士団達に向かって降り注ぐ。
「待っていましたよ。相変わらずこの世界の神だとは思えない程に愚か者です」
シリルが慣れた動作でカラドボルグを一振りすると降り注ぐ金色の矢を消滅させていく。
ラグナは地上に降り立つと大きく口を開き衝撃波を放ち光の矢の方向を変えた。
『どうして邪魔ばかりする!何故僕が生み出した武器が私の邪魔をする!』
「愚か者に言って伝わりますか?」
そう言って楽し気に微笑みながら軽やかに剣を振るシリルと、黙ったまま炎や衝撃波を放つラグナ。
そしてルーファスはグングニルを空に突き出し、光の矢を消滅させた。
想定外の事が続き光は怒りのあまり膨張して次第に大きくなっていく。
ディアーナはアルの身体を自らの胸元に押し込むと、両手を広げて光の壁をイメージするとアナスタシア達含む騎士団の周りにオーロラのような光の壁が現れる。
光の矢はその壁に阻まれてアナスタシア達には届いていないようだ。
ディアーナは息を吐いてから隣に立つルーファスを見上げた。
(絶対にひとりで行かせたりなんかしない)
ルーファスの狙いは神の力を削ぐ事。
そしてその力が弱まったのを見計らって神の世界の道を開く事。
恐らく神が避難する道に飛び込むのだろう。
ルーファスやシリル、ラグナのほかに同行した騎士団の面々が各々光の矢を捌いていた。
次第に光が薄くなり、やがて小さな玉に変化している。明らかに力が削がれているのを感じ、ディアーナは胸の中に居るアルの身体にそっと触れた。
「アル?わたくしの元に帰って来てくれないの?」
ディアーナの呟きは風に乗って消えた。