120. 諦め
周りには騎士を噛み殺したのだろう。血に濡れた獣達がディアーナを取り囲む。
魔力も殆ど使い果たし、ようやく立てているこの状況でディアーナが勝てる訳が無いのは充分理解している。
「それでも、誰かを犠牲にするのは嫌」
ディアーナは独り言のように言うと、周りを囲む獣を睨みつけた。
「お前達はわたくしが守るべき民を殺した。…死んで詫びなさい」
残り僅かな魔力を剣に移したディアーナはなぎ払う動作をすると、弧を描くようにした雷の攻撃が獣達を切断する。
獣達は興奮してディアーナに遅い掛かるが、一振り、また一振りとディアーナは雷を繰り出した。
周りを見る余裕は無いが、感覚的には殆どがディアーナを狙っており、こちらに目を向けさせている限り、他の者は無事だと安心する。
ほんの一瞬、気を抜いたのが仇になったか、ディアーナの肩口を獣の爪が掠った。
焼けるような痛みに顔を歪めたディアーナは吹き出た血を押さえずに獣を斬りつける。
「っ…はぁっ、はぁっ…」
ディアーナは肩で息をしながら獣に剣先を向けた。
傷が痛むが治癒に回す魔力は無い。剣を持つ腕も痺れ後何度振れるか分からない。
獣達は攻撃を止める事なくディアーナの体力を奪っていく。
「…死にたくないけど、わたくしが死ぬ事で救える命があるなら…」
肩で息をしながら、それも悪くないと、
ディアーナは初めて生きる事を諦めた。
心残りはルーファスとシリル。セウェルスのアナスタシアだ。
ディアーナは獣を見据えながら首を振る。
(また遺していくことになるのかな…。最後にルーファスに会いたかった…)
また会えるから。いつでも時間があるから。
それが必ずしもそうだとは限らない事を、身をもって知っていたのに。
(もっと沢山言葉にすれば良かった…)
その時、騎士団の咆哮がディアーナの耳に届くと、大きな羽音と共にディアーナの立つ場所が影に覆われる。
空を見上げたディアーナは、目を見開くと口をへの字にして泣くのを堪えた。
こんな所に来てはいけないと言うべきなのに、嬉しさ勝り口が動かせない。
空を飛ぶのはディアーナもよく知る白竜。
その白竜ズメイからスローモーションのようにゆっくりと舞い降りたルーファスはディアーナに微笑み掛けた。
「待たせた」
聴き慣れた、低くそれでいて甘い声が耳元に響く。
ディアーナに腕を回して身体を支えるようにすると、肩の傷を見て顔を歪めた。
「……生きたいんじゃなかったのか?」
ルーファスはディアーナの傷口部分の服を破くと、その傷口に唇を寄せた。
その間にも獣達が襲いかかるが、ディアーナ達に届く事は無く蒸発するように消えていく。
ルーファスはディアーナに治癒魔法を施すと、口元についた血を拭う。
「お前に何かあったら、俺は正気ではいられない」
一言、ルーファスが告げると無数の魔法陣が展開される。
「もしお前が死んだら、俺も生きてはいない」
また告げると、魔法陣から様々な召喚獣や精霊が現れた。
「ディアーナは俺と一緒に生きて幸せになるんだ。だからどんな時でも生きる事を諦めるな」
ルーファスはディアーナを抱き上げると、切なそうに微笑む。
周りではルーファスの召喚獣や精霊の攻撃で獣達が次々に消されていく。核のせいで終わりが見えない筈なのに、ルーファスの召喚で目に見えてその数が減っていくのが分かる。
「…ごめんなさい…」
そう言いながらディアーナの瞳からポロポロと涙が溢れ落ちた。
ルーファスの腕の中に居るだけで、もう大丈夫だと、そんな気にさせてくれる。
「クラースだけでなく、カルステッド幻術師団長も大分憔悴していた。大叔父上も飛び出そうとして全力で止められてる。…本当に全部終わったらお仕置きだからな」
そこまで言ってルーファスはディアーナを抱きしめる腕に力を込める。
「絶対に、何があっても…俺を置いていかないでくれ」
ディアーナはルーファスの首に腕を回して抱きしめた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。…わたくしのせいで沢山の騎士が亡くなってしまった!わたくしの責任なのにっっ!!」
ディアーナはまたボロボロと声をあげて泣いた。
「ディアーナの責任ではない。ディアーナはただ懸命に生きようしただけで何も悪く無い」
ディアーナを縦抱きにしたルーファスは片手で頭を撫でてくれる。
全身の力が抜けるようで、ディアーナはまた泣いた。
「ディアーナが感じているその気持ちも、責任も全て全部俺が受け持つから」
泣いているディアーナを抱えたまま、ルーファスは獣の血で濡れた道をゆっくりサクルフの森へ向かって歩き始める。
溢れ出る獣がディアーナ達に向かってくるが、やはり蒸発して爪どころか牙すらも二人に届く事は無い。
「核はこっちか?」
敵の真ん中を進んでいるのにルーファスはこれまで一度も剣を抜いていない。
無尽蔵の魔力を糧に無数の召喚をする事で、敵を次々消していくだけだ。
流石はラスボスと言わざるを得ない気持ちにさせられる。
「核を消滅させるには聖剣が必要と言われたの。わたくしは次代聖王だからカラドボルグを喚べるって…」
「うん。一理あるな。早速呼んでみるか?」
ルーファスの返答にディアーナは自分で言っておいて少し動揺する。
元帥の中にある聖剣をディアーナが所有することに問題は無いのか。
事前に元帥の許可を得なくて良いのか。
「大叔父上がカラドボルグを使っている姿は見たことが無い」
ルーファスはディアーナが気にしている事が理解出来ないのか首を傾げた。
「使わないなら要らないだろ。大叔父上の事は気にせず喚んでみるといい。きっと応えてくれる」
ルーファスは笑いながらそう告げた。
ディアーナは涙に濡れた顔を綻ばせるとコクリと頭を上下させる。
「分かった。やってみる」
布陣の後方では珍しく元帥が苛々とした表情を隠さないでいた。
フェーディーン騎士団長は出陣しており、カルステッド幻術師団長も本来の役割を果たす為に戦場に戻っている。
『元帥閣下。我が君が姫様と合流致しました。お怪我をなさっていたようですが我が君が治療され、今はお二人でいらっしゃいます』
サミュエルからの報告で元帥は脱力し長い溜息をついた。
「良かった…。あの子に何かあればティアにもルーファスにも顔向けが出来なかった」
『戦地に送り出した張本人でいらっしゃいますからね』
サミュエルの言葉の端々に棘が含まれている。
「分かっていて言うのか?」
『両団長に認めさせる為。…元帥閣下の意図は存じております』
サミュエルは淡々と答えると、目を細めた。
『よんでいらっしゃいますね』
元帥は自身の両手を見つめると小さく微笑む。
「力を借りていただけに過ぎない私を今迄守ってくれてありがとう」
元帥の両手が淡い光を放ちはじめた。
「新たな主人の元へ行くといい」
元帥の言葉にあわせて淡い光が強さを増してその場に溢れる。
やがてその光が収まると、元帥はサミュエルに笑い掛けた。