⒌ 同士を刺す -前編-
遅れてきた英雄、登場。
二月、クレオの中耳炎はここ一週間の寒さにやられた。膿んだ耳はいよいよ熱をもち、三限の途中で保健室行きを願い出た。
保護者の出迎えを寝て待つよう、養護教諭に言いつけられた。靴を脱ぎ、布団の中で横になった。膿が垂れて枕カバーを汚さぬよう、頬骨の下に片手を敷いた――――
高さ五ヤードほどのフェンスに沿い、八番ストリートの歩道を歩いた。陽射しは曇天のすきからまっすぐこぼれ落ちる時間帯だった。ふさぎの虫がフェンスの内と外を飛びまわっていた。アスファルトの地面に黒影の泳ぐさまは海底をも、水面をも連想させた。
フェンスには小学生くらいの男の子がもたれかかっていた。近づくにつれ、それがエリオットであると分かった。
「エリオット・・・・・・?」
声をかけられた相手は振り向き、クレオの顔をけげんそうに見つめた。
「・・・・・・クレオさん?」
相手はフェンスにもたれたまま首を傾げ、下からのぞきこむようにクレオの顔を見た。
「う、うん、そうだよ。覚えてくれてた?」
空で虫が鳴き交わす合間あいまに、なにかボールのようなものがしきりに地面を打つ音が響いた。子どもたちの遊ぶ声はエリオットの背後から聞こえた。
「おーい! お前たち、こっち来て一緒に遊ぼうよ!」
思いがけぬ呼び声に二人とも驚き見上げた。
フェンスを乗り越え、少年はクレオとエリオットの前に足から着地した。
「ほら、つっ立ってないで、俺たちと遊ぼうよ!」
少年はクレオの腕をつかむも、その手には指が数本足りなかった。顔から鼻柱が欠けているのを見たクレオはとびのかんばかりだった。しかし次には彼もエリオットも、新しく整地された運動場を前にしていた。
陽の照った校庭を十人近い子どもらが駆けまわっていた。子どもたちは一個のボールへ集ったり、また散ったりしていた。一人が足で蹴り上げたかと思えば、別な子どもはそれを脇に抱えて走った。無秩序の中に球は転がったり、宙に弧をえがいたりした。
少年の鼻が削げ落ちたところには、大きな三角形の空洞ができていた。
「えっ?」
クレオの左袖を引っぱったのはエリオットだった。
「逃げようよ」
エリオットはクレオの背後に隠れながらも、白線の引かれたグラウンドをうかがっていた。
鼻の無い少年がクレオの腕を引く力は強かった。子どもたちの脚が器用によけるのか、ふさぎの虫は踏みつぶされることがなかった。甲羅を干す虫たちを踏まぬよう、まだらな陽射しにきらめくグラウンドをクレオは用心して進んだ。エリオットも離れなかった。
グラウンド・レーンの内側の、バスケットボール・コートが二面敷かれた広場まで来た。それまでボール遊びに夢中だった他の子どもたちも集まり、クレオら二人を取り囲んだ。最初の少年をふくめ総勢十二、三人だった。
身体の部分のどこかしらが欠けた少年が半数だった。片目の無い子どももいれば、耳のひだを削がれた子どももいた。手先がまるごと無い腕をぶらさげる者もいた。左右の手に十本指がそろっている者はまれだった。
とはいえ残りの半数には目鼻が有り、四本の手足が有った。
腕の有る少年も無い少年も輪になり、クレオとエリオットの周囲にとび跳ねてまわった。
「お前たちは俺らとサッカーして遊ぶんだ!」
「ラグビーだ! ドッジボールだ!」
円舞する少年たちはボールを投げ合った。球はクレオの視界を行き来した。
「な、なんだよ・・・・・・お、おいっ、クレオさん!」
ボールを投げてよこされるもクレオは受けとめきれず、足元に取り落してしまった。
「痛っ・・・・・・!」
ボールが腿に打ち当たる衝撃に縮み上がった。脚をすべり落ちた球は、その重みのまま数フィート先まで転がっていった。
転がっていた球は止まった。ヒトの顔に見つめ返されたクレオは短く息をのんだ。
「うわあ!」
エリオットもクレオの腕にしがみついた。他でもない、クレオの手足をかすめていったのは人間の頭部だった。それも円をなしてたわむれる少年たちと同じ年ごろの、子どもの生首であった。
毛髪を刈られたり、むしられたりした頭が横たわっていた。がらんどうの目を見開き、己を受けとめ損ねたクレオに底なしの悲愴を投げかけるようだった。
少年たちはボール遊びがつづかなかったことに腹を立て、八方からつめ寄って来た。
「てめえ、やる気あんのかよ?」
ななめ後ろから響いた声にクレオは身震いした。
「落としたお前が負け。次はお前の番だ」
「次はお前の首だ」
他の子どもらも口々にとなえた。虫の羽音は止まなかった。
「こいつらの息、悪鬼くせえ。やっぱりこいつら悪鬼だ」
「えっ?」
エリオットはクレオのパーカーを握りしめた。ふたりは互いに身を寄せ合い、せまり来る敵たちから一インチでも距離を保とうとした。
子どもたちは黄色い眼光を放った。
「お前の頭!」
頭に手をかけようとする子どもがいて、ふたりはその場にくずおれた。
「いやあ!」
クレオは額が地面へ着くほど頭を低くもたげ、両手でかばった。
「来るなあああ!」
その上からエリオットも覆い被さった。
不意に少年らの責め立てる声がやんだ。頭上から魔の手が退いていく気配がした。
こわごわ頭から手をはずし、クレオは上体を起こした。早くも少年たちの輪は、自分たちから数ヤードあまり遠ざかっていた。周囲をうかがうと、わきに何か横たわるものがあった。
銃床の木目模様はこまやかだった。継ぎ目が三つもある長い銃身の根元に、引き金は銀細工のごとくきらめいていた。
「えっ? これ・・・・・・」
エリオットが銃身をなでるように触れた。銃口の先端には針状のブレードがくくり付けられていた。にぶい陽光を反射するのは、三角形の剣身だった。
バスケットボールのゴールかごに、紺色の軍服をまとった人物が足を組んで腰かけていた。陽光は雲が薄らいだすきからそそぎ、軍帽のつばの影を際立たせた。
その人物は右腕を垂直にかかげたと思うと、まっすぐ前へ突きだした。
「突撃開始!」
黒い靄がバスケットの支柱を軸に、一対の翼のかたちとなった。次には左右に三体ずつ、計六体の黒いよろい武者が立っていた。
黒光りする甲冑の隊列がクレオたちのわきを過ぎて行った。甲冑は鉄板の接がれたかたちに合わせ揺れ動いた。鋼鉄の軍靴はグラウンドを踏みならし、ふさぎの虫をつぶした。
よろい武者たちは銃剣を一丁ずつたずさえていた。少年らは散りぢりに逃げまどうのだが、一人が自らの血の上に腹ばいとなった。他の少年らも背後から撃たれ、刺しぬかれた。割れた眉間から脳漿と血が噴き出し、言葉にならない叫び声はやんだ。グラウンドの上に血だまりが満ち満ちていった。
遠のいていたクレオの意識が戻った頃には、少年の数は半減していた。飛び交う虫の群もまばらで、グラウンド一帯が黒甲冑の兵士たちに占拠されていた。見れば残った少年たちは目が無かったり、鼻が無かったりする類ばかりだった。
軍服の人物はゴールから降り立ち、爪先のとがった白いエナメルの靴で進み出た。生き残った少年らは白い靴に追いたてられるようにして逃げていった。仲間のしかばねを乗りこえ、虫の死骸を踏みしだき、泣き叫びながら校舎の方へ走り去った。少年たちの頭上にふさぎの虫の残党も付き従った。
虫の羽音は遠ざかっていった。運動場にはクレオとエリオットの他に、六領のよろいと生首、そしてもう一人が残った。
クレオのすぐ目の前に生首は転がっていたが、米粒のようなうじ虫が眼窩や鼻孔を出入りしていた。白い手袋を着けた手で拾い上げられると、食道や気管の空洞、骨の断面の形がよく見えた。
「かわいそうに。だけど、お前に与えられるのは、これだけですよ」
軍服の人物が言った。次いで死人のひらけた口には、薄い唇が食いついた。
「うえっ!」
うじが出入りする口から舌を引き抜いてのち、軍服の人物はエリオットの声で振り向いた。軍帽の固いつばの下に、切れ長な青い目がうかがえた。