98. 国王と公爵令嬢は相対する
頭部の一つがゆっくり振り返るとディアーナを見つめた。
(黒くて三つの頭って…ケルベロスみたい)
漆黒の毛並みを持つ獣の長フヴェズルングの瞳は紫だ。
自分と同じ瞳を持つフヴェズルングの長い毛並みに、恐る恐る触れてみるが拒絶する事もなく、気持ちよさそうに目を細めた。
「ごめんなさい、あなたを召喚してしまうとは思わなかったの」
途端、フヴェズルングの耳がペタリと垂れた。
悲しませてしまったと、ディアーナは申し訳なくなる。
『"愛し子"よ。其方の名は何という?』
「わたくし?わたくしは…
「名を告げるな!!」
「ディアーナ」と、元帥の制止が入るのと同時に名前を告げていた。
名を告げた途端、胸のあたりが温かくなる。
ディアーナの頭の中にフヴェズルングの穏やかな感情が流れ込んでくるのを感じた。
『ディアーナ…いや、我が主』
フヴェズルングはこうべを垂れるように三つの首を下げると目を閉じる。
訳が分からず、ディアーナはフヴェズルングと元帥を交互に見つめるが、元帥はもう笑うしか無いのか、苦笑いで肩を落としていた。
『主がその生命を終えるまで、我は主を護る事を誓約をもって誓おう』
「え?えと…」
ディアーナが困惑していると元帥が隣に立ち、ディアーナに顔を寄せた。
「今回は何%だ?」
「…1%です」
「それで長レベルの召喚か。…今のは使役の誓いだ。まさか召喚獣自ら使役を求めるとは思わなかった」
「…わたくし、使役獣を手に入れたのですか?」
元帥はディアーナの頭を撫でると「そうだね、それも最高位幻獣だ」と言って、背中をポンと叩いた。
「私も多く使役している方だが、このレベルは流石に無いな。元帥の私を超えてきたか」
心底楽しそうに言う元帥をディアーナは見上げる。
セウェルスの人間がよりにもよって最高位クラスの幻獣を使役して良いのだろうか。
「何も心配する必要は無い。私も多少だが魔法が使える。…賢者の弟子の恩恵だと思えばいい」
元帥はもう一度ディアーナの頭を撫でてから、そのままフヴェズルングの額を撫でてやった。
「私の孫娘を頼む。フヴェズルング」
元帥をジッと見たフヴェズルングは『当然だ』と目を伏せる。
ディアーナは思い切ってフヴェズルングの艶々した毛並みに飛び込むと、想像以上に柔らかくてうっとりしてしまう。
『さて主。フェンリルは怯えて動かんし、我の相手はおらんようだが…』
フヴェズルングの頭部がフェンリルを見つめると、フェンリルは怯えのあまり動けず震えている。
主人であるアルヴィも、フヴェズルングの出現で腰を抜かして動けなくなっていた。
ランド先生も含めてクラスメイト全員が固まっているのが見える。
先程元帥の行動で腰を抜かした生徒だけでなく、フヴェズルングの出現で腰が抜けた生徒も多いようだ。
(絶対にやり過ぎた。やっぱり断れば良かったかなぁ)
ディアーナが自己嫌悪に陥っているところに、ディアーナの名を呼ぶ声がしてルーファスが現れた。
ルーファスは全速力でディアーナへ駆け寄ると、周りの目を気にする事なくディアーナを抱きしめる。
「すまん遅れた」
掠れる声で言ってディアーナを抱きしめる腕に力を込める。
「貴方が撒いた種でしょう。教室の事といい、セウェルスに伝わってしまうわ」
腕の中でブツブツ文句を言うディアーナに苦笑したルーファスは、フヴェズルングを見上げた。
「フヴェズルングか。其方とは初めて会うな」
『はい、竜の御子』
「ディアーナの使役となったか。…昔からディアーナの魔力は規格外だな。少しだけ嫉妬してしまいそうだ」
言葉とは裏腹に柔らかく微笑みながら、破片で血が滲んでいる頬に手をやる。
「…フヴェズルング。お前の主を傷付けた愚か者は誰だ」
ルーファスも誰がそうしたかくらい分かっている。
実際に顔はフヴェズルングに向けられていても、視線はアルヴィを映している。
「ルー!駄目よ。フヴェズルング、言わないで!」
『御意。我が主が拒絶されましたので竜の御子でもお教えする訳には参りません』
「忠義心が厚いのは良い事だが…さて、どうしようか…」
そういってルーファスの口角がゆっくりあげられた。
真っ黒なオーラがジワリとルーファスから立ち昇る。
「合意の上なのに相手だけを悪者にしないで。納得出来ないなら、納得するまで口を聞かないわよ」
ギロリとディアーナが睨みつけると、ルーファスは黙った。
「…それは絶対に嫌だ」
「では口を出さないで」
「……分かった…」
渋々といった様子で眉を顰めたルーファスはディアーナに顔を寄せ、頬の傷を舌でペロリと舐めとった。
反射的に片手をルーファスに向けて振り下ろそうとするが、簡単に受け止められてしまう。
「治療だ、治療」
見るとディアーナの頬にあった傷が消えているのに驚いてルーファスを見つめた。
「ルー、貴方無詠唱魔法…それも治癒魔法が使えるの?」
ルーファスは恥ずかしそうに視線を逸らし、頷く。
「昔、クルドヴルムに戻ってからも師匠の家に遊びに行ったろ。そこで師匠から教えて貰ったんだが…俺は何かを媒体にしないと発動出来ないみたいで」
セウェルスでも治癒魔法が使える者は多くない。
先程規格外だと言っていたが、ルーファスだって規格外だと思う。ディアーナは流石ラスボスだと感心してから、思い出したように確認した。
「………媒体って、治療魔法は舐めないと出来ないって事?」
「…そう。だからこれは俺かディアーナにしか使えない」
「何でわたくしだけなの?」
「??ディアーナ以外を舐めたいと思うか?」
「なっっ!!」
ディアーナの顔が火を吹いたように真っ赤になった。
元帥は肩を震わせて笑った後、ディアーナの奥に立つクロエを見て「しまった」とでも言った感じで苦笑した。
「ちょっと陛下。ディアーナに何をして下さったの?」
縦ロールを蛇のように唸らせながら、クロエがゆっくりとディアーナ達に向かってきた。
「治療だ」
「治療?わたくしの目には公衆の面前でイチャついてるようにしか見えませんわ」
ルーファスはニッと笑うと、ディアーナの顎に手をやって上向かせた。
「クロエはこの先も期待しているのか?」
ディアーナの唇に触れるか触れない程度の距離で動きを止めたルーファスは視線だけクロエに向ける。
ドカンとクロエの頭から火が噴くような音がした。
実際には火が噴く筈がないのに、その音はクラスメイト全員に聞こえた。
「……いい加減我慢できませんわ。ちょっとディアーナは離れていらして。久しぶりにルーファスと拳で語り合わなくてはいけないようですから」
ボキッと腕を鳴らしたクロエがゆっくりとディアーナ達の元へ近づくのを、ランド先生の声が止める。
「ストップです!!ベネット君達の勝負はつきました!もう誰も闘ってはいけません!!!」