125. カルステッド幻術師団長
アナスタシアとフランドル公爵の来国が一週間後に迫る中、ディアーナは普段の生活に戻り登校も再開した。
数日振りに登校したディアーナに向けられる視線が、いつもより熱いのは剣術科の面々がディアーナの勇姿を学園内に広めた為だ。
野外授業に参加していない生徒も羨望の眼差しで見てくるあたり、皆どんな風に噂しているのか気になって仕方ない。
「ディアーナ。お父様から聞いたわ」
教室に入ったディアーナにクロエが声を掛けてきた。
ディアーナの手を握るとキツイ眼差しが柔らかくなる。
「わたくし嬉しいわ。愛の重い陛下だって言うのは少し同情しますけど、貴女の幸せが何より嬉しくてよ」
「私からもおめでとうと言わせて。リアムも喜んでいたわ」
横からシャーロットも声を掛けてきた。
クロエがふとディアーナから視線を上に移して優雅に笑う。
「フレディも聞きました?」
「聞いた。おめでとうディアーナ。アルは無事に戻ったかな?」
ディアーナは後ろに立っているフレディを見上げて微笑んだ。
「アルを探してくれてありがとう!」
「預かっていたのに見失ったのは俺だから。無事で本当に良かったよ」
「フレディ、貴方いつからディアーナを名前で呼ぶようになったのかしら。あの陛下に知れたら嫉妬されますわよ」
「陛下は寛大な方だ。ただのクラスメイトに嫉妬はされないさ」
フレディの言葉にクロエはそんな訳無いという顔をし、ディアーナは苦笑する。
以前のルーファスならしたかもしれないが、今のルーファスなら多分大丈夫だ。
「ああそうだ。レーア・ギュンマー君がディアーナに会いに何度も訪ねて来たぞ。心配していたから後で声を掛けてやるといい」
ディアーナに仕えると言っていたレーアをすっかり失念していた。
無事なのは知っているだろうが何日も休んでいたので心配していただろう。後で謝らないといけない。
「わたくしもディアーナの勇姿を見たかったですわ」
「私も!とても素敵なんでしょうね」
クロエとシャーロットが言っているのを聞いてディアーナは眉を下げた。
いつ魔物の襲撃があるか分からない。ディアーナが次に披露するとすれば、それは本当の戦場だと思う。
フレディも表情を曇らせていたので、状況はある程度把握しているのだろう。
「直接見せられるかは分からないけど、わたくしは貴女達の、皆の幸せな生活を守る為に頑張るわね」
レスホール公爵やリアムが二人に話していないのは、二人には穏やかな生活を送って欲しいと願っているからだ。いずれ騎士団からの噂で耳にするかも知れないがそれまでは黙っていようと決めた。
チラリとフレディを見上げると目が合う。
フレディも同じ気持ちらしく、了解するように頷いた。
ディアーナはクラスメイトの変わらない姿にホッと息をはくと、目を細める。
(皆の平穏な生活を脅かすものは全部排除する。もう誰も殺させない)
ディアーナが決意したところで、その肩にフレディの手が置かれた。
「君は一人じゃない。俺や騎士団は皆同じ気持ちだ。ディアーナに何かあったら悲しむ人がいる事を忘れないでくれ」
ディアーナの考えている事を察したのか、フレディはディアーナの耳元でそっと囁く。
ディアーナは眉を下げると「そうね。ごめんなさい」と返した。
◇ ◇ ◇ ◇
「カルステッド幻術師団長が?」
オルサーク公爵邸にカルステッド幻術師団長の訪問を告げる先触れがあった。
元帥への用事だと思っていたが、用件はディアーナらしい。
「カルステッド幻術師団長を離れにお招きするのは失礼かしら」
報告に来たスチュワードに確認すると、ニコリと微笑まれる。
『いいえ、こちらの方が宜しいかと存じます』
「そう、ではいらっしゃったら此方にお通ししてくれる?」
『承知致しました』
スチュワードが姿を消すと、ディアーナは立ち上がりキッチンへ向かう。
「カルステッド幻術師団長は何がお好きかしら…」
カルステッド幻術師団長は弾かれる事もなく離れに入る事が出来た。
リビングに通されたカルステッド幻術師団長は珍しそうな顔で周りを眺めている。
そしてディアーナが手ずから淹れた紅茶を口につけて口元を綻ばせた。
「何がお好きか分からなかったのですが、宜しければ召し上がって下さい」
時間が無かったので簡単に出来るクッキーを用意しておいた。
「これは殿下が?」
「はい。お口に合うかわかりませんが」
「……美味しいです」
クッキーを口に運んだカルステッド幻術師団長はふわりと笑い、釣られてディアーナも笑顔になる。
「良かった!カルステッド幻術師団長が今度またいらした時にまたお作りしますね!」
「……モニカと…」
「え?」
「モニカとそう呼んで下さると…」
モジモジと呟くように言うカルステッド幻術師団長が可愛らしくてディアーナは微笑んだ。
「ではわたくしの事はディアーナと呼んで下さると嬉しいわ。ね、モニカ」
「いえっ!恐れ多くてお呼びする訳には参りません」
「では二人きりの時だけ」
ディアーナが上目遣いでお願いすると、カルステッド幻術師団長は溜息をついてから「分かりました」と了承した。
魔物が現れた時に頬をはたいて呼び捨てにしていたのだが、興奮していたのだろう。本人は覚えていないようだ。
「改めてお礼と謝罪を。わたくしを認めてくれてありがとう。そして心配させてしまい申し訳ありません」
ディアーナは頭を下げる。
「心配しました。ですが私こそ感謝を。人の心は自由だと、そう言ってくれた方は初めてでした」
カルステッド幻術師団長が初めて見せる柔らかな笑顔。
「我儘を承知で、私の話を聞いて下さいますか?」
ディアーナが頷くと、ポツリポツリと語り始めた。
「既にご存知かと思いますが、私は長年元帥閣下をお慕いしておりました。元帥閣下は誰にでも優しく素晴らしい方でしたので幼い頃から憧れの存在ではありましたが、気持ちに気付いたのは22歳になった頃でした」
サミュエルから貰った資料にカルステッド幻術師団長は今30歳だと書かれていたから、丁度その頃はルーファスが王色と魔力を失っていた頃だ。
「あの頃、王太子殿下が薨御され、陛下が王色と魔力を失う事態が起こりました。重鎮達の間に元帥閣下を王族へ戻し、子を作る為に妻を迎えるといった議論がなされました。そこで選ばれたのが私です」
そんな事誰も言って無かった。初めて聞く話にディアーナは絶句する。
「その頃私は侯爵家の跡取りでしたが伴侶を持たず、日々研究に没頭していたので両親にとっても良い機会だと思ったのでしょう。上手く運べば縁戚にもなれますから…。…訳の分からないまま王城を訪れた私は、そこで初めて元帥閣下が激昂する姿を見ました」
カルステッド幻術師団長は思い出すように目を閉じた。
「子供を産む為の道具として私を犠牲にする事は出来ないと、そう断言した閣下に…おかしな事ですが私は恋に落ちたのです」