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救世児  作者: 東屋たつ
2/14

⒈人狼を撃つ -後編ー

 クレオは晩にもロミオと会った。相手はあたかも、彼が寝入るのを待ちかねていたふうに立ち現れた。


 ふたりで白昼夢のつづきをたどった。サン・ペドロ・ストリートとの交差点まで七番通りを歩いた。


 「だからな、今ここでお前は夢を見ているんじゃなくて、精神界にいるんだよ。お前は起きて身体(からだ)を動かしてる時の世界とは、反対側の世界に来てるんだ。どうしてお前にこの場所が意識できるのかは、俺には分からないけど。でもとにかくここはLAのみんなにとっての心の世界であって、自分の脳の中だけにあるものを見てるのとは違うんだ」


 ならんで歩いたが、クレオは足元の舗装ばかり見ていた。


 「でも・・・・・・ここには大勢いるように見えないけど・・・・・・僕とあなたしか、いないよね?」


 ロミオは不意討ちを食ったようにだまった。しかしすぐに言葉を継いで返した。


 「今は見えねえだけだ。みんないるよ。ほら、夕べさ、お前の親父とお袋だって」


 蝋人形の両親をめぐる記憶に息が止まった。震えを押さえつける意図か、クレオは両肘を握っていた。


 「・・・・・・まあ、グロいよな。でも、あれが人狼だよ。あれに憑かれるとな、人は気が立つんだよ」


 クレオはいまいちど目を上げ、ロミオの顔をうかがった。


 「つまりな、人狼のせいでむしゃくしゃして、暴力的になった人間は、実体界・・・・・・だから俺たちの身体があるほうの世界でもな、暴力的になって、他のだれかに乱暴するようになるんだよ。お前の親だって危なかったんだぜ、クレオ? あのまま人狼の餌食になってたら・・・・・・」


 父親と母親の間に罵詈(ばり)と黙殺の止まなかった一週間を思った。両親はまさしくクレオのことで言い争っていた。


 彼が内向的な少年に育ったのは、母親が甘やかしたせいだと父親は主張した。対する母親は、父親が息子にあまり厳しく当たるものだから、性格まで萎縮してしまったのだと切り返した。


 両親の仲は絶望的に険悪だった。それが今朝になると何事も無かったかのように治まっていた。


 「で、俺は、そういう人狼をこれで仕留めて、人間に暴力を振るわせないようにしなきゃならねえんだ」


 ロミオは腰の拳銃嚢を叩いて示し、横目にクレオをうかがった。クレオは自分より身長の高い相手を見上げた。上着の両肩を飾る肩章のため、なお大柄に見えた。


 「あ・・・・・・あなたが、僕の両親を救って、くれたの? どうして? どうして僕たちなんかのために・・・・・・?」


 クレオがたずねるうちにも、ロミオの山形の眉は持ち上がった。


 「それは俺が救世児(セイバレット)だからだ!」


 道がサン・ペドロ・ストリートとの交差点にひらける辺りで立ち止まった。クレオが気圧された様子でいるのを見て、ロミオは急ぎ語気を和らげた。


 「・・・・・・そうなんだ、俺は救世児なんだ。お前を助けることも、お前以外のだれかを救うことも、みんな俺がしなきゃいけないことなんだ」


 「救世・・・・・・児?」


 クレオはぎこちなく首を傾げた。


 ロミオは交差点を右へとうながしつつ、ふたたび歩きだした。


 「・・・・・・ようするにだな、この世界には・・・・・・つってもこの精神界にだけど、人狼とか、悪霊とかってのがうようよしててな、そいつらが人間にいろいろ悪さすんだよ。それで、俺はそういう奴らのせいで苦しんでる人たちを助けたいって願った。願ったから・・・・・・その願いが聞きとどけられて、チャンスをもらったんだよ」


 「チャンス?」


 クレオは訊き返した。


 「そうだ。救世主(セイバー)になるためのチャンスだ。俺は人狼を倒して、人々を暴力から救うために救世児にしてもらった。それでもし、俺が人狼をたくさん倒して、それだけたくさんの人たちを救えたら、俺は本当の救世主になれるかも知れねえってわけだ」


 「イエス・キリストみてえにな!」


 少年の声が朗々と響いた。通りの左手にはスーパーマーケットが建っていた。


 「なんだ、お前ら待ってたのか」


 ロミオは角地に建つスーパーマーケットを見上げた。建物の屋上に腰かける三人のうち、右がアンドレオだった。


 アンドレオが地面に降り立ち、ならんで座っていた少女と少年もつづいた。通りを渡り、ロミオは三人の元までクレオをともなった。


 五人が集い、扁平な輪の形になった。


 「ロミオ、この子は?」


 長い金髪をポニーテールに結わえた少女がたずねた。


 「クレオだよ。夕べからいるんだ」


 「ってことは、この子も救世児に?」


 少女の視線がクレオにそそがれたものの、ロミオの反応は早かった。


 「いや・・・・・・そういうわけじゃ・・・・・・ないみたいだけど・・・・・・」


 クレオは自分よりも背丈の勝る者たちに囲まれ、率先して言いだせる言葉がなかった。


 ロミオがクレオに向き直った。


 「で、クレオ。こいつらがみんな、俺の仲間の救世児たちだよ。彼女がレナ、こっちがテイラー。アンドレオはもう知ってるよな」


 アンドレオはロミオのわきから身を乗りだし、額の上に三本爪をならべてかざした。白い歯並みを見せて笑うことで、あいさつ代わりとした。


 「よろしくね、クレオ」


 レナは黒い革の手袋をはめた手でクレオのはだかの手を取った。青く聡明そうな目をした、型どおりの美人だった。枯草色のワンピースの下に黒革のニーハイブーツを履き、長いブロンドの髪を黒いリボンでくくっていた。頭の形に沿って垂れる幅広なリボンの先に、(しずく)形の宝石が留まっているのも分かった。彼女の瞳と同じような色をした、サクランボ大の宝石だった。


 レナのななめ後ろに身を引いているのが、テイラーと紹介された少年だった。アジア人なのか白人(コーカソイド)なのか見分けかねる顔立ちに、クレオは思わず目を見張った。アンドレオもまた美少年だが、テイラーはそれに勝るたぐいまれな美形だった。


 細いが固そうな骨格を持つ鼻と、鼻筋は申し分なかった。薄茶色の瞳は紡錘形(ぼうすいけい)の目の中に映え、長いまつげは二重まぶたを縁取っていた。目尻の形はきわめて繊細に、やっと釣り目と分かる具合に作られていた。


 テイラーはクレオの頭一個分大きかったものの、首を気もち前に突き出した立ち姿勢だった。白地に黒(えり)の水兵服をつっかぶり、両手を黒いズボンのポケットに押しこんでいた。全長一ヤードもの刀が右腰から吊るされていたが、手でふくれたポケットに柄が圧されていた。


 「で、今日狙ってる悪霊ってのは、この辺りなのか?」


 ロミオが仲間たちに訊いた。


 「ええ、この先の駐車場にたむろしてるの・・・・・・すぐそこよ。結構な数集まってるし、ふさぎの虫も湧いてるから・・・・・・今日は応援を頼みたかったの」


 「オッケー。この四人でいいな・・・・・・」


 ロミオは自分の肩を見、テイラーとレナを見、アンドレオを見た。


 「俺が二人前受けて立つ! だから実質五人だ!」


 アンドレオは自身の胸を三本爪の先で突いた。


 「頼もしいわね」


 レナがアンドレオをたしなめてやっている間にも、テイラーは彼女に背を向け歩きだした。


 テイラーとレナにつづきサン・ペドロ・ストリートを北へ進んでいくと、ハチの羽音のようなものが聞こえた。カラスほどの大きさの羽虫が飛びまわるのを見て、クレオはロミオの上着の袖口を引っぱるように握った。


 虫は下の人間たちに腹と、六本の屈折した脚を見せて飛びまわった。四匹、五匹と数を増していき、一行が目的地へ近づくにつれ虫同士の間隔は密になった。目的地である黒いアスファルトの空間はフェンスごしに臨めた。


 砂ぼこりに汚れた乗用車が乱雑にならぶ敷地の前に着いたが、黒色はアスファルト舗装の色ではなかった。虫の群は車体や地面を這い、一帯を黒く埋めつくしていた。駐車場は羽虫の巣であった。


 クレオは怖気をふるい、ロミオの上着にしがみついた。


 「五人か?」


 ロミオはクレオの背に腕をまわしつつ訊いた。彼ら四人の救世児たちはフェンスの先へ目をこらし、虫の群の中に見える人影の数を確かめ合った。


 「いいえ、六人いたはずよ。そうよね、テイラー?」


 レナはテイラーを振り返った。


 「七人」


 アンドレオが足元の虫を鉤爪で突き刺そうとするのを、テイラーが後ろ襟をつかんで取り押さえた。抗議の声を上げようとすると、アンドレオはつかまれた襟を一層きつくよじられた。


 「虫は最初にレナが押さえるから、今は物音を立てるな。いいな?」


 ロミオにさとされ、アンドレオはようやく鉤爪の着いた腕を下ろした。テイラーはこぶしを開き相手を解放した。


 「ロミオ、クレオはこっちに」


 クレオはレナの手招く仕草を見た。ロミオにも促され、新たに招かれたほうへ進み出た。


 クレオが身をひそめる場所として、レナは自身のすぐ後ろを指した。


 「私のそばにいるのよ」


 長い息を吐きつつ、彼女は両手でウエストをつかんだ。次には駐車場と歩道を隔てていたフェンスが突き破られていた。


 太い鉄鎖の束が駐車場をのたうった。自動車の窓は叩き割られ、ワイパーやサイドミラーは弾きとばされた。からみ合った鎖は巨大なクモの巣の形となり、駐車場の敷地一帯に張りめぐらされた。


 鎖のいたる箇所に巨大な羽虫は捕らえられ、一匹とて逃げおおせなかった。レナはニーハイブーツの脚をふんばっていた。腰のベルトを通す位置に、鎖が幾重にも絞められていた。彼女が両手でたぐる鎖が虫の外殻ときしみ合った。


 駐車場の様子は網目を透かすように見通せた。敷地の奥へ目をこらしていると、大小の黒い人影がそれぞれ自動車の陰から現れた。頭部を水平に垂れた人影は全部で七体だった。


 レナのポニーテールを束ねるリボンの先端で、空色の宝石が光った。


 「みんな、今よ!」


 彼女が声を上げるのも待たず、ロミオとテイラー、アンドレオの三人は鎖の上にとび乗った。彼らが武器を取り上げると、七人の敵たちも首を振り上げた。顔をはさみこむようにして生える長いロバの耳と、丸い黒目とがあらわになった。


 クレオはレナの陰から見ていた。刀の鞘をはらったテイラーがまっさきにクモの巣の中心に達し、一番長身な異形を上体と脚とに両断した。頭と両腕が付いた異形の半身が宙を舞った。鉄鎖の巣に叩きつけられた肉体は砕け散り、テイラーと刀は返り血を浴びた。血潮は鎖の網目を流れ落ち、地面にそそがれた。


 別な異形が剣を幾本もきらめかせ、背後からテイラーを斬りつけようとした。彼が振り向きざま血の付いた刀で突くも、異形はとびのいてしまった。四本の剣が異形の手足だった。


 テイラーはなおも腕力にまかせ敵を攻めた。踊るように鎖の上を後退しつつ、異形は二本の前脚でテイラーの刀としぶとく打ち合った。


 ロミオはどこか高い位置から垂れ下がる鎖を膝の間にはさみ、ふりこの要領で滑空した。彼はリボルバーを片手に敵を二頭撃った。テイラーといがみ合っていた異形も側頭を撃ち抜かれ、糸を断ち切られた木偶さながら鎖の下へ転がり落ちた。


 アンドレオは一番小柄なロバを選んでとびついたきり、ながらく鎖の網目の下から上がって来なかった。ボディを鎖に傷つけられた自動車同士の合間を、敵とともに転がっていた。異形たちの血は上から絶えずそそがれた。


 鎖の上に降り立ったロミオは両手に銃を取った。残る二頭の異形は鎖から鎖へとび移り、彼のたえまない射撃を軽々かわした。テイラーは味方の流れ弾が鎖に打ちつけては跳ね返る中をぬい、敵たちを高い位置へ追いこんでいった。


 ロミオの銃弾が敵のひづめを一つ弾いた。すきを突かれた敵はテイラーの太刀で一刀両断にされた。


 最後まで残った異形とテイラーとはさらに打ち合った。テイラーは前かがみに、敵は後ろざまに、鎖を上へ上へとたどっていった。両者はついに六番ストリートの上空を渡り、十階建てを超すビルの屋上に踏み入った。駐車場とは大通りで隔てられたその建物まで、レナの鎖は達していた。


 鎖の網目を乗り上げたアンドレオはロミオと合流した。二人はテイラーよりも一足先にレナの元へ引き上げてきた。青い上着に染みついた半獣たちの血は、屠畜場の臭気を放った。


 「いやあ、ひどい目に遭ったぜ」


 刃渡りが自分の腕ほどもある鉤爪でアンドレオの両手はふさがっていた。赤く濡れた髪を顔から退けるには、頭を振るわねばならなかった。


 テイラーはクモの巣からほどけた鎖を一筋引いて降りて来た。彼が地上に降り立つのを見とどけ、レナは鎖を握っていた両手を放した。張りめぐらされていたクモの巣は、ゆるんでいくそばから水蒸気のごとく消え去った。


 鎖から解放されたふさぎの虫の群は一挙に飛び立った。羽音の大合唱がクレオの耳に恐ろしかった。舞い上がる虫の大群は一塊の黒雲となった。虫の群れは高く、精神界の曇天へとのまれていった。


 後には薄汚れた自動車が白線に沿ってならぶのみだった。壊れたはずのフェンスも元通りだった。道路にも駐車場の敷地にも、生きものの気配がまるで無かった。


 「ほら、もう終わったよ」


 レナの背後にすくんでいたクレオは、ロミオに肩を叩かれようやく我に返った。


 「え、えっと・・・・・・今のは・・・・・・?」


 反射的に周囲を振り返って見た。


 「悪霊よ、クレオ。〈怠惰〉の悪霊ね。ああやって数が集まると厄介なの」


 レナが両手の指を組み、伸びをしながら言った。


 「集団の脅威ってやつだな。ま、その時が俺たち救世児の出番ってわけさ」


 ロミオも後をつづけた。


 テイラーが戻ってきた。返り血は頬や首筋にそのまま、白い上着は血で漬けたようだった。長く上向きなまつげの先に、赤いビーズ玉が弾かれていた。


 「血なまぐせえや。また派手にやったねえ、テイラー」


 真っ赤にくもった刀から放たれる、すえた鉄の臭いはひときわだった。アンドレオが直視し得ないといったふうに顔をしかめるので、テイラーは片方の袖を顔に押しつけ血を拭った。あらかた拭い落とされた後も、顔には赤茶色の筋が残った。痩せた首には喉仏の隆起があらわで、唇は血糊を噛んでいた。


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