119. 責任
ディアーナは、ただ生きて幸せになりたかった。
そして生きる為の努力は少しずつ実を結び、気づけば自らを殺す相手が最大の協力者となり、それだけでなく瑠衣果も知らなかった感情を教えてくれた。
周りの人達も王色を持たないディアーナを卑下する事なく受け入れ、愛してくれた。
今思えば"死ぬための存在"であるディアーナは、決して争ってはいけない。ディアーナが選んだ道のせいで他の誰かの未来を変えてしまうなんて。
「……どうして?」
ガクリとディアーナは膝をつく。
目の前に広がる光景は、つい数分前まで静かだった。
アンデッドが消滅したサクルフの森はいつもの穏やかな景色に変わっていた筈だ。
「………どうして?」
もう一度、ディアーナは繰り返す。
思わず伸ばしかけた手を、クラースが制止する。
「ディアーナ様!お下がり下さい」
ディアーナを庇うようにして前に出たクラースは、自身の剣を構える。
カルステッド幻術師団長も魔法陣を展開し召喚を始めた。
ディアーナの視界に広がる無数の赤。
動かなくなった身体に喰らいつく無数の獣。
先程の嫌な予感はこれだったのだとディアーナは確信する。
「聖魔法は発動したのに…何で?」
「ディアーナ様!!」
何故先程まで笑い合っていた騎士団や幻術師団が獣に喰われているのか。
誰も傷ついて欲しくなかったのに、皆を救う事が出来たと思っていたのに。
「……誰も、救えなかった…。わたくしのせいで傷つけてしまった…殺してしまった…」
茫然としているディアーナにクラースの言葉は届かない。
カルステッド幻術師団長は唇を噛むと手を振り下ろし、派手な音を立ててディアーナの頬を叩く。
「目を背けてはなりませんディアーナ!!これは現実です。貴女は後退しなさい」
「…幻術師団長?」
「ここは私達が食い止めます。貴女は早く元帥閣下の元へお戻り下さい」
ディアーナの両肩を掴み揺さぶるようにしているカルステッド幻術師団長の顔を見つめる。
そうだ。敵は待っててはくれない。
消滅したのはアンデッドの核で、他にもあったのかも知れない。
ディアーナは肩で大きく呼吸をすると、立ち上がる。
「……わたくしも戦います」
まだ魔力は残っている。どこまでもつかは分からないが、諦める訳にはいかない。
ディアーナは顔をあげると剣を抜いた。
「ディアーナ様!今の貴女には無理です」
「ディアーナ!すぐに下がりなさい!!」
クラースとカルステッド幻術師団長が同時に叫ぶのを聞いて、ディアーナは爆発した。
「殺されている者達を見捨てて下がれと言うの?!それだけは絶対に嫌!!!」
ディアーナの悲鳴に似た叫びと同時に、天から無数の稲妻が落ちた。
それは次々と獣達に命中していき、獣を消滅させていく。
騎士団の集まる方へ向かっていた獣達は稲妻を発生させた主、ディアーナの立つ方向に向かってくる。
「カルステッド幻術師団長。クラース様。お二人は下がっていて下さい」
地鳴りのような音を立てて向かってくる獣達を真っ直ぐ見据えながらディアーナは微笑んだ。
クラースとカルステッド幻術師団長はまた同時に拒絶する。
二人はディアーナを護るように前に立つと、ディアーナを振り返った。
「ディアーナ様は必ずお護りすると、陛下とお約束したのです」
「王妃殿下。貴女の事は私達が護ります」
カルステッド幻術師団長は小さく微笑む。
「大丈夫。元帥閣下と騎士団長がいらっしゃいます」
それだけ言うとカルステッド幻術師団長は前を向き、クラースも剣を構え直す。
「ダメよ…ダメなの二人とも…あれはわたくしの聖魔法でないと」
ディアーナは訴えるが二人は気にした様子もなく、近づいている獣の数を減らそうと召喚を繰り返している。
クルドヴルムにとって必要な二人を、自分自身の為に殺される訳にはいかない。
ディアーナは目を閉じると、小さな声でその名を呼ぶ。
「フヴェズルング」
魔法陣が展開されると漆黒の毛並みをした三つの頭を持つ獣、フヴェズルングが現れた。
「わたくしをあそこに連れて行ってくれますか?」
ディアーナが示す先をフヴェズルングは確認すると、背に乗るように促す。
「ディアーナ様!何をなさるのです?!」
慌てたクラースがディアーナを止めようとするが、その手を振り切ってフヴェズルングの背に乗った。
「二人共、元帥閣下の元へ。わたくしはあの魔物の核を探します」
「ディアーナ様!!」
ディアーナはフヴェズルングの背から二人を見下ろすと柔らかく微笑んだ。
「さっきも言ったでしょう。これはわたくしの責任だと。お二人を…クルドヴルムの民を護る事が出来なければ、わたくしに生きる価値は無いわ」
ディアーナがそれだけ言うと、フヴェズルングが獣に向かって駆け出した。
まるで風のように早いフヴェズルングは一瞬で獣達の元にたどり着く。
背に乗るディアーナ目掛けて飛びかかろうとする獣をフヴェズルングが防いでくれる。
「フヴェズルング。貴方は獣の長と言ったわね。この獣達は自由に出来ないの?」
『これは獣の形をしているだけの魔物。獣とは異なります』
それもそうかとディアーナは肩を落とした。
フヴェズルングの背後から飛びかかって来た獣を切り落としてから、フヴェズルングに倒れかかる。
『主の魔力量が減っている。我を喚び出すのにも魔力が必要だ。これ以上無理をなさると取り返しがつかなくなる』
穏やかだがその声には心配の色が隠し切れていない。
「……うん。知っているわ。それでも探さないと、核を消滅させないといけないの」
『……聖剣カラドボルグであれば核を消滅させる事が可能だ』
フヴェズルングの言葉にディアーナは元帥の居る方角を見つめた。
援軍が向かっているのか砂埃で良くは見えないが、聖剣カラドボルグは元帥が所有している。
流石に元帥をここまで呼びつける事は難しい。
『聖剣の主は聖王だ。次代の主が望めば、聖剣は応えてくれるだろう』
フヴェズルングの言葉にディアーナは目を見開いた。
所有者である元帥よりも、主の命に従うと言う事か。
命に従うなら元帥と出会った時、再会した時に現れても良かったのでは無いか。
『…主、これ以上、今の魔力では我を維持する事は出来ない』
苦しそうに呻いたフヴェズルングは最後の力で三つの首をもたげて咆哮した。
その咆哮に応えるように、幻獣や精霊が一斉に攻撃を仕掛ける。
ディアーナの周りにある程度の場が作れた事を確認してからフヴェズルングは姿を消した。