156. ディアーナは聖獣と眠る
巨大樹の部屋に声を殺して泣く幼い少女。
枕を抱きしめて喪失感を必死に紛らわせようとしている様子に、聖獣の長い耳がペタリと下がった。
トコトコと少女が泣いているベッドに近寄ると、弾みつけ跳躍して枕元に降り立つ。
少女の腕に脚を置き、小さな身体を伸ばしてから僅かに覗く少女の頬をペロリと舐めた。
そのまま少女を慰めようとマシュマロのように柔らかな頬を舐め続けると、のそりと少女が枕に埋めた顔をあげる。
聖獣は大きな瞳を逸らさずに少女を見つめ続けると、少女の腕が伸びて聖獣を包むように抱きしめた。
まだ幼い体の温かさに目を細めた聖獣は、少女の望むまま気の済むまで側に居ようと少女に寄り添い目を閉じた。
あれから気を失うように眠ったディアーナをサミュエルに任せ、ルーファスはひとり巨大樹を訪れた。
ルーファスから報告を受けたシリルは悔しそうに唇を噛み、拳を握り締める。
「殺しておけば良かった」と吐き捨てるように言ってからルーファスに顔を向けた。
「初めてアルを連れて来た時、それが聖獣の亡骸である事は知っていました。中に何かが居るのは分かりましたが、稀に精霊が亡骸に入り込む事もあったのでその程度の事だと考えていたのです。ですから連れて来た時に"精霊に近い生き物"と言いました」
そこまで言ってからシリルは目を伏せ自嘲する。
「アルの中身が神である可能性を考えたのは、サクルフの森に魔物が発生した時です。恐らく魔物の核を復活させるにはそれなりの力が必要で、その結果懐かしくも忌々しい奴の気配がアルに残ったのだろうと思います」
シリルの顔には嫌悪と後悔、なにより激しい怒りが浮かんでいた。
気付かなかった自身に対する気持ちとディアーナを悲しませた事に対する怒りで普段の穏やかな紫が赤く染まっていくのをルーファスは黙って見つめる。
「アルが見つからないのは事実です。あいつの中に神が居る以上何をしてくるか分からない。今出来るのはアナスタシア嬢に連絡を取り、決行の日を早める事だと考えます」
ルーファスの言葉にシリルも頷いた。
「召喚の際にはラグナも呼びなさい。武器だけでは心許ない。私とラグナ、どちらも居た方が神が降臨した過去の状況に近くなる」
「師匠、ラグナと会うのは大丈夫なんですか?禁忌の罰が下りませんか?」
「ディアーナの生命が掛かっているのです。その痛みで血を吐こうとも、ディアーナを失う事に比べたら些事でしかありません。恐らくラグナも同様でしょう」
シリルは当たり前の事だと微笑む。
「ルーファス。先に言っておきますが、もし誰かを犠牲にする必要があれば真っ先に私を選びなさい。不老不死なので命を使えるかは分かりませんが…。ティアとローランが同じ事を考えています。私は子供達を誰一人失いたくありません
「嫌です。俺は誰も犠牲にするつもりは無い」
ルーファスは不機嫌そうに眉を顰めてから断言した。
誰も彼も犠牲になる事ばかりだ。
遺される者達の事を何も考えていない。
「俺が後悔するし、何よりディアーナが悲しみます」
シリルはハッと目を見開くと申し訳無さそうに微笑む。赤の瞳は穏やかな紫になっていた。
「…そうですね。あの子が幸せになる姿を見届けなければなりませんね」
ルーファスは腰に手を当て小首を傾げるとニッと笑った。
「師匠には俺達の子供の面倒を見てもらいますから。ディアーナの子供は世界一可愛いですよ。見たいでしょう?」
「貴方達の子供ならどちらに似ても可愛いですね。女の子なら将来が心配です。相手は厳選しないと…」
「…相手を見つける必要がありますか?俺はずっと側に居てくれて構いません」
「……貴方、生まれる前から親バカですね…。男ばかりならどうするのです?男の子は母親にベッタリですからディアーナを取られてしまうかもしれませんね」
シリルが揶揄うのを聞いて、ルーファスはムスッと唇を尖らせた。
母親にベッタリだった少年時代を思い出す。
父親なのにルーファスに嫉妬して、二人の間に割り込んで来たのを子供ながらに大人気ないと思っていたが、今ならその気持ちがよく分かる。
「息子にも誰にも彼女は渡しませんよ」
ニコリと笑うルーファスは、父親のそれに良く似ていた。
その時、頭の中にディアーナが目覚めたとサミュエルから連絡が入る。
ルーファスはシリルに決行日が決まったら連絡すると告げて王城へ戻った。
『姫様が固まっていらっしゃいます』
王城に戻るなりサミュエルから報告を受けたルーファスはディアーナの居る寝室へ向かう。
天蓋付きの大きな寝台にポカンとしたディアーナが上半身だけ起き上がっていた。
ルーファスの訪れに気付いたディアーナは視線だけで"ここは何処?"と問いかけてくる。
苦笑しながら寝台の端に腰を下ろすと、ディアーナに向けてニコリと笑う。
「ここは俺の、近い将来俺とディアーナの寝室になる部屋だ」
途端にディアーナの顔が真っ赤に染まった。
離れの寝室にルーファスが入る事があっても、ルーファスの寝室にディアーナが入る事はない。
どうしたら良いかいたたまれなくなったのだろう。
「アルが見つかるまでの間、ここで寝るか?」
ルーファスは自分で言っておいて即座に後悔する。
蛇の生殺しになる状況を自分から言い出してしまった。ディアーナの事だからルーファスが理性と闘う事など想像もしていないのだろう。
パッと顔を輝かせた後、婚約者といえど未婚の女性が共に寝る事に抵抗を感じたのかフルフルと首を振った。
「わたくしは離れに戻るわ。もしかしたらアルが帰っているかもしれないから」
アルの中身が自分を殺そうとしている相手だと知って尚、信じたいという気持ちが伝わってくる。
ルーファスは腕を伸ばしてディアーナの頭を撫でてから、そっと笑った。
「分かった。だが無理はするなよ、辛くなったらここに来るといい。ディアーナの離れとはこの部屋で繋げているから何時でも歓迎するよ」
ディアーナは膝立ちでルーファスに近づくと、ルーファスの首に腕を回してそっと抱きしめた。
「ありがとう。寂しくなったら来てもいい?」
ディアーナの温もりが伝わるので、ルーファスは複雑な表情をしてから目を閉じると、平静を装ってディアーナを抱きしめ返した。