⒌ 同士を刺す -後編ー
パディはクレオの膝の上に上体を乗り上げていた。
「きさま、なぜ他人のものを壊した?」
このころにはパディの胸も息を吹き返していた。右手はなにか落としたものを探る動きだった。クレオは胸に当たる相手の後頭部の固さばかり思っていた。しかしながらようやく、その手が帽子を探していることに気づいた。
自身の傍らで逆さになっていた紺色の軍帽を、慌て拾い上げた。
パディはクレオを振り返って見ることなく、帽子だけつかみ取っていった。
「なぜ僕のものを壊したのかと訊いている!」
彼は帽子の固いつばを目の上に整えた。対するテイラーは、紡錘形に彫られた美しい目をしていた。
「悪鬼を、斬った」
「きさまは悪鬼を斬るのか?」
パディがすごむと、じかに接した頭蓋を通じクレオにも響いた。
「悪霊」
「悪霊狩りか?」
テイラーは首を縦に振った。
「ではなぜ悪鬼を斬った? 自分の獲物だけを追いまわしていればいいものを!」
パディの声は、張り上げるそばから涸れていった。
「悪鬼も、悪徳。人間に悪い」
テイラーの声の調子は変わらなかった。
「あれは僕が調教した行軍悪鬼ですよ。人間に有益なんですよ」
なけなしの自制心がはたらいたのか、パディの方でもいくぶん声を低めた。
数秒の沈黙を経て、テイラーの返答があった。
「悪鬼、人間の敵。破滅させる、人間」
テイラーとパディとの間の五ヤードはちぢまなかった。
「悪鬼の力を借りる、人間、救えない。お前、破滅する」
パディが立ち上がるのにしたがい、クレオも地面についていた膝を上げた。
「はっ! メス牛の腰巾着ふぜいが! いいですか? 悪徳だって使いようですよ。倒しても倒しきれない悪徳なら、むしろ活かして利用したほうが、どれほど割に合うか知れない!」
仁王立ちになったパディは言い放った。
「ちょっ、ちょっとアンタ! メス馬って姉ちゃんのことかよ?」
エリオットが詰め寄ったが、パディは見向きもしなかった。テイラーを見る彼の目付きに凍りついたのは、クレオもエリオットも同じだった。
「悪徳の味方、お前、破滅する」
やがてテイラーの顔をかげらせていた憂いは黒影と化した。彼が刀を両手に持ち直すと、刀身はふたたび赤熱しはじめた。
「テイラー・・・・・・? だめ、だめ・・・・・・!」
刀のすぐ後ろからテイラーは迫ってきた。目を覆う間もなく、クレオの視界は鉄火の刃に照らされた。
パディの鼻先には六挺分の銃床がならんだ。銀色の剣先が目つぶしを食らわせようとするのをかわしつつ、テイラーは突如現れた武器を始末しなければならなかった。
固い銃身は手早く斬り落とされていった。しかし足元を突き刺そうとする剣先からとびのくと、彼とパディとの隔たりは幾ヤードも開いた。
両者の間の地面には真二つに断ち割られた銃と、折れた剣が散乱していた。柄を握りしめるテイラーは、相手の手元から目を逸らすことがなかった。クレオとエリオットは両手を握り合い、互いの身を寄せ合いながら固唾をのんでいた。
パディは手袋をはめた右手をかかげ、クレオの視界をさえぎった。手が振り下ろされると、宙に銃剣が弓なりにならんだ。
「そっちがその気なら、受けて立ちます! お前など斬りきざんでやりますよ!」
使い手は上体を突きだした。大鎌のひとふりを描くように飛ぶ六挺の銃剣が、標的の腰から腿にかけて斬りつけようとしていた。
テイラーは膝から上を水平にのけぞった。飛んできた銃剣のうち一挺を、刀を持っていないほうの手でつかんだ。
息も継がずに彼は起き直り、手にしたパディの銃剣をブーメランの要領で投げ飛ばした。パディがかろうじて脇へ逃れたので、銃剣は引き金を支点に回転しつつグラウンドの果てまで飛び去った。
パディが目を見張っている間にも頭から突進してきたテイラーは、一ヤード手前で地面を蹴った。振り上げられた刀はパディのみぞおちから入りこみ、左腰の低い位置を斬りぬけた。
「いやあっ!」
血潮の噴き上がるのを見るより早く、クレオはエリオットに抱きついた。しかし聞こえたのはヒトの叫び声ではなく、なにかずっと固いものの叩き割られる音だった。
「・・・・・・・・・・・・?」
しごく細長い形状のものがグラウンドの地面を突き、そのまま横倒しになった。見ればそれは、真二つにたち割られた後の銃剣だった。
クレオはテイラーの顔を見上げ、またも腰を抜かしかけた。
「テイラー、後ろ!」
テイラーが頭上を見返ったころには、パディは早くも勝ちほこった形相だった。相手の首筋に銃剣の先を突き立てようという刹那だった。
クレオはテイラーの腰にとびつき、自身の全体重をかけて相手を押し倒した。相手は蹲踞姿勢を取ろうとするも、尻が先に地面へ着いた。
テイラーの上に覆いかぶさるクレオの背は、靴を履いた足で一度踏みつけられた。すぐそばで靴の固いかかとが鳴りひびいた。
「あなた! なぜ邪魔をするのです!」
足から着地したパディが向き直った。あごの裏に剣先を差し向けられた時も、クレオはテイラーにしがみついていた。あおぎ見ると、相手の目は殺気に満ちみちていた。
「だって・・・・・・」
「なんですか!」
口調があまりにきつく、クレオはべそをかいていた。
「だって・・・・・・だって、こんなのいけないよ! 救世能力をそんなふうに使うなんて・・・・・・」
パディは銃身と引き金の付け根部分を握り、武器をクレオに差し向けていた。細い両脚はコンパスのように開いていた。
「あっ・・・・・・あなたのそれ、救世能力、でしょ? 救世能力でだれかを傷つけるなんて、だめ・・・・・・」
口をかすかに開き、パディは息をのんだ。クレオのうわずった声を聞くうちに、目付きもゆるんでいった。
銃剣をかかげていた腕の力は抜け、剣先が地面をかいた。
次にクレオは、髪を乱して寝転ぶテイラーを見据えた。
「テイラーもだよ! 救世児同士が争うなんて、おかしいじゃない!」
先ほどまでの機敏さは知れず、彼は地面に上体を投げだしていた。胸は気だるく上下し、短い水兵服の裾はめくれ上がっていた。腰のベルトのバックルと、宝石のピアスを通したへそがあらわだった。小指の先ほどの、黒い石粒だった。
クレオは一度目を伏せ、首を横にひとふりした。それからふたたび尋ねた。
「・・・・・・それに、あなた今までどこにいたの? みんな心配してるんだよ・・・・・・レナもロミオも。携帯もつながらないって・・・・・・」
レナの名前に相手の瞳孔が反応したのを、クレオは見てとった。
「アンタがどろんしたせいで、姉ちゃんずっとイライラしてんだぜ。恋人のくせに」
膝を立てて寝転ぶテイラーの脇に、エリオットもいた。
「恋人ですか? 愛犬ではなく?」
パディは手袋をズボンのポケットに押しこんだ後で、チュッパチャップスのビニールを破いていた。
「あ、チュッパチャップスあんじゃん! くれよ!」
飴を口に含んだパディのそばまでエリオットは駆け寄った。パディは上着のポケットから飴を三本取り出し、少年の前に示した。少年は一本を選んでつまみ取ると、さっそくビニールをはいだ。
テイラーが上体を起こすのを待ち、クレオはつづけた。
「テイラー、またみんなのところに戻ってきてよ。お願いだから」
テイラーは対になったふたつの目でクレオを見た。上下の唇が少しばかり開き、顔全体にこころなしか朱がさしたように見えた。彼の顔に、初めてそれと分かる表情があらわれた瞬間だった。
「戻れない」
クレオから目を背けたテイラーの面持ちには、ふたたび影が下りた。
「どうして? どうして! みんな待ってるんだよ?」
テイラーはクレオを見向きもせず刀を拾い上げた。
クレオも急ぎ立ち上がろうとした。パディの銃剣の一片が足先に触れた。
「ねえ、テイラー! レナだってずっと心配してるよ。だから戻らなきゃだめだよ! みんなあなたが必要なの・・・・・・とくにレナが・・・・・・」
相手の背がかすかに震えたのを見逃さなかった。
「ね? 彼女だって困ってるよ? ちゃんと一緒にいなきゃだめ・・・・・・」
テイラーは顔を伏せたまま足早に去ろうとした。クレオも慌てて駆けだした。
「だめ! 行かないで! 待って!」
相手の背をつかもうとした指に感触は無く、見開いた目には寝具の白が明るすぎた。
「クレオ? クレオ!」
膿に濡れた耳が母親の声を聞き分けた。一時間前と寸分たがわず、クレオは頬の下に片手を敷いて横たわっていた。ベッドのわきには母親と、養護教諭が立っていた。
「たった今、保護者の方がお迎えに見えたとこよ」
若い養護教諭はクレオの顔色をのぞきこんだ。額の上に手が差しのべられたが、その手の感触はぬるかった。
「困ったわね。前よりも熱が上がってるみたい」
クレオは裏返した布団の上に上体を起こした。母親たちの後ろからもう一人割って入った。
「大丈夫なのか、クレオ? さっきキーナのダチから、お前がここに連れて来られたって聞いたから・・・・・・今ちょうど四限が終わったところだよ」
見ればロミオは、クレオの母親よりも頭一個分大きかった。
「テイラー・・・・・・」
ロミオの丸い目は山型の眉を押し上げるように見開かれた。
「ええ?」
母親と養護教諭がクレオを見つめ返した。
「ちがうちがう! 俺、ロミオだよ」
ロミオは保健室に自らの声を反響させた。
「お前本当に具合悪そうだな。ほら、出られるか?」
彼は布団を退けたり、マットレスから脚を下ろしたりするのに手を貸してくれた。背に腕を回された際、クレオの熱い耳に息が触れた。
「どこで会った? 今夜また話してくれ」
ロミオはなおも、クレオが靴を履いたりするのに世話を焼いてくれた。
「まあまあ、そんなことまでしていただいて・・・・・・」
母親がうろたえるような声を出したが、そのじつ目が笑っていた。
母親が運転する軽自動車の後部座席に、クレオはもたれていた。
「耳鼻科予約したから、ちょっと回り道になるわよ」
「うん・・・・・・」
目を閉じるも、まぶたの裏に血潮の色が見えて気になった。ヘッドレストに横面を押し付けたところで、エンジン音がやむことはなかった。
(ロミオ・・・・・・いないの?)
クレオは今や意識して精神界を望んでいた。しかし目を開くと、フロントガラスごしににじんだ赤信号の電光が差しこんだ。