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救世児  作者: 東屋たつ
13/14

⒌ 同士を刺す -中編ー

 白い手袋の手につかまり、クレオはようやく立ち上がった。相手の袖先(そでさき)には銀糸で二重線が刺繍されていた。軍服は銀ボタンのダブルブレストで、上着の袖と胴はほぼ同じ丈だった。立ってみて初めて分かったが、相手の目の高さはクレオとほぼ等しかった。


 「あなた、以前にもお会いしました?」


 左肩にのみ銀色の肩章(けんしょう)を着けた、レクシー・カズンズの生き写しが首をかしげた。


 「う、うん・・・・・・パディ、だよね」


 「はい、そのように呼ばれています」


 相手の声は細く、淡々としていた。


 「名前まで覚えていてくれましたか。僕もやっと分かりましたよ、そのもさっとした感じの髪型で」


 「ええ・・・・・・?」


 クレオは横髪の中へ指先をいくつか入れてみた。相手の軍服の袖先には銀のカフスと、刺繡糸の二重線が光っていた。右袖の二重線の間には、ひとすじの精巧な唐草(からくさ)文様(もんよう)が縫いとられていた。


 「おしゃれ、だね・・・・・・」


 なにを言えば相手の表情に変化が生じるものか、クレオは言葉に窮した。詰襟(つめえり)の左側に水晶の粒が留まっていた。


 「それ、美徳の雫だな? アンタ、救世児だったのか」


 エリオットが立ち上がるも、パディとの身長差は頭一個分もなかった。パディは相手を流し目で見つつ、首元の宝石に手袋の指をなぞらせた。中の動物は三股に分岐した頭を動かすなどし、愛撫(あいぶ)に応えた。クレオは地獄の番犬ケルベロスを知っていた。


 見ればケルベロスの図柄は、銀ボタンの一つひとつに型押しされていた。ベース形の帽章にも、三つ首の犬は刻まれていた。


 「ていうか、アンタ本当は歩けたのかよ?」


 紺色のスラックスの脚がすっくりしているのを、エリオットはけげんそうな眼差しで見ていた。


 「この方だって眼鏡をかけていらっしゃいませんよ?」


 「えっ?」


 パディが視線を向けたのはクレオだった。静電気に弾かれたように顔を上げると、エリオットも自分を凝視していた。


 「前にお会いした時は、かけていらしたじゃありませんか。赤い、おしゃれなのを」


 淡々と言われるまま、クレオはこめかみの辺りに手を触れた。指先で眼鏡のつるを探るも、触れたのはもみあげの髪ばかりだった。


 「そんな・・・・・・どうして・・・・・・?」


 「実体の視力と、精神の見る力とは別物です」


 クレオの手は頬をかすめるようにして落ちた。


 「えっ? ああ! だからか! 俺最初クレオさんだって分からなかったの、眼鏡のせいか」


 横から指さしてくるエリオットは口を縦長に開け、背筋を反っていた。


 「精神力と身体能力は、常に等しいとも限りません。僕自身もそうですし、さっきの子どもたちが良い例です」


 少年たちが逃げていった、校舎の建っている方角をパディはあごで示した。喉こそか細いが、彼の英語の発音は明瞭だった。


 「悪鬼の標的となるのは、あの手の子どもたちなのです。あ、ご心配なく。僕の部下たちは悪鬼を倒したのであって、人間は傷つけていません。悪鬼と人間くらい嗅ぎ分けられます」


 甲冑たちは校庭を思いおもいにぶらついていた。パディが口笛を一吹きすると、身体を揺らしてはせ参じるのだった。


 総勢六体のよろい武者が、横一列にならんだ。


 「ワオ・・・・・・」


 「これ・・・・・・中、ヒト入ってるの?」


 よろいたちの背丈は、前に立つパディの倍ほどもあった。手足の長さがあまりに異様だった。


 「ヒトではありません。悪鬼です」


 「えっ、やだっ」


 クレオは数歩退き、エリオットも彼から離れようとしなかった。


 「そう怖がらないでください。こいつらは人間に害をおよぼしません。むしろ有益なんですよ」


 パディが澄ました表情で話す間も、黒いかぶとの中から黄色い目がのぞいていた。互いに身を寄せ合うクレオとエリオットに、黄色な眼光はそそがれた。


 「・・・・・・有益? こいつらが?」


 エリオットはクレオの手を探り当てた。


 「はい。悪鬼とは、人間の良心をむしばむ悪徳です。僕はこいつらを調教して、人間をつけねらう悪鬼を追うよう仕込みました」


 パディは腰の後ろに手を組み、いならぶ兵士たちの前を行き来した。置きものの甲冑さながら、よろい武者たちはかぶとの頭をもたげていた。


 「しこむ・・・・・・?」


 エリオットとクレオとは吸いつくように、互いの手を固く握り合っていた。


 「ええ、仕込めますとも。まだ実験段階ではありますが。僕はこいつらの持つ、集団の秩序というものに着目しました。集団行動という悪鬼の習性を、逆手に取ってやったわけです」


 兵士の一人の前で立ち止まると、パディは黒い鉄の腕を抱き上げた。眼前によろいの指先を突きつけられ、エリオットは息をのんだ。


 「つまりは並みの悪鬼より格上の、行軍悪鬼とでも呼びましょうか。僕の目的はこいつらの嗅覚(きゅうかく)を用い、探りだした人間を悪鬼の猛威から救うことです」


 エリオットはクレオの背後に逃げ隠れた。その間にもパディはよろいの腕に頬をすり寄せ、自らの手を這わせていた。鉄腕の(ひじ)から先を、白い手袋の指がたどっていった。


 「ふうん。こいつらからは悪鬼の臭いなんてしねえのにな」


 クレオの背後でエリオットの声がこもった。


 「これを着せてますからね」


 パディはよろいの腕にもたれ、そのままの格好だった。


 「臭い・・・・・・が、するの?」


 クレオは自身の服の背を握るエリオットにたずねた。


 「え? すげえ嫌な臭いじゃん。クレオさん分かんねえの?」


 エリオットはふたたび前へ身を乗り出し、クレオの顔をのぞきこんだ。


 「え・・・・・・い、嫌なって・・・・・・どんな・・・・・・?」


 「分かる必要などないのですよ。悪徳を嗅ぎだす能力は、因果に同じです」


 エリオットはパディを振り返って見た。パディはなおも飽き足らず、黒光りする鉄の腕をなでまわしていた。


 「あなた、人狼の臭いが分かるなんてこと、ないでしょう?」


 青い三白眼の目は軍帽のつばの下に光った。


 「う・・・・・・うん、分からない・・・・・・と思う」


 クレオはロミオのことを思い起こしつつ答えた。彼は「臭い」を頼りに敵のいどころを突き止める。キーナでさえ、始終顔をしかめながら人狼と対峙するのだ。


 パディの目はふたたび甲冑に向けられた。


 「それはなにより。悪徳の臭いなど、知らないにこしたことありません。こいつらは悪鬼の臭いを追う犬なのですよ。早くこいつらだけでも悪鬼を始末しに行ってほしいものです。そうしたら僕も手が放れて、次の一団を調教でき・・・・・・」


 よろいの腕が胸部からもげ落ち、よろめいたパディは鉄腕を取り落とした。よろいは地面に(ひざ)をつき、空のかぶとを落とした。腰を形づくっていた金属片が下へそそがれた。


 腰から切り離された胴の部分がすべり落ちてくるので、クレオたちも逃れねばならなかった。


 甲冑の背はなにか鋭利なもので突きやぶられていた。中の魂を吸い出されたぬけがらが、ひしゃげた鉄の器となって転がっていた。


 黒いなめし革の手甲をはめた手が(つか)を握っていた。よろい武者が立っていたところに、クレオは一月半このかた会わなかったテイラーを見ていた。


 「テイラー・・・・・・?」


 「えっ? 姉ちゃんの彼氏じゃん!」


 エリオットが指さした相手は半袖丈の水兵服を着ていたが、それがまた黒一色だった。


 甲冑は今や鉄くずと化していた。それら鉄くずにそそがれていたガラス片のような目が、次にテイラーへ向けられた。


 「きさま・・・・・・なんてことを・・・・・・」


 彼よりも背丈の低いパディは細いあごを突きだし、震わせた。


 テイラーは刀をひとふり提げただけだったが、背後には軍靴が高々と鳴りひびいた。残る行軍悪鬼が五体とも、新たに装填(そうてん)された銃剣をたずさえていた。


 「かかれ!」


 上下の歯並みがのぞけるほど声を荒げると、パディは手袋の指先で宙を斬り裂いた。よろい武者たちは銃剣を水平に掲げ前進した。黒いショートブーツの足で立ちつくすテイラーを前に、パディ自らも白いエナメルの靴で地面を踏み切った。


 「テイラー!」


 クレオはヒステリカルに息をのんだ。パディが構える銃の先端にはブレードが光り、相手の腹に突き刺さらんばかりだった。


 銃身の上に乗り上げたパディが、相手の脇すれすれを抜けた。


 「なっ・・・・・・!」


 手甲を着けた片手がブレードの留め具辺りをわしづかみにしていた。テイラーは片肘を引くと、銃床にぶらさがるパディもろとも振り捨ててしまった。


 パディは銃を持った手と膝を地面に着いたが、すぐさま体勢を立て直した。テイラーは背後の悪鬼が構える銃剣の上にとび乗った。彼が(ほのお)の色をした(やいば)を振るうと、二体目の兵士が頭部を断たれた。


 「きさま!」


 パディは急ぎ銃剣の台尻を肩に押しつけ、細い脚をふんばりながら撃鉄を起こした。銃声が響くとエリオットは両手で耳をふさぎ、クレオの肩も耳まで届くほど力んだ。


 テイラーは上体をかるく反って弾をかわした。彼の背後をねらっていた行軍悪鬼が流れ弾を食らった。


 「しまった!」


 自分の兵士が崩れ去る様子に、パディは目を見張っていた。テイラーが銃身を踏み切ったと思うと、彼はみぞおちを蹴りつけられていた。


 「ああっ!」


 弾と火薬の空になった銃が手から放れ、引き金の金具を支点に地面の上を回っていった。


 行軍悪鬼は残すところ二体だった。テイラーは銃口を向けられるも、身体を低くして正面から踏みこんだ。掲げられた銃身の下で鉄火の刃を振るい、よろいを上と下とに両断した。


 下肢を斬り離された兵士は武器を取り落とした。大小の鉄板をつないでいた継ぎ目は解け、地面にくろがねが降りそそいだ。

 

 行軍悪鬼は最後の一体となった。味方の死骸が足場を埋めつくす中に、残党兵は武器を抱え立往生していた。ぎこちなく動く鉄の指が、銃の引金をとらえようとしていた。


 足先で甲冑の部品を蹴ちらしつつ、テイラーは手の中で刀の柄を回した。刃を上向きに構え、切先(きっさき)をよろいの胸当(むなあて)へ一息に突き刺した。


 彼の腕力のまま甲冑は突き上げられた。鉄かぶとが逆さに転げ落ちた。


 クレオもエリオットも手で両耳をふさぎ、互いに身を寄せ合いうずくまっていた。よろいの手足はもげ落ち、離散した金属片が仲間の残骸の上へ降りそそいだ。


 テイラーは熱のひかない刀を手に立っていたが、クレオはむせ返るようなうめき声で我に返った。見ればパディは、踏みつけられた薄い胸を上にして倒れていた。 


 「パディ!」


 クレオは駆け寄った。起き上がろうとする相手の後ろにデニムの膝を着き、支えてやった。


 手袋を地面にこすりつけながら、パディは左右のひじを突きようやく上体を浮かせた。


 「・・・・・・待て、きさま!」


 テイラーは早々に立ち去るところだったが、細い声が裏返るほどの剣幕に足を止めた。


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