朝を共にするA
仲島視点です。
ピピピ ピピピ ピピピピピピ
規則的な電子音が遠く聞こえる。始めは大人しく鳴るそれも、なかなか起きない主人に焦れて意地でも起こしてやろうと音量を増していく。こちらも聞き慣れてしまったもので、なかなか手が伸びないのはいつもの事だ。
そんないつもの攻防が、隣から延びてきた手によって止められた。
やっと静かになったとホッとしたのもつかの間、隣から「おはよう」と少し擦れた声が…
……声?
目を見開いて隣をみる。
そこに居る人物に一瞬呼吸が止まった。
幻覚ではないだろかと何度も瞬きをしても隣にいる人物は消えてはくれない。
「…おはよう…ございます」と返したが、こちらも随分と擦れた声で相手に届くかわからないほど小さな声になってしまった。
隣で寝ていたのは橘だった。
彼は「酷い声だな」とふっと小さく笑う。柔らかなその雰囲気に衝撃を受け、目を見開いたまま動けなくなった。
まさか!?
橘はそんな僕の顔をジッと見つめるとニヤリと笑い「昨日は可愛かったよ」気障ったらしく言った。
まさかーーー!?
…と衝撃を受けたい所だが、からかうようにニヤニヤと笑う橘にイラッとする。思わず枕を掴み彼に投げつけてしまった。
寝起きで少し混乱はしたが、昨夜の記憶はしっかりとある。どうせなら全部忘れてしまっていた方が僕にとっては幸せだったのかもしれない。
今まで数え切れない位に酒を飲んできたが、学生時代も社会人になってからも酔って醜態をさらした事は一度もなかった。
なかった筈なのに…。
昨夜……
「そろそろ帰るか?」と橘に言われた時、穏やかで楽しい時間の終わりにポツリとした寂しさを感じてしまった。
『「もう少し一緒に居たい」と言ったら彼はどういう反応をするのだろうか?』
橘が「帰る前にトイレに…」と席を立ち一人になって僕は机に突っ伏した。
「今僕は何を考えたんだ?
このまま一緒に?」
僕は人恋しかったのだろうか?
昔付き合った彼女と別れる時でさえ寂しさを覚えた事はなかったのに。
橘とこのまま別れるのが寂しい!?
…果たして、これは恋愛感情なのだろうか。
それとも、子どもの時に遊んだ友達と別れる寂しさか?
自分に問うてもわからない。
では、言ってみるか。
橘に「寂しい、まだ一緒に居たい」…と。
酔いで火照っている体温がさらに上がるような感覚がした。これは、あからさまな夜の誘い文句だろう。ただ食事をしたのではない「デート」だったのだ。さすがにそれは恥ずかしい。まして、まだ自分の気持ちを模索している状況で「寂しい」と言うのは、ずるいのではないか?
でも「まだ一緒に居たい」というのは本心だし……。
………。
「あ゛あ゛ぁー!何をうだうだと考えているんだ!」
彼は勇気を持って告白してくれた。男である僕に、罵られるのも覚悟して。そんな彼を“恋愛対象になるかもしれない同僚”として見ていきたいと思ったのだ。それなのに「恥ずかしい」とか言って何もしないのはフェアじゃない。
恥ずかしさを捨てて素直にならなくては!
……と思っても、理性や経験やいろいろが邪魔をして客観的な僕が僕の肩を掴んでガタガタさせながら「止めとけ、三十路の男が言っても引かれるだけだ!」と叫んでいる。
喧しいので、「もう、酒の力で黙らせてしまおう!」と手元の酒を一気に飲みほした。
「勝った方が本心である」と第三の楽観的な僕が下した判断はあまりにも楽観的過ぎた。
ガタリと襖が開いた音に「ゔ~」と唸りながら顔を上げた。橘が戻ってきたのだ。身体の感覚が遠い。強い酩酊感に身体の制御が鈍くなっている。「これが酔っ払いの感覚か」と客観的な僕が考えている空きに腕が勝手に橘に伸びていた。
「たちばな~」と彼の袖を引っ張り「もっと飲む~」と首を振っている……のは僕だよな?
羞恥心といのはアルコールで溶けるのか?
そこからは酷いものだった。
優しく「もう止めとこう」とか「家まで送ってくよ」と言ってくれる橘に、「まだ飲む~」とか「家で一緒に飲もう」とか「離れたくない」だとか。。。
帰ると言う橘を無理矢理家に誘い、家でアリの巣を鑑賞しながら一緒に飲み、足元がフラフラになっているのに鼻歌を歌いながら酒の肴を作った。さらに、止める橘を無視して自室に二人分の布団を敷いて、泊まっていけと迫った。
罪状は数え挙げたらきりが無い。
隣で投げられた枕を受け止め、ニヤニヤ笑う彼は、僕が行った悪行の数々を気負わないようにふざけてくれているのだ。
完敗である。
男としても、人としても、彼はとてもいいヤツだ。
戻ってきた羞恥心と居たたまれなさの狭間からジワリと暖かい気持ちが湧き上がる。
……が目を瞑り、一旦保留する。
「朝ごはん食べられるか?」と聞き、起き上がると「食べる!」と元気な返事が返ってきた。
まずは腹ごしらえだ。
布団を畳んでくれると言う橘を残し、台所に向かいながら冷蔵庫にある食材を思い浮かべる。
ほうれん草に卵。魚は塩鮭かあじの干物か。冷凍庫にシジミがあったはずだから定番の味噌汁かなあ。
台所について冷蔵庫を開ける。
「まずは米だな」
昨夜は酔ってからんで酷い有様だったが、唯一褒められるのは、米をといで浸水させておくのを忘れなかった事だ。冷蔵庫から浸水させた米を出し、土鍋に入れて分量の水を入れてからふと気付く。
料理を誰かの為に作るのは初めてだ。
正確に言うと二度目なのだが、昨夜は酔った勢いのまま作ったので気にしていなかった。
少し考え、橘に声をかけに行く。
「なあ橘、ご飯は固めと柔らかめとどっちが好き?」
橘の背中に問いかけたが、畳んだ布団を持ち上げた中腰のままフリーズしている。考えているのか?と思っていると、急に布団の上にうつ伏せで倒れ込んだ。
失神!?
すぐに駆け寄り、肩を叩く。
意識を失ってるなら呼吸の確認をして…と目まぐるしく考えていたら、橘の手が上がり「大丈夫、大丈夫」と言うようにヒラヒラさせている。とりあえず意識はあるようだ。良かった。
ホッとしたのも束の間、顔を上げた橘は…熟れたトマトになっていた。
彼が赤面している理由がわからず、僕は面食らったように瞬きをする。
「昨日も同じ事を聞かれたよ」
ヤバイ全然覚えていない。すべて覚えていると思っていた記憶は消えている所があるようだ。先ほど褒めたのにすぐこれだ。他にも忘れていそうで怖い。不安になる僕の顔を橘はジッと見つめると赤い顔のままニヤリと笑い「昨夜は可愛かったよ」再び気障ったらしく言った。
よし、さあぶつけるぞ!と投げつける為の枕を手に取る。僕の本気を察した橘は「ごめん、ごめん」と軽く謝り、「昨日、米とぎながら聞かれたんだよ」と僕から抜け落ちた会話の内容を教えてくれた。
「たちばな~ご飯は固めと柔らかめとどっちが好き?」
鼻歌交じりに米をとぎ出した僕の手元を興味深そうに橘は観察している。
「仲島の好みで大丈夫だよ」と言う橘に僕はうーんと唸る。どう言えば伝わるのだろうか。考えてもアルコールで思考は纏まらない。
「蟻ってさコロニーって家族単位で生活してて、基本的に雑食だから何でも食べるんだよね。
でも、種やコロニーごとに微妙に好みが違うんだ。味付けも、薄味が好きだったり濃いめが好きだったりそれぞれでさ。
好きな物をあげるとアリ達の食い付きが全然違うんだ。置いたら物の数秒で無くなるの。
なんかそれを見ていると、「美味しい、美味しい」って喜んでいるみたいで嬉しくなるんだよね。
あぁ…だから、つまり、僕は橘の好きな物が知りたいんだ。君の喜んだ顔が見たいから。
卵焼きは甘いのとしょっぱいのとどっちが好きだとか、味噌汁は赤味噌派、白味噌派だとか。
少しずつ君の好みを知っていけたら嬉しい。
まあ今言われても忘れそうだから、明日の朝になったら教えてくれ」
橘の話を聞きながら、昨夜の会話がフラッシュバックしてきた。
あの時、『恥ずかしさを捨てて素直にならなくては』と思ったのだ。でもまさか捨てた恥ずかしさが戻ってきて僕のことをたこ殴りにするとは思ってもみなかった。もし今レフリーが居たなら、すぐにKOを宣告する事だろう。
「嬉しかった。朝起きて仲島が覚えて無くても構わないと思ったんだ。でも、同じ事を聞いてくれて、やっぱり仲島は仲島なんだと思ったら…あの…その…やっぱり好きだなって思って」
息を呑む。
彼は耳まで赤く染めて、照れたように笑う。
告白されたのは二度目だ。
一度目は、戸惑いが大きかった。
じゃあ、二度目は?
先ほど保留にした気持ちが身体の中でガタガタと暴れている。
ありがとうございました。