102. 歴史科
「おはようディアーナ!」
教室に入ると先に来ていたカティが手を振った。
ディアーナも挨拶を返して隣の席に座ると、カティの頬がほんのり赤みを増す。
「カティ?」
ディアーナが首を傾げると、カティは助けを求めるように周りに居た女生徒を呼び寄せてから言う。
「ディアーナ。気のせいかもしれないけど…とても綺麗になっていない?あ!もちろん元々綺麗なんだけど…こう、うーん。上手く言えない」
違和感を上手く表現出来ずに悩んでしまったカティの肩に手を置いたのは、昨日ロマンス小説みたいと目をハートにしていたエルサ・クロンヘイム子爵令嬢。技術長官フェダール侯爵の孫娘だ。
「ディアーナは陛下に溺愛されているのだもの。愛されているディアーナが輝きを増すのは当然だわ。今、私が読んでいる小説も異国の王女と恋をするの。シークが溺愛して朝も昼も夜も王女を離さないのよ」
最後は趣味の小説の話になったが、前半部分がカティの言いたい事だと判断した女子達はウンウンと頷く。
ディアーナ自身の変化はルーファスにプロポーズされた事だが、身体の変化は感じない。
「おはよう皆さん!…まぁ!!!あらあらあら」
挨拶もそこそこに、目を爛々と輝かせたクロエがディアーナの元へ突進してくる。
「元々磁器のようなお肌でしたけど艶を増していますわね。美しい髪も更に輝きを増して昼に輝く星のよう。美しい顔に咲く薄紅色の頬がまた華を添えていますわね!」
輪郭に合わせて指を滑らせ、髪をなぞり、頬をチョンとつついたクロエは満足気に笑う。
周りの女生徒はクロエの表現に納得しつつも、少し引き気味で聞いていた。
クロエは笑顔のままディアーナの下ろした髪をかき上げて耳にかけてから、耳元でそっと囁く。
「……陛下への気持ちを自覚しましたわね」
すぐ横にあるクロエの顔を視線だけで捉えたディアーナは、その言葉の意味がわかり耳まで赤くなった。
女生徒達は何を言ったか分からないまでも、ルーファスとの事だろうと想像し勝手に盛り上がっている。
「求婚でもされましたか?」
ディアーナは林檎のように真っ赤になると、クロエはクスクスと楽しげに笑う。
「そんな艶っぽいお顔をしていると、女生徒達にも惚れられてしまいますわよ。例えばわたくしのように」
昨日の事を思い出していたディアーナの瞳はトロンと緩み、その身体からは匂い立つような色香が滲み出ている。
クロエの視界に見える範囲だけでも、男女問わず生徒達が顔を赤くして下を向いていた。
クロエは口元に笑みを浮かべてから、ディアーナの林檎色の頬にチュッと音を立ててキスをした。
「あまりそのお顔を見せては駄目よ。陛下が激怒してまた乗り込んできてしまいますわ」
身体を起こしたクロエは口元に指を置いて微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
歴史科は校舎の奥まった場所にあった。
扉の上に掲げられた"歴史科"の文字も薄汚れている。
外がこれなら中はどのようになっているのか。
コクリと唾を飲み込んでから、扉を睨みつけたディアーナは意を決してノックした。
「はい、どうぞ」
ランド先生の声がしたのでディアーナは扉を開けて入室する。
室内には数名の生徒が居たが、ディアーナにペコリと頭を下げるとまた手に持っていた本に没頭し始めた。
「ベネット君。本当に来てくれたんだね!」
ランド先生は嬉しそうな顔でディアーナを迎え入れてくれる。
室内の両側は歴史書で埋められており、床にも本が積み上げられていて正直足の踏み場も無い。
本を踏まないようにランド先生の元にたどり着いたディアーナはランド先生の机に広がる本と、びっしり書かれた考察を見て目を見張った。
「セウェルスの事、よくご存知ですね」
「ああ、これ?歴史を紐解くには国を知る事も必要だからね。特に僕の研究は"王色"だから、セウェルスを知る事は重要なんだ」
「側に研究対象がおりますのに。わたくしを使いませんの?」
ランド先生はキョトンとしてから朗らかに笑う。
「僕はベネット君自身を研究する事に興味は無いよ。あくまで歴史を紐解いて"王色"は何かを解明したいんだ。もちろん参考にしたいとは思うけどね」
ランド先生につられてディアーナも微笑むと、ランド先生の考察の一文に指を添えた。
「こちらですが、セウェルス王家の"神託の儀式"が行われる聖王の神殿は、王都にある神殿ではありません。城の奥深くにある王家だけが知る神殿…」
そこまで言ってディアーナは違和感に気づき、口を閉じた。
(……何故、記憶に残ったままなの?)
王族だけが知る"神託の儀式"は、今のディアーナの頭にしっかりと刻まれている。
臣籍降下や降嫁によって王族から除籍されれば、その全容は消える筈なのに、何故消えていないのか。
「ベネット君?」
名を呼ばれて我に返ったディアーナは、慌てて微笑むと「何でもありません」と首を振った。
「儀式の内容は話せないんだろう?先々代時代の書物に書かれていたから、てっきり王都にある聖王の神殿で行うものだとばかり思っていたよ」
ランド先生は礼を言うと、その箇所を訂正した。
「先生。本当にわたくしのような王族は過去一人も居ないのでしょうか」
ランド先生はペンを置くとディアーナを見上げる。
そして迷うように瞳を彷徨わせてから、ディアーナと視線を合わせた。
「何かのキッカケで色を失った王族は居るが、生まれつきは居ないね。ベネット君ひとりだけだ」
「何かで色を失う王族は居る、という事ですが母体に居る時に失ったという可能性はありませんか?」
「どうだろうね。可能性としてゼロでは無いだろうけど、過去の文献から色を失った王族の多くは同時に魔力を失っている事が分かる。ベネット君は魔力を失うどころか、稀な魔力を持つみたいだ。ベネット君に限っては母体で色を失った訳では無いと、僕は考えるよ」
「色が戻る事はあるのでしょうか」
「それは僕が教えるまでもないよね。…王色は王族が持つ魔力に結び付いていると考えてはいるけど…それが正しければ"魔力の質が異なる事"が、ベネット君の色に変化を与えたのかも知れない」
セウェルス王家は聖魔法の属性がある。
ディアーナもそれを持つが、アナスタシアがおかしくなった時に発現した力は聖魔法のそれを超えていた。
それがランド先生の言う魔力の質が異なる事が理由ならば。
(………パパ?)
ディアーナはすっかり忘れていた記憶を思い出した。
アナスタシアの儀式で聖王の神殿で感じたあの色。
シリルとよく似た色彩の神殿を。