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救世児  作者: 東屋たつ
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⒉ 悪霊を斬る -前編ー

 早朝のダウンタウンは曇り空だった。車線分離の白線もすり切れた目抜き通り(メイン・ストリート)を、クレオは南西へ急いだ。折々の交差点にさしかかっては、そのつど見渡せる分だけ目を凝らした。


 「ロミオ・・・・・・ロミオ!」


 路の先はスプリング・ストリートとの交差点だった。駆ける脚もなえ、クレオは来た道を見返った。


 振り返って見て息をのんだ。道路の真ん中に立つ人物は、黒い頭巾を目深に被っていた。


 「奴ならいない」


 ピアノのキーの一番左を叩いたような、あるいはコントラバスの弦を爪弾いたような声だった。その人物の全身を覆いつくすマントは黒く、丈がくるぶしまであった。


 相手はいつの間に一ヤード先まで迫ってきたのか、クレオは男の眼前に直立不動の姿勢だった。


 「聞こえなかったか? お前の探している救世児は、今ここにはいないと言ったのだ」


 クレオは自分の顔を見られてしまったが、彼のほうから相手の表情をうかがい知ることはできなかった。それというのも相手の黒い頭巾は、裾が鼻柱にかかるまで引き下げられていた。かいま見えるのはとがったあごと、そげ落ちた頬の影のみだった。


 「ここに来ればいつでも、自分が望む相手に会えると思ったか? お前に自分自身の生活があるように、相手にも相手なりの生活がある」


 白くて長い手先が黒いマントからのぞいた。頬を取られたクレオは細い肩をひきつけた。


 「まあ良い。救世児も所詮はヒトだ。奴らの恩恵にあずかり得る人間など、一握りでしかない」


 相手はクレオの反応に構わず、柔らかい頬の中心を選び爪の先を突き立てた。とがった爪は虹色にきらめき、魚のうろこのようだった。


 「分かるだろう? 救われたいと願ったところで、だれが応じてくれる?」


 白い鼻筋の下で、薄手だが極めて血色の良い唇が動いた。前をはだけた上着の中にクレオは包みこまれていた。マントの中からは潮の匂いが漂い、夏盛りの生温かい海を彷彿(ほうふつ)とさせた。


 「いい子だ、名前は?」


 男の低い声がささやきかけた。


 「クレオ」


 「そうか、クレオか。そうか」


 幅広な手に背中をさすられた。


 「この世界は理不尽だ。なあ、クレオ? 正しくないことを正しいと押し通す者がいる。そういう(やから)が、正しく生きる人間を傷つける」


 「はい・・・・・・」


  クレオは夢心地に答えた。


 「だが鬼が人を傷つけるのであれば、人もまた鬼になればよい。善意や優しさだけが、人を救うわけではないのだよ?」


 ささやきかける声は骨の(ずい)まで染みるようだった。


 「よく覚えておけ。悪に打ち勝てるのは、悪でしかない。お前はまだ小さいから理解できないだろう。大人になりたければな、クレオ、お前も知らなければいけない。いつかお前が、自分の大切な人を守れるようにな。もちろん今まさに、お前自身を守るためでもあるんだよ」


 クレオは相手を見上げた。


 「悪に悪で報いる術なら、私が教える。ところでお前、私の名前を聞いてはくれないのか?」


 背をなでていた男の手が止まった。クレオは声を言葉にしようと急いた。


 「あ・・・・・・あ、あなたは・・・・・・だれ、ですか・・・・・・?」


 彼が口を利くと、男は満足した様子だった。


 「私は愛する者だ、お前のような子を・・・・・・」


 相手の体熱も、黒いマントも消え去った。支えてくれる者はなく、クレオはアスファルトの上に両手と両膝をついた。


 背後でなにか金属が舗装を打ちつける音を聞いた。振り返って見ると、一ヤード半先にテイラーが両足で着地したところだった。左手に刀の柄を握り、もう片方の手を着いて地面にとび降りる際のバランスを取っていた。金属音は、彼の右腰にくくり付けられた鞘の石突が地面を跳ねるひびきだった。


 水兵服の四角い(えり)の下から、前かがみになっていた身体が起きだした。


 「テイラー・・・・・・」


 立ち上がりざま相手はクレオに向き直り、刀の刃にまとわりつく黒い(もや)を振りはらった。抜身の刀を提げて歩み寄ると、相手はクレオの片方の手をつかんで引き上げた。


 握った相手の手はぶあつく、そして大きかった。


 「あ、ああ・・・・・・あの・・・・・・その・・・・・・今のは・・・・・・?」


 一息に引っぱり上げられたクレオの腕はしびれていた。


 「悪霊。悪霊の断片」


 テイラーは刀を黒漆の(さや)に納めた。


 「あ、悪霊! ・・・・・・あれも?」


 今や相手はクレオを顧みず、メイン・ストリートを北東へ去ろうとしていた。


 「ねえ・・・・・・テイラー? ねえ、ちょっと・・・・・・?」


 踏みだした覚えも、虚空を手につかんだ感触も無かった。クレオは陽の射す自室にテイラーを、精神界のすべてを見失った。



 起き上がり、窓辺の眼鏡に手を伸ばした。紅いボストン・フレームの眼鏡をかけた後で、枕の下からスマートフォンを探りだした。クレオのスマートフォンは、土曜にはアラーム音を出さない設定だった。


 液晶に打ちだされた時刻は七時を過ぎていた。





 テイラーとレナの悪霊退散に居合わせた晩から一週間が経った。五限目を終えた生徒らは帰り仕度をするなり、課外活動へと急ぐなりしていた。大雑踏の廊下で、クレオはロミオに呼びとめられた。


 リュックサックごしに肩をつかまれたクレオは振り返った。バスケットボール・チームのユニフォームを着たロミオを見るのは初めてだった。


 「冬休み、来週からだな。で、三十一日なんだけど・・・・・・お前、なんか予定ある?」


 廊下を通用口へと流れる生徒たちの波にもまれながら、間近に立つロミオの顔を見上げるのは苦しかった。学校名のロゴが白抜きにされたタンクトップの外に、鍛え上げられた褐色の両腕はむきだしだった。


 「え・・・・・・えっと・・・・・・特に・・・・・・ないと思うけど・・・・・・」


 丸い目の上で黒い山型の眉が持ち上がった。


 「マジで? じゃあさ、その日、お前にも会わせたい人がいてさ・・・・・・テイラーとレナも一緒にその人の家に行く予定なんだけど・・・・・・で、その人の家、パサデナにあるから・・・・・・俺の車で行こうと思って。どう?」


 クレオにしてみれば突拍子もない誘いだった。他人の車に乗る許しを、かつて親に請うた試しがなかった。


 ロミオの誘い文句はつづいた。


 「別にあやしい人じゃないぜ。まあ・・・・・・芸能関係の人なんだけどさ、お前も知ってるかも?」


 クレオは首を傾げた。


 「・・・・・・だれ?」


 「レクシー・カズンズ」


 クレオの首は傾いてそのままだった。


 「・・・・・・ええっと・・・・・・音楽プロデューサーなんだけどさ・・・・・・ほら、よく***とか、***とか、アイドルの曲手がけてる人だよ。お前、音楽とかあまり聴かない?」


 ロミオは指先で耳の後ろをかきながら、そこに文字でも書かれているのを盗み見るかのように目を泳がせた。腕を上げるかたちになったため、タンクトップの肩ひもの外に生えそろう黒い脇毛がのぞいた。


 「うん・・・・・・たくさんは聴かないかな・・・・・・」


 クレオはおずおず答えた。


 「・・・・・・そうか。で、その人なんだけど、俺やテイラーたちの事情知ってくれてるから、時々その人が都合いい日に、家遊びに行ったりするんだ」


 ロミオの目線が一旦足元へ落ち、それからクレオの目の高さに戻ってきた。


 「・・・・・・みんな一緒なの?」


 クレオは訊いた。


 「ああ、俺とテイラーとレナ、それにアンドレオも。一応その人子どもいて、俺たちはその子どもの友達ってことで遊びに行くんだけどさ」


 ロミオはまたしても目線を逸らした。


 「えっ? 子どもって・・・・・・?」


 「うん・・・・・・まあ、子どもつっても・・・・・・もう大きいし。見た目年齢は・・・・・・お前くらいかな?」


 同年代の子どもがいると聞き、クレオは単純な顔をして応じた。


 「な? 俺たちと歳の近い奴もいるわけだしさ。とにかくその人、業界の人だから超カッコいいぜ? 会って損はねえと思うけどな・・・・・・」



 高速の一一〇号を北へ、ロミオの運転するボックス車が向かった。話に出たパサデナは、車で行けばクレオらの住むリンカン・ハイツからでも二〇分程度にすぎない。


 ロミオがクレオの家の前まで出迎えてくれたのだが、助手席にはテイラーがいた。後部座席をアンドレオとレナ、レナの弟のエリオットとで用いていた。アンドレオがトランクのスペースへ移ったのだ。


 車窓の外の街並みは、これまでクレオが一度も訪れたことのない方角に延々とつづいた。クレオの左側、後部座席の中央に座っているのが九歳のエリオットだ。目鼻立ちこそ美人の姉に同じだが、髪の色は濃く、質感も硬めだった。瞳の色も姉とは異なった。車窓ごしにのぞくと、サイドミラーに写るテイラーの美形がうかがえた。


 「なあ、クレオ」


 クレオは車窓にもたげていた頭を起こし振り返った。アンドレオが後部座席の背もたれに両肘を突いていた。


 「俺な、今のオーディション、最終まで残ってるんだけど、なにが良かったと思う? もちろんレクシーの曲、歌わしてもらってるけどさ・・・・・・」


 「う、うん・・・・・・」


 したり顔の相手は背もたれの背後から一層身を乗り出した。


 「審査員たちが言うんだ。レクシー・カズンズが十年前から戻ってきたみたいだって!レクシーの***が歌えるのに、今までだれの耳にも留まらなかったのが不思議なくらいだって・・・・・・!」


 「それさっき聞いた」


 エリオットは横向きにしたスマートフォンの画面から目を離さなかった。


 「クレオに話してるんだ。お前にじゃねえ」


 話の腰を折られたアンドレオはむずがった。


 「おい、アンドレオ。この辺りいつも交通警察が見張ってんだ。外から見えねえように、引っこんでろ」


 バックミラーを介しロミオがにらんだ。アンドレオはすごすごと背もたれの背後に隠れた。


 ロミオから聞かされた通りだと、レクシー・カズンズなる人物は英国出身の三十五歳。音楽プロデューサーだが、かつては自ら着飾り、ステージに上がった歌手だった。


 やがて高速を降りたボックスカーは市街地を抜け、起伏に富んだ緑地に入った。亜熱帯の山道は曲がりくねっていたが、ロミオのポンコツ車はようやく目的地までこぎ着けた。


 

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