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救世児  作者: 東屋たつ
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⒊ 魔女を突く ー後編ー

 レクシーとクレオはシティ・グループ・センターの建物を後にした。ロミオらとの合流を試み、五番ストリートを南東へ行くことにした。


「ロミオがいつも戦っているのは人狼、人間の精神にヒステリーをもたらす悪徳だ。テイラーとレナは悪霊をよく相手にしているね。悪霊は七つの大罪をそれぞれつかさどる存在で、人間の実体をのっとる。傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食そして色欲・・・・・・」


 悪徳の数々を唱えていくレクシーの低い声に、クレオは聞き惚れていた。


「例えばさ、〈怠惰〉の悪霊に負けた子どもが、学校の宿題を怠けたりする。それから〈強欲〉の悪霊にそそのかされた人間が、会社のお金や、政治資金を横領したりね。〈憤怒〉には人狼という手先が存在するわけだ」


「手先?」


 クレオは首を傾げた。


「ああ、悪徳の間にも序列があるのさ。僕ら人間が、他の動物たちよりも特別なようにね。で、人狼は〈憤怒〉の魔の手であって、これと戦うのが〈忍耐〉の救世児であるロミオだ」


 石造りの、邸宅にも似た建物の横を通った。


「ちなみに悪霊のうちで一番手ごわいのは〈傲慢〉だと、一般には目されている・・・・・・ところでクレオ、君は、他にどんなたぐいの悪徳が存在するか知ってるかい?」


 レクシーはわきを歩くクレオを見下ろした。


「はい・・・・・・ふさぎの虫なら、見たことあります・・・・・・」


「よく覚えているじゃないか。ふさぎの虫」


 相手はまぶたを上げて反応した。


「・・・・・・だけどね、それ自体はべつに害を及ぼすわけじゃない。悪霊など他の悪徳の臭いに引き寄せられて集まると、人間の精神を一層不健全にする、いわば火にそそぐ油のようなものなんだ。まあ一応は〈怠惰〉の魔の手として分類されるけど」


 グランド・アヴェニューとの交差点を渡った。ブロックの敷地は両側とも一軒の建物で占められており、左手のビルはことのほか高層だった。


「他にも悪鬼という、人間によこしまな考えを起こさせる悪徳が存在する。あえて美徳に背く路を示す悪徳がね。これを担当している救世児は・・・・・・うん、君の前にはまだ現れないか」


「えっ?」


 路はゆるやかな上り坂だった。


「ところで君、スポーツは何が好きかい?」


「あ・・・・・・」


 クレオは体育の授業が苦手ならば、数学や化学の成績も振るわなかった。


「中学校の成績もギリギリだったんです。やっぱり留年して、ちゃんと勉強し直さなきゃいけなかったのかも・・・・・・」


 三か月間の保健室登校にもかかわらず留年を免れたのは、母親の尽力あってだ。黒人やヒスパニックの生徒が多い公立高校を父親は望まなかったが、堅い私立校(プレップ・スクール)へ進めるだけの学力など到底無かった。


「化学や数学なら、ロミオに見てもらうといいだろうね。一緒の学校だろ? 試験の前なんか、教えてもらいながら勉強できるんじゃないかい?」


 高いビル同士の間を抜けると、濃紺の夜空が涼しげだった。公園の生垣のわきを、ふたりは手を取り合い歩いた。


「じゃあ・・・・・・本とかは、好きかい?」


 物心ついたころから「おはなし」が好きで、夜ごと母親の読み聞かせをねだった。LAに越してきて二年もすると、メルヴィルやヘミングウェイなどの名だたるアメリカ文学に歯が立つまでとなった。現代小説もむろん好きだ。大学生の男女を描いた恋愛小説のシリーズものを購読しており、新刊の発売を待って半年になる。


 恋愛ものつながりで、クレオは少女漫画の好きなことを打ち明けた。人物の顔がかわいらしく、それこそ赤ん坊のように描かれた日本の漫画がことさら気に入っている。おそるおそる言葉を継いだが、相手は断じて軽蔑する素振を見せなかった。いつしか胸に浮かんだ言葉を口にするのもためらわなくなっていた。


「でも・・・・・・本物の漫画本は買って読まないんです。部屋に置いてたりしたら、きっと両親が嫌な顔するから・・・・・・だから無料のアプリで読むか、YouTubeでアニメ見るだけなんです・・・・・・」


「うん・・・・・・それなら、僕の同僚の娘さんで、十三、四の子がいるよ。紹介するから、今度家へ遊びに行ってみたらどうだい? その手のものも多少はあるかも・・・・・・おや、あれはロミオじゃないか?」


 レクシーは自分たちが進んでいる方向をうかがい、首を傾げた。ヒル・ストリートとの交差点がひらけた辺りから、クレオも前方へ目をこらした。一ブロック先からこちらに向かって走る人物は、紅い服を着たロミオだった。


 ロミオのほうでもふたりに気づいた様子で、大手を振りかざしながら残りの道のりを駆けてきた。彼が拍車の着いたブーツで地面を蹴る音が空気伝いに響いた。


「レクシー! レクシー!」


 向こうが呼びつけるように叫ぶので、ふたりのほうからも走り寄った。


 ロミオは息せき切って駆けつけた。立ち止まって以後もしばらくは曲げた膝の上に肘を突き、湿った息を切らしていた。


「一体なにがあった? なにか悪いことなのか?」


 レクシーが問うた。少ししてようやく、ロミオは三角帽を被った頭を上げた。


「・・・・・・アンドレオが・・・・・・やられた・・・・・・」


 汗に濡れたロミオの顔と向かい合い、レクシーは目を見開いた。


「なんだと? ・・・・・・なんだと! やられたって・・・・・・人狼にか!」


 ロミオはふたたび頭を垂れた。


「ああ・・・・・・早く、急いでくれ」


 ロミオは自分が元来た方角へふたりをうながした。


 レクシーは駆けだし、ロミオとクレオが追っていった。ブロードウェイにスプリング・ストリート、目抜き通りを過ぎた。目抜き通りを渡った辺りから、高いビルや凝った外装の建物は見られなくなった。五番ストリートを南東へ五ブロックも走れば、そこは平坦なドヤ街だった。


 クレオはロミオに支えられ、片息を吸いながら走った。街の様相は一変し、シャッターを閉めきられた店のひさしが連なっていた。緑の葉をつけた街路樹もめっきり減った。


 ウォール・ストリートを左折した。レナが三人をむかえに現れたが、汗みどろなクレオは立ち止まってもなおロミオの支えを要した。


 レナは五番ストリートのさらに北側の、ウィンストン・ストリートから出てきたのだった。泣き濡らしたために、朱のさしたような顔をしていた。


「すぐ来て・・・・・・みんな、すぐ来て」


 彼女はレクシーの手を取ると、自分が元いたほうへ引いていった。来いとは言われたものの、クレオは酸欠にあえいでいた。ロミオもひとまず彼とともに居残った。


 ようようにして呼吸が整い、クレオは周囲を見やった。左右の道端はごみくずの吹きだまりだった。左手は小売店が横ならびに入る平屋建築で、いずれの店もシャッターでふさがれていた。右側はある程度きれいそうな建物だったが、その外壁の前にはヒトの背丈の倍もあるフェンスが備え付けられていた。路駐自動車も多かった。


「・・・・・・行かないの?」


「ああ、お前はな。見ないほうがいいからな」


 ロミオはひとり歩きだそうとした。クレオはその場にたたずんでいたが、相手が自分に背を向けてしまうのが嫌さに慌て引きとめた。


 後ろから手首をつかまれたロミオが振り返った。


「待って! ・・・・・・僕も一緒に・・・・・・」


クレオは息を弾ませずに言えなかった。相手は帽子のつばの陰から見下ろしてきた。


「・・・・・・手、震えてるぞ」


クレオは相手に触れていた手を急ぎ放した。手のひらは汗に濡れながらも、熱を失いつつあった。


「お、おい・・・・・・こっちに来ちゃマズい・・・・・・」


 手を服の裾にこすりつけていたが、ロミオのうわずった声が飛んだ方向を見上げた。レクシーたちが待ちかね、直々にウィンストン通りから繰り出したのだった。右腰に刀を差したテイラーと、涙を流すレナが一緒だった。


 強烈な生血の臭いがクレオの鼻を突いた。レクシーが両腕にアンドレオを抱きかかえていた。少年は腹部からの出血で虫の息だった。白いズボンと青い上着も血に汚れ、元の生地の具合さえ分からなかった。


レクシーはアンドレオを抱えた姿勢のまま、道の中心に片膝をついた。彼らの周囲に他の者たちは身を寄せ合った。ロミオの制止が間に合わず、クレオも輪の中に入っていた。


 アンドレオの閉ざされたまぶたは大理石のようだった。しかし気をつけて見れば、そのまぶたとて固く閉ざす余力もないのだった。血に濡れた臓腑は横一文字に裂かれた下腹からこぼれ出ていた。自身の体内にあったもので汚れた腹の上に、今では壊れてしまった鉤爪が横たわっていた。右脚は食いちぎられたかして膝上まで失われ、折れた大腿骨の先が突き出ていた。


血の臭いに吐気をもよおしたクレオは手で口を覆った。うずくまる彼の背をさすりつつ、ロミオはレクシーに事の次第を話させねばならなかった。


「・・・・・・普段なら自分が倒せそうな、小さい奴にしか手え出さねえくせに・・・・・・今日に限って・・・・・・無茶して・・・・・・」


ロミオは頻繫に息を吸い上げながら、今や口も利けないアンドレオの代弁を務めた。


「いやよ、アンディ!」


レナが後ろからテイラーの肩にしがみつき、顔をうずめてむせび入った。


体内に残ったわずかな血気をふりしぼり、アンドレオが右腕を持ち上げようとしていた。石膏みたく蒼白な顔に痙攣が走った。唇のすきからはいつ絶えるとも知れない息が震え出ていた。


「なんだ、アンドレオ?」


レクシーがとびつくようにアンドレオの顔をのぞきこんだ。次には自身の耳を、すみれ色の唇に押しつける勢いだった。


アンドレオが持ち上げようとしている右手も、横たわる胴の高さを超すことはなかった。レクシーは彼の手から鉤爪を取り外すと、下に落としてしまった。


鉄器がアスファルトの上に放られた音に反応し、アンドレオは氷のまぶたを見開いた。凍てついたように震える青い手をレクシーが取った。


「雫を・・・・・・僕に、くれるんだな?」


少年の手をひねりつぶさんばかりに握りしめる、男の声が響いた。その声はアンドレオの耳にもしかと届いたらしかった。その眼が再び閉ざされるに先立ち、少年は笑ったように見えた。


ガラス質に亀裂が走るのに似た、甲高い音をクレオは聞いた。周囲に立つ救世児らも息をのむなどし、その不吉な音に反応を示した。レクシーの筋張った手の中からアンドレオの手が抜け落ちたのは、その後だった。


アンドレオはあごを突き上げた格好でこと切れていた。彼の手がすり抜けてもなお、レクシーの手は変わらず血を握りしめていた。静まり返った一帯にレナの嗚咽が響き渡った。ロミオも鼻をすすりつつ、自らのぶあつい唇を血のにじむほど食いしめていた――――



 クレオは母親に揺すり起こされた。


「ほら、水を飲みなさい」


 上下の唇のすきにペットボトルの飲み口をあてがわれた。


汗に濡れた毛髪は地肌や額にはりついていた。腿の内側がとりわけ熱かった。部屋の電気が灯り、父親の入って来たことを知った。


 クレオはゆっくりとあえぎながら、母親の顔を真下からようやく見分けた。


「こんなに汗をかいて・・・・・・具合でも悪いんじゃないでしょうね?」


 父親も母親の横に立ち、ベッドの中の息子をのぞきこんだ。


 両親に手とり足とりされるまま、クレオはパジャマとリネンを取り替えた。




 冬休みが明け、クレオは初日の授業を終えて帰宅した。居間では母親がコーヒーカップと茶菓子をかたわらに、夕方の報道番組を見ていた。


 ニュースキャスターは市内で起きた事故のニュースを語りはじめた。昨日午前、ハリウッド。芸能関係の施設内にて、天井から吊るされていた照明機器が落下する事故が発生した。事故による死者は一名、けが人は四名。死亡したのは同市内在住のアンドレオなにがし君、十四歳――――


 事務所で撮られたとおぼしき、肌の白さと髪の黒さも際立ったアンドレオの顔写真が映しだされた。


「まあ、かわいそうに。この子十四歳・・・・・・あんたよりも小さいわよ、クレオ?」


 レクシー宅で出された菓子をほおばり、口角に白いクリームを付けていたアンドレオ。腕相撲で年上の少年たちに勝てず、むきになっていた彼の遺影だ。後部座席の背もたれごしに気安く話しかけてくれた、年下の友人の悲報だった。


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