142. ディアーナは戴冠式に参列する
学園祭から一週間経った頃、セウェルスからアナスタシアの戴冠式が行われる旨の連絡が来た。
いつ魔物が現れるか分からない中ではあるが、国王の権限を得る為に戴冠式を行う事になったと手紙に書いてある。
そしてクルドヴルムに置いていかれたハリソンもこのタイミングで帰国する事になった。
「師匠がサクルフの森に結界を張って警戒しているが今のところ魔物の出現は無い。だが所々瘴気が溜まっているらしい」
シリルから魔物の核は瘴気から生まれると聞いた。
前回魔物が現れた事で磁場が崩れたのか、サクルフの森から瘴気が発生するようになった。
瘴気を消してもまた別の場所に発生するので、正にいたちごっこだとシリルは言う。
「逆にいえば瘴気だけで魔物は発生していない。戴冠式のタイミングは今が最善だろうな」
ルーファスの言葉にディアーナ達は頷く。
アナスタシア達も同様の事を考えて今のタイミングにしたのだろう。
「戴冠式でのアナスタシアの…王太子の目的はふたつ。ひとつは戴冠式、もうひとつはセウェルス第一王女殿下の婚約発表です」
そう言ってハリソンがルーファスとディアーナを順番に見つめた。
ディアーナはポカンと口をあけ、ルーファスは苦笑する。
「戴冠式に婚約発表って、戴冠式は神聖な儀式でわたくしの婚約を発表する場には相応しくないわ。それにわたくしは伯爵位で王女では無いし…」
アナスタシアの背後にフランドル公爵の気配を感じるが、戴冠式は聖王の神殿ーー国民にも広く認知されている聖王の神殿で行われる。儀式はセウェルス中の諸侯が参列し、戴冠式後は城下でお披露目のパレードが行われるのだ。
どう考えてもディアーナの婚約を発表する時間も無ければ場違いでしかない。
「前に言ってたろ。ディアーナを王籍に戻してセウェルスの王女としてクルドヴルムへ送るって。ベネット領は変わらずディアーナの領地として、籍だけ王族に戻すと父上が言っていたから心配無用だよ」
「それでも婚約発表のタイミングが…」
ハリソンは「うーん」と腕を組んだ。
「そこは俺も詳しくは聞いてないんだ。俺も戴冠式で発表するべきでは無いと思っているから、多分戴冠式後の宴じゃないかな。それなら理に適ってる」
ハリソンの説明を聞いて、ディアーナは確かにと納得する。
宴の場ならタイミングとしては適切だ。
「分かった。アナスタシアの戴冠式前にセウェルスに帰国した方が良いわね。アナスタシアにも会いたいし、何より国王が何かしないか見張ってないと」
アナスタシアが即位すると決まってから父である国王の話は聞こえてこない。だが国王の事だ。このまま引き下がるのだろうか。
「国王陛下の事?どうやら突然大人しくなったんだ。王妃殿下も一緒にね。何か企んでいるなら父上が気付くだろうけど、今回の変化におかしなところは見えないと言ってた。ディアーナが心配してる状況にはならないと思うよ」
「フランドル公爵が言うなら安心だとは思うけど、少しでも不安要素があるなら取り除きたい」
ディアーナの言葉にハリソンは肩をすくめる。
国王夫妻がディアーナにしてきた事をフランドル公爵から聞いているだろうが、実際直接目の当たりにした事の無いハリソンには実感が薄いのかもしれない。
ハリソンの顔が、そこまで心配しなくてもと言っている。
「ディアーナ。俺はお前を戴冠式直前までセウェルスに戻すつもりは無い」
「え?」
「言葉の通りだ。…ディアーナが国王夫妻と接触するのを避けたい」
そこまで言ってルーファスは立ち上がる。
真っ直ぐディアーナの元へやってくると、白銀色の髪を一房すくうとその髪に口付けた。
「お前の事だ。アナスタシア嬢の盾になる為に早めにセウェルス入りしようと考えてるのだろう。だが俺が側に居れないのに一人で行かせられない」
「……ルーってば心配しすぎよ」
「お前は猪突猛進なところがある。心配はし過ぎるくらいが丁度良いんだ」
戴冠式はルーファスも参加するが、多忙なので日帰りを予定している。聞いた時はディアーナも驚いたが、竜に乗れば往復一日で戻れるらしい。
ディアーナは巨大樹の家経由で転移魔法陣を使って王城にある私室へ戻る予定になっている。
「俺がセウェルスに到着するまで師匠の家で待機していて欲しい」
するりと指から髪が溢れ落ち、今度はその指をディアーナの輪郭に這わせた。
真っ直ぐディアーナを見つめる赤の双眸は不安気に揺れている。
(死にかけたのがトラウマになっちゃったかな)
魔物の出現で死にかけたディアーナを目の届く範囲から離したく無いのだろう。
アナスタシアにはクリストファーが付いているから、大丈夫だと言い聞かせ、ディアーナは頷いた。
「分かった。魔物の話も聞きたいし、パパの家で待ってるわ」
ルーファスはホッと息を吐くとディアーナの肩に頭を置いた。
「…ごめん。俺が心配なんだ」
ポツリと呟いたルーファスの頭をディアーナの指が優しく撫でた。
戴冠式当日。
ディアーナはアルと共に正装姿で巨大樹の家を訪れた。
「本当に美しいですね。妖精とは正にこの事です」
シリルは感無量といった表情で正装姿のディアーナを褒め称えた。
最大限露出を抑え首元までレースに覆われた薄紫色のドレスはディアーナの美しさを引き立てている。
「パパってば褒めすぎよ。でもありがとう」
ルーファスもだが、シリルも本当に甘いのだ。
ディアーナが襤褸を纏っても世界一可愛いと言うに違いない。
「ところでアルもセウェルスに?」
ディアーナの肩に乗るアルを撫でてから首を振る。
今のサクルフの森を散策するのは危険だが、アルがディアーナから離れようとしなかったのだ。
「わたくしをセウェルスに行かせたく無いみたい。きっと心配なのね。アルはセウェルスでわたくしを守ってくれていた小さな騎士ですから。でも流石にセウェルスへは連れて行けないから、わたくしが戻るまでここで預かっていて欲しいの」
ディアーナがアルに頬擦りをすると、シリルの表情があからさまに歪んだ。
「あざといですね。ディアーナに触れているのも苛々しますから預かりますが、私はディアーナのように甘くありませんから」
「……パパとルーはどうしてアルを嫌うのかしら。こんなに可愛いのに、ねぇアル?」
アルは甘えるように身体を擦り付けると「キュ!」と鳴いた。
「ディアーナ。それは雄ですよ、無防備に近付いてはいけません」
「パパ、アルは動物よ。雄雌関係ないわ」
「パパには関係あります。本当に飼うのを許可しなければ良かった」
シリルが本気で嫌がっているのを見て、「何を言っているの」とディアーナは眉を下げた。
ディアーナがセウェルスに向かった後、一匹残されたアルは転移魔法陣の前に座り、ふさふさの尻尾をパタパタと揺らしている。
「主人の帰りを待つ忠臣とでも言いたいのですか?」
アルの背後からシリルの冷たい声が響く。
その言葉に反応する事なく尻尾を揺らしたままのアルにシリルは薄く微笑む。
「お前の望むものは手に入らない。そのまま朽ち果てるまで待ち続けるといい」