⒋ 救済を誓う -中編-
町外れの競技場ではアメリカン・フットボールの試合が執り行われる時期だ。ミサから帰った後のよそ行きの服を着替え、クレオはロミオの車に乗った。
三時間におよぶ試合の間中、クレオは周囲の熱気をよそにジュースを吸っていた。その後でジャンクフード店の奥まった席までついて行ったのである。
レジの向こうから聞こえる電子音と、他の飲食客らの声が止むことはなかった。クレオは冷えたシェイクで身を固くしていた。食事中のロミオと目が合うと、互いに気恥ずかしくなって笑った。
「よくここで食べるの?」
「ああ、近いからな。部活が終わって、みんなでとか。あとはダチとか。いつもなら日曜は家で俺が作ることになってんだけど、今日は手抜き」
「毎週手抜きでもいいんだぜ? 兄貴の焼く肉って硬えし、味薄いし」
となりに座る弟のキーナが言った。口にはナゲットが三つも入っていた。
「お前もつまめよ?」
ロミオはテーブルの中心に広げられたナゲットの箱を指し示した。ナゲットを飲み下さぬうちにも、キーナはコーラのストローをくわえていた。
「一緒にバスケやろうって誘ったんだけどさ。キツそうなのは嫌だって・・・・・・全く」
以前ロミオが話してくれた。キーナはクレオの一級下だが、易しい方の数学や化学基礎の授業で見かける。つねに四人か五人の男子たちが教室の隅に陣取っているが、そのうちの一人である。背一面に下品な絵柄が載ったパーカーを吊っ被り、インディゴが抜け大穴の空いたデニムを引きずって歩く連中だ。
自分の食いものに顔をつっこむようにしてむさぼる間中、キーナはクレオと目を合わそうとしなかった。ハンバーガーの箱が二つと山盛りのフレンチフライ、コーラはLサイズだ。
クレオは腕時計をのぞき見たが、すでに六時をまわっていた。母親には夕飯前に帰ると連絡してあった。気取られぬよう時間をうかがったものの、テーブルの下へうつむいているところをキーナに見られてしまった。
「なんだ。どうせ俺たちとここで食うのも不満なんだろうが」
キーナのポテトの山は切りくずされ、半分ほどの高さになっていた。
「よせ、キーナ。クレオは家で飯食わなきゃならねえんだからな。大丈夫だ、クレオ。半だよな? こいつが食い終わらなくても、お前のことはちゃんと家まで送るよ」
同じテーブルに着く人間が聞きとれるだけの音を立てなければ、キーナは飲み食いできないらしかった。
「ったく! お前は本当に食い方が汚えな・・・・・・」
握りつぶされたハンバーガーからは始終マヨネーズが垂れ落ちた。店のロゴが浮き彫りになった黒いプラスチックの盆の上には、紙ナプキンやポテトの切れはしが散乱していた。
「それにもうガキじゃねえんだから、少しはドカ食いのくせ改めろよな。代謝は落ちてるぜ?」
「うっせえ!」
むきになったキーナは食べ物にがっついた。もはやロミオのほうでも弟の返事を待たなかった。
「でもな、クレオ。こんな奴が美徳に見染められたんだぜ? 惚れた女のために誓いを立ててな」
キーナは食べものを口いっぱいに含んだままむせ返った。周辺の席に着いている客まで振り向かせる騒ぎとなった。
ロミオはさらしの紙ナプキンを数枚、束のまま弟に渡してやった。品のない声は店中に反響した。周囲の飲食客や店員から非難がましい視線を受け、クレオは二人前恥じ入った。
口元を拭い終えるなりキーナは啖呵を切った。
「このクソ兄貴! 俺に恥をかかせる気か!」
「言われて恥ずかしい相手なら、はじめから救済したいなんて思うな」
周囲の客がいつまで自分たちのテーブルに憎悪の目をそそぐか、クレオは気が気でなかった。
キーナがテーブルに肘をつく所作はさも大儀げだった。彼がなにも言い返せずにいるうちに、周りの客は自分たちの雑談や食事を再開した。店内にざわつきが戻り、クレオもようやく背もたれに寄りかかった。
キーナはコーラのストローを吹いてむくれていたが、ついに盆の上に被さっていた上体を起こした。
「ふん! 兄貴だってお袋を選んだくせに!」
ロミオはいくぶん顔を赤らめた。しかしクレオが不意討ちを食らった様子でないのを見て、いち早く平静を取り戻した。
「ほーら、クレオだって知ってるぜ? だって俺隠してた覚えねえし。救世児が自分自身の誓いに恥じてるようじゃ、務まらないぜ?」
兄にたしなめられ、キーナはわざとらしくため息をついた。
「ああ、そうかい! そんなに聞きてえなら聞かしてやるよ」
言うなり食物の脂に汚れた顔を乗りだしてきた。
「俺が救済を誓ったのはな、ボニー・マイヤーだ」
「・・・・・・えっ?」
相手の語気こそすさまじかったが、クレオは言われた名前をのみこめなかった。いかに聞き返したものか窮し、ロミオとその弟を順繰りに見比べた。二人は年子だが、背格好や目鼻立ちはうりふたつだ。見比べたとはいえ、その実クレオの目は兄のほうばかり頼りにした。
「ボニー・マイヤーだよ。俺の彼女!」
キーナが舌打ちした。目付きは兄よりも格段に悪かった。
「てめえ、同じ授業に出てる人間も分かんねえのか? 最低だな」
視線を逸らされてばかりいて業を煮やしたらしかった。キーナは腕を伸ばし、シェイクの紙コップを持つクレオの手をつねってきた。
「痛っ」
水滴に濡れたカップからクレオの手が弾かれた。
「ちょっ・・・・・・なにしてんだお前!」
ロミオが血相を変えて弟に問いただした。
「なにもお前、クレオに手を上げることはねえだろ?」
「だってこいつ、人間以下だぜ?」
「いい加減にしろ、キーナ!」
兄弟は目と目で火花を散らしていたが、それも数えるほどの間だった。ロミオはクレオの手を気にかけ、テーブルの向こうから身を乗りだしてきた。
「大丈夫? 赤くなってない?」
飲物のカップの側面を当てがうなどし、つねられた手を介抱してくれた。その間にもキーナはナゲットを次々と口へ放りこんだ。口に含んだものをすべて飲み下すには、大きな紙コップを傾ける必要があった。
「同じ授業に出てる人間も覚えられねえとか、マジで・・・・・・最低だろうが!」
一息に飲みほしたコーラのために、キーナは言う途中でげっぷをした。クレオは椅子の上で縮み上がった。
ロミオは手の中に額の片側をうずめ、ため息をついた。それからようやく顔を上げると、弟に問うた。
「じゃあ、そう言うお前は、キーナ。自分の同級生を全員知ってるのか?」
「ああ知ってるぜ!」
間髪入れずに言い返すと、兄と同じ丸い鼻をした弟はふんぞり返った。
「女子も男子もか?」
「ああそうだよ!」
「どうだか」
改めて聞けば、ボニー・マイヤーなる少女とキーナとは一月来の恋仲らしい。校舎内で見かけたことのある黒人の女子生徒をひとりずつ思い起こし、クレオはようやくたどり着いた。始終二人で連れ合う女子たちがいた。
彼女たちは体格も、化粧の具合も大人さながらだ。ひとりはソフィ・アヴィニョンとかいった名前だ。赤く染め上げたドレッドヘアの鬱陶しさで人目を引き、おしゃべりの声の大きさで学校中に名を馳せる。彼女について回るほうがボニー・マイヤーだ――――