115. 野外授業〜可能性〜
巨大樹から外に出たシリルは険しい顔で天を仰ぐ。
両手を固く握り締めると唇を噛んだ。
「やはりあの時殺しておくべきでしたか」
異変はクルドヴルムだけでなくセウェルスでも起こっていた。
サクルフの森から程近いのは離宮のあるベネット領。
クルドヴルムは騎士団が近くに居るが、セウェルスでは未だこの異変を検知出来ていない。
「ベネット領を捨てる訳にいかないでしょうね」
どちらか一方を選択する必要がある中で、シリルが選択出来るのはひとつ。
シリルはクルドヴルム側を見つめながら目を閉じる。
「ディアーナ。そちらは貴女に任せましたよ」
斥候からの報告では"腐った人型をした何かが湧き出るように向かってきている"という事だった。
その形容からアンデッドだろうとディアーナは推測する。
サクルフを正面に騎士団と幻術師団が展開し、後方では元帥と両団長が各斥候からの報告を受けていた。
ディアーナは側に控えてその報告を聞いているが、どうやら膨大な数らしい。
まるで水が湧き出るように次から次へとアンデッドが増えているようだ。
ディアーナは瑠衣果であった時に琉偉がプレイしていたゲームを思い出す。
「元帥閣下!わたくしからも宜しいでしょうか」
発言の許可を得たディアーナは一歩前に出てからサクルフの森を示した。
「恐らく湧き出る人型の中心に核がございます。いくら人型を倒しても核がある限り止まりません」
「その根拠は何だ」
声をあげたのはフェーディーン騎士団長だ。
まさかゲームで核を壊したら敵が消えたとは口が裂けても言えない。
元帥と両団長を納得させる為の理由。
「賢者の元で学びました。サクルフの森はかつてエルガバル大陸を滅ぼさんとした魔王の居城があった場所。そして魔物は核から産まれると」
ディアーナは真っ直ぐフェーディーン騎士団長を見据える。
「人ならざる者達の出現。それは古の時代と重ならないでしょうか」
そう言ってからディアーナは低頭する。
「わたくしを前線にお送り下さい。斥候の報告通りなら聖魔法が有効かと存じます」
その言葉にフェーディーン騎士団長は眉を顰めた。
甲冑の音を鳴らしながらディアーナの正面に立つ。
「騎士団では対処出来ないと申すのか?」
フェーディーン騎士団長の怒る声が低頭するディアーナの頭上に降り注ぐ。
その覇気と威圧に怯んでしまいそうになるが、ディアーナは頭を上げて姿勢を正してからフェーディーン騎士団長の燃えるような瞳を見つめた。
「わたくしは最も有効な手段を申し上げただけ。核の破壊は聖魔法もしくは古の武器が必要です。今この場にあるのはわたくしと…」
元帥の所有する聖剣と言い掛けて口をつぐむ。
クルドヴルムの面々が何処まで知っているのか確かでは無い。
元帥の承諾を得る前に騎士団長であっても話す事は出来ない。
「とにかく、被害を最小限に食い止める為には聖魔法が一番有効です。騎士団が強くても数の利がございます。核を破壊しませんと騎士団の被害は免れないでしょう」
そう告げた事でフェーディーン騎士団長の顔に赤みが増した。
殺気じみた威圧にディアーナの全身から汗が噴き出るがここで怯む訳にはいかない。
「フェーディーン騎士団長。貴方様が護るのは騎士団の誇りですか?それとも騎士団員の生命ですか?」
ディアーナは負けじとフェーディーン騎士団長を睨み返す。
「確かに国を守って死ぬ…誇り高き死は尊ばれるでしょう。ですが遺された者は?ある日大切な人を失う家族は?恋人は?友人は?」
ディアーナはフェーディーン騎士団長に向かってもう一歩前に出る。
「より多く生き残る可能性と誇りを天秤に掛けた時、最も優先すべきは団員の生命です」
そうディアーナは断言した。
「王は国民の幸福とその生命を守る為に存在する。わたくしはそれを守りたい」
見上げる距離まで近付いたディアーナはフェーディーン騎士団長に向かい宣言した。
まさか全く怯まずに向かってくるとは想像していなかったのだろう。
フェーディーン騎士団長の瞳に困惑が見て取れる。
「フェーディーン…君の負けだ」
フェーディーン騎士団長の肩に手を置いた元帥が制止した。
「私が許可しよう。ただひとつだけ覚えておきなさい」
元帥はフェーディーン騎士団長の肩をポンと叩いてから、ディアーナの肩に両手を置いて目線を合わせるように屈んだ。
「ディアーナも王が守るべき者の一人だ。どんな時でも自分の生命を蔑ろにしてはいけないよ」
そう言って肩に置いた手をディアーナの背中に回して抱きしめた。
「本来なら私もディアーナと共にあるべきだろう。それが出来ない事を許して欲しい」
元帥は元帥の役割を放棄して最前戦に立つ訳にはいかない。
「大叔父様。わたくしは生きる事に貪欲です。必ず戻るから心配なさらないで」
元帥はディアーナを抱きしめる腕に力を込めた。
本当は行かせたくないという想いと、ディアーナの力が有効だという客観的な判断。様々な感情が鬩ぎ合う中、クルドヴルム元帥として決断した結論。
「元帥閣下。陛下よりディアーナ様をお護りするよう指示されております。ディアーナ様の御身は私が必ずお護り致します」
同じ場所に控えていたクラースが元帥に向かい低頭した。
「ディアーナを頼む」
そう言って元帥はディアーナを解放すると、フェーディーン騎士団長の背中に手を置いて元の位置に戻った。
「元帥閣下。ディアーナ様の護衛は私の務め。私もディアーナ様と参りましょう。暫しの間、幻術師団の権限を閣下にお返し致します」
カルステッド幻術師団長の言葉にディアーナは目を丸くする。
幻術師団長自らディアーナの護衛に回るのはいくら何でもおかしい。
「……許可しよう。ディアーナを頼む」
暫しの逡巡の後に承諾した元帥を驚いて見つめた。
元帥と目が合うが僅かに細められるだけで、その意図を窺い知る事が出来ない。
フェーディーン騎士団長が止めてくれると思ったが、黙って聞いているだけだ。
「クラース様!貴方だけでも申し訳ないのに幻術師団長自ら護っていただく訳には参りません」
クラースに訴えてみたものの、彼は首を横に振るだけ。
「そんな…」
ディアーナは困惑する。
エルガバル英雄伝説は人同士の戦争ゲームだ。
それを歪めてしまったのはディアーナに対する強制力としか考えられない。
その責任はディアーナにあり、クルドヴルムは被害者。
だから誰も自分を守ってはいけないと、ディアーナは強く思うのだ。