⒋ 救済を誓う -後編-
その晩がキーナの初陣だった。線路の上を歩いてきた彼は、十七世紀の砲兵を思わせるなりだった。
「さまになってるじゃねえか」
ロミオは弟の肩や背を叩くなどして出迎えた。クレオは靴底を傷めぬよう、ロミオから二ヤード離れたところでレールを踏みつけて立っていた。
黒い膝丈のブーツは砂利の中を引きずられて来たため、すでに新品の感がなかった。折れ曲がった長靴の足首を、大振りなバックルが三個ずつ飾りたてていた。左脚の一番低い位置に留められたバックルが、雫形の石の台座を果たしていた。
「美徳の雫・・・・・・」
クレオが見ているのを意識してか、キーナはブーツの足先を突き出してきた。
「どうだ! これが俺様の美徳の雫さ。目もくらむようだろ?」
新米の救世児は両手を腰に当てた。あごを突き上げた表情は、あたかも自分のだんご鼻が実際以上に高いとでも思っているふうだった。地面ではきびすを支点にブーツの足をちらつかせてきた。相手が詰め寄るのに圧され、クレオはレールを踏み外した。
「う、うん・・・・・・きれいだね・・・・・・」
「・・・・・・いつになく高飛車だな、お前は」
苦笑するロミオがうかがえた。
「アンドレオの二の舞を踏まないでちょうだいよ? そんなに思い上がったりして」
ホームの縁の黄色い線からは一定の距離をおき、レナは円柱にもたれて立っていた。高い位置から響く声にキーナは振り向き、それから兄の顔をけげんそうに見た。
「女ひとりか? 例のイケメンはどうしたんだよ? 聞いてた話とちげえじゃねえか」
ロミオは両手を脇へ投げだし、肩をすくめて見せた。
「テイラーのこと? 連絡がつかなくなって一週間になるわね」
少年三人はまたもレナを振り返って見上げた。しかし彼女は腕を組んだまま、兄弟を一瞥すらしなかった。
「なんだ・・・・・・お前たち、けんかしたのか?」
ロミオが訊いた。
「じゃないけど。テイラーが勝手にいなくなっちゃったの。アンディのことがあって以来ね」
「・・・・・・マジか」
レナはなおもホームの円柱にもたれ、少年たちがいるよりも遠く一点を見つめていた。クレオとロミオら兄弟は、線路がユニオン駅を突き抜ける一角に落ち合ったのだった。
終電後の駅は肌寒かった。三本の線路の横にホームが敷設されていた。ホームは全長千フィートにもおよび、屋根はトタンでふかれていた。
「まあいいさ。あいつがいないなら、お前は俺かレクシーといてくれればいい。今夜はぜひともお前の金縛りが入り用なんでな・・・・・・テイラーもいれば大助かりだったが」
ロミオは身ぶり手ぶりを駆使し、レナをなだめようと努めた。
「・・・・・・そこにいてくれさえすればね」
ロミオの左手の中指には琥珀色の宝石が光っていた。クレオの視線に気づいたらしく、相手は振り向いてきた。
クレオは見てしまっていた無礼を詫びようとした。しかし彼がうろたえるのも構わず、相手は左手を差し出してきた。
こわごわ両手をそえると、相手の手はぶあつかった。サクランボ大の琥珀は大きな手のまさしく中心にはまっていた。指輪の中をどうにかのぞきこんだが、思いがけず石のほうからドラゴンの像が立ちのぼった。
クレオは声を上げてとびのいた。指輪の上に立てる程度の小ささではあったが、実に精巧な絵すがたのドラゴンだった。カエデの葉にも似た両翼がなびき、うねる首先からは焔も噴き出ていた。
「すごい・・・・・・」
クレオが息をのむと、ロミオは一層目を細めた。
「俺のも見たいか?」
ふたりの間にキーナの片足が割りこんだ。
「ちょっ! お前!」
ロミオはあごを引き、露骨に嫌な顔をした。
クレオのほぞの高さにかかげられたのは、当然ながら宝石が付いたほうの足だった。兄のものと比べると石の色は格段に薄かったが、そのぶん中をのぞきやすかった。
石の中にかがみこむ動物は、前脚がよほど長かった。
「サル?」
キーナは膝でクレオの右脚を小突いた。
「あっ!」
クレオは砂利地を後ろに数歩よろめいたが、かろうじて尻餅はつかなかった。
「キーナ!」
ふらつくクレオをにらむばかりで、キーナは兄のとがめる声に振り向きもしなかった。
「乱暴なことするじゃないの」
レナは変わらず腕を組み、片膝をせり出した格好でホームの円柱にもたれていた。
「そうだ、レナ。この際だから、お前の雫もクレオに見せてやれよ」
ロミオが呼びかけると、不服げに遠くを見つめていたレナはおもむろに向き変わった。朱色の円柱から上体を起こすと、ホームの黄線を踏みこえ砂利の上にとび降りた。後ろ手にポニーテールの房を整えつつ、彼女はクレオの元に歩み寄ってきた。
やがてレナの指は黒いリボンの先をとらえた。クレオの方へ身をかがめ、髪飾りを手に取れるよう気を利かしてくれた。クレオは宝石の中へ目をこらした。雫の丸みを帯びた側に、なにか大型獣が寝そべっていた。大きな身体と細長い頭部、一対の牙のようにするどい角を持った雄獣だ。
「牛・・・・・・?」
褐色の短い毛の下に、牛の筋肉の付き方は見て取れた。ロープにも似た尻尾を振る呑気さだった。
「かわいいでしょ?」
レナのポニーテールの毛先が揺れた。
「これはね、〈勤勉〉の救世児である私が、克服すべき悪徳のすがたなの」
「え・・・・・・?」
咆哮混じりの風が吹き抜け、一同は身の引きしまる思いで風上を向いた。
ロミオは両腰の拳銃嚢に手をかけた。
「うん、人狼の臭いがかなりする」
「また人狼・・・・・・」
クレオは片手で自らの胸元を握り、辺りを振り返った。レナとロミオの、どちらに身を寄せるべきか迷った。しかしレナのほうでもロミオを頼む素振りだったので、ふたりして彼の背後についた。
人狼のうなる声はこだました。兄が拳銃を構えるのにならい、キーナも背負っていた矢筒を左肘にかけ替えた。
「何度も言うようだが、目と目の間をねらうんだぞ」
「おうっ!」
キーナは矢を一本、弓銃の上につがえたところだった。
クレオは耳元に鎖の張る音を聞いた。レナもレナで、両手で自前の武器の強度をはかっていた。
先に人狼の首が現れ出たのは南側からだった。砂利の下から三つの黒い頭部がせり出し、西側のホーム寄りのレールが波打つように盛り上がった。
「出たか!」
静かに張りつめていた空気をキーナがやぶった。波打つレールにクレオの片足はすくわれ、またしても後ろに倒れこむところだった。レナが受けとめてくれたので、どこも打ちつけずにすんだ。
枕木を弾きとばし、レールをのし上げて現れ出たのは三頭の人狼だった。これまでクレオが見てきた中でも、赤く光る目玉がとりわけ大きかった。獰猛なグリズリーにも似た人狼たちが無理矢理に地面をおし分け、周囲には砂利の粒がまき散らされた。
「痛えっ!」
小石の一粒がキーナの額に当たった。新米兵士はさっそく顔から血を流しつつ、左端の一頭にねらいを定めた。
「くたばれ!」
赤いダーツのような矢が弾かれ、敵の黒い頭をかいた。靄状の毛皮が裂けた箇所から黒い血飛沫があふれ出るも、毛皮を切られた程度では敵もひるまなかった。
たけり狂った人狼たちが一斉にとびかかってきた。
「危ない!」
クレオが後ろから叫ぶも、キーナは敵を仰ぐばかりで動こうともしなかった。それというのも三頭の人狼は、宙に張り渡された鎖の網で捕えられていた。
片腕を肩の高さに、もう一方を頭上にかかげ、レナは身体をひねりながら鉄鎖を引いていた。
「ちぇっ! 横槍入れやがって!」
キーナは弩を振り下ろした。上からは絶えず呪詛のうめき声が降りそそいだ。
「あなたのお兄さんならお礼を言ってくれるわよ、こういう時」
話しながらレナは両肘をしめ、獲物のかかった網の目をせばめていった。彼女が自身の肩に顔をうずめるようにして目をつむると、鎖は敵たちをひねりつぶした。密な鎖を伝い、黒い膿のような死骸が砂利地にほとばしった。
「どんどん来るぞ! 気を抜くな!」
線路の両方面からせまり来る敵の数を確かめる暇はなかった。ロミオの二丁銃は手近な標的から撃ち殺していった。線路をおし上げ、仲間を踏みつけ、人狼の群は続々と詰め寄った。
「分かってるよ!」
キーナは兄の傍らに駆け参じた。ボウに二の矢をつがえ、兄の撃ちこぼした敵に向けて放った。
背後からとびかかろうとする敵の腹にはモーニングスターの一撃が飛んだ。レナは鉄鎖を投げ縄の要領で振りかざし戦っていた。クレオは三人が張る結界のただなかに立ちすくんでいた。ロミオの銃弾は敵たちを水風船のごとく撃ちこわした。赤銅色のレールがねじ曲げられた形のまま、中空にそびえていた。
キーナの矢が飛ぶ様子は十回も見られなかった。ついに彼が矢筒へ伸ばした手は空気をつかんだ。
「やべっ、もう矢が・・・・・・!」
眼前に敵の黒い図体を見たキーナは脇へとびのいた。一人分の戦力が絶え、人狼はそのすきから結界の内側へなだれこんできた。
「クレオ!」
ロミオは振り向きざま叫んだ。クレオが見上げる先には大きな牙の数々と、黒くぶあつい舌がせまっていた。
背後で鎖が鳴り響いたと思うと、次には押し倒されていた。
「痛・・・・・・」
クレオは砂利の上に這いつくばらねばならなかった。自身の背にのしかかる者の上には、なにか重い液体がほとばしった。
クレオをかばっていたレナは身を起こした。人狼の黒い血はもみあげから滴り、首筋を伝い襟を汚した。変形したレールには幾連もの長い鎖がからんでいた。汚泥を吸っていく砂利の上を引きずられ、鎖はレナの袖先に巻き戻されていった。
「まだ来るのか! おい、女! ぼーっと突っ立ってねえで、こっちも退治しろよ!」
弓と矢筒をいたずらに提げたキーナがどなった。人狼のうなり声と銃声は止まなかった。赤い眼光を放つ敵は線路の上にも下にも絶えなかった。ロミオが一頭ずつ銃弾を撃ちこむも、掃討にはおよばなかった。
「鎖ならもう使いものにならないわよ! どうしてこういう時にテイラーはいないの・・・・・・」
レナの背もスカートも黒く濡れていた。
ロミオは標的の群から一寸たりとも目を逸らさなかった。
「いないやつのことは仕方ないさ。ここは俺たちで食い止める! やれるな?」
二十対あまりもの光る目がにらみ返してきた。
「ええ、やれるだけのことは」
レナは濡れた横髪を手袋の指でかき上げ、キーナを肩で押しのけ進みでた。
「ちょっ! ・・・・・・お前、汚え・・・・・・」
使い古された鎖の束が彼女の服の裾からのぞいた。
「これで最後よ・・・・・・」
手にも一連の鎖を握りしめていた。ブーツの脚に巻きついていた鎖の先端が砂利地へもぐりこんだ。
一本目の鎖は五ヤード先で先頭の人狼に巻きついた。鎖は中空のレールとからみ合い、人狼の黒い図体を縛り上げた。地面をとび出した鎖は後から来る敵たちも捕えた。
レナが地中を介して鎖をたぐり、砂利地にふんばっていた。
「こいつらは任せた! クレオとキーナを頼むぞ、レナ!」
ロミオは駆け出していった。せまり来た群のうち手前の六頭を、レナはひとりで絞めることとなった。
鎖のコイルの中でうごめく敵たちの合間を走りぬけると、正面からせまり来た敵が前脚を高々とそびやかした。
「食われる!」
キーナが叫び、クレオも手に汗を握った。ロミオは自ら撃ちこわした死骸を次々とかいくぐっていった。ほとばしる死骸の向こうに彼のすがたは見えなくなった。今では銃声のみが、彼の消息の指標であった。
上着の第三ボタンと第四ボタンの間から、レナは片手で鎖を引き出していた。彼女が鎖を引くほど、人狼たちは絞め上げられていった。
腕を水平に伸ばせるだけ伸ばすとレナは目をつむり、肩の上に顔を伏せた。
断末魔のうめき声を上げていた人狼たちが溶けてほとばしった。次には敵をひねりつぶした後の鎖が散りぢりに砕けた。
「ああっ!」
レナの胸元から引き伸ばされていた鎖も断ち切れ、渾身の力を支えきれなかった腰はよろめいた。
ゆがんだ線路は南北に延々とつづいた。一面に広がる黒い血だまりの中に、短くちぎれた鎖が散乱していた。
クレオとキーナが前方へ目をこらしていると、拍車を鳴らしてロミオが戻ってきた。十ヤード先からでも彼が手を振り上げるのが分かった。
人狼の死骸をはね散らしてきたブーツは汚れていた。黒い返り血はズボンや上着、帽子にまで飛んでいた。
「顔にも付いてるわよ」
レナが立ち上がると、スカートの裾から欠けた金輪がこぼれ落ちた。
ロミオは指先で左右の頬を探ってみて、それから手のひらに汚れをなすりつけた。
「お前こそ」
こすればこするだけ広がる汚れと格闘しつつ、ロミオは歯を見せて笑った。
「分かったか、キーナ? ひるんだ時点で救世能力は使えねえんだぞ」
キーナは鼻をつまみ、なにも答えなかった。視線を定める方向さえ決めかねた様子だった。