食事に行くA
仲島視点のお話です。
告白された相手と食事に行くという事は、デートなのだろうか?
昼休み中の閑散とした職場でぼんやりと自作のサンドイッチをかじりながら仲島は考えていた。営業という職業上、外回りはもちろん行うが、昼飯くらいは一人で落ち着いて食べたい。
同じ営業の同僚であり、今晩の食事相手でもある橘は、上司の野々村や後輩の渡部と馴染みの定食屋でお昼を食べていることだろう。全く誘われないという事ではないが、弁当を持参するようになってからはあまり誘われなくなった。
僕たちは本当に正反対だと思う。
僕は平凡で地味で内向的という形容詞が当てはまるが、橘はイケメンで華やかで社交的である。
別に自分を卑下しているわけではない。平凡で平坦な人生というのはとても過ごしやすい。劇的で波乱万丈な人生なんて疲れてしまうではないか。むしろ僕は自分の平凡さが気に入っているし、内向的な性格も気にしてはいない。
橘とは同期であり同じ営業でもあるから少し位は話をするが、ほとんどが仕事の話だ。内向的な性格で営業が務まるのかと言えば、僕が担当しているのは古参の会社ばかりで、僕のプライベートよりも新製品の詳しい説明に興味があるだろう。
職務怠慢と言われてもしょうがないが、新規の顧客は橘か渡部に任せきりの状態だ。それでも、そこそこの成績を出しているのだから野々村も文句は言えないだろう。というか言われたことはない。
だからと言って、社内の付き合いを全て断っているわけではない。会社の飲み会であれば、業務の一環であり、義務だと思っているので、ある程度は参加する。ああいうのは出ない方が目立つのだ。お酒を飲むのは嫌いではないから、飲み会の始まりから終わりまでひたすら飲んでいる事が多い。
しかし、同じ酒を飲むのであれば家で趣味の“アリの巣鑑賞”をしながら日本酒をチビチビ飲んでいる方が性に合っているのだ。
その点、橘は、いつも人の輪の中心にいる。上司の説教を真摯に受け止め、後輩の相談にアドバイスをしている。橘の隣は競争率が激しいので僕が同じ席に座ることは今までなかった。
まあ、お酒を飲めば少しは会話も弾むかもしれない。僕は酔うと少しだけ口数が増えるたちだ。今日は金曜日。明日は仕事が休みだし、翌日に残るくらい飲んだとしても支障はないだろう。
それに、今日行くのは橘のおすすめの店だ。彼がコーディネートする店は間違いが無いと営業でも有名である。色々な美味しい店を知っている上、相手に合わせて店を選ぶのが上手いのだ。他部署の上司や取引先の担当から「プライベートで使いたいから良い店を教えてくれ」と頼まれることもあるらしい。かという僕も取引先とどうしても会食しなきゃいけないときは必ず橘に聞いてから店を決めている。
今回は、「何が食べたい?」と聞かれたので、「日本酒の美味しい店が良い」と答えておいたから、期待はできるだろう。高級レストランという事はないだろうし、美味しいお酒とご飯にありつけるのであれば、会話が弾まなかったとしても気づまりになることはないはずだ。
最後のサンドイッチを口へ放り込み、「残業で遅くなる」なんてことにならないように仕事を再開する。
仕事に没頭するうちに今日の食事会が “デートであるかどうか” という疑問についてはすっかり忘れてしまった。
終業時間を知らせる音楽が職場に流れている。今日の仕事は終業の30分前くらいには終わらせ、明日の仕事の確認作業を終えたところだ。後は、机の上を片付ければ帰れるだろう。
“今日は残業をしない”というより“基本的に残業はしない”が正しい。
「どうしても今日中に終わらせてほしい」と言われれば残業もするが、日々の業務で残業しているとダラダラと時間だけが過ぎてしまう気がする。それであれば、時間を区切って“制限時間内に終わらせる”という意識の方が僕にはあっているのだ。
「周りが残っているのに先に帰るのか?」と聞いてきた先輩もいたが、「仕事が終わったので帰ります」と返したら何も言われなくなった。
その後、他の先輩方から「定時で帰りやすくなった」野々村からは「無駄な残業が減った」となぜだか感謝された。橘からはなぜだか謝られた記憶がある。彼はいいヤツだが、少し真面目過ぎる。
「お疲れ様です」と周囲に声をかけて職場をでる。ホワイトボードに“橘 直帰”と書いてあったから、終わったら連絡をくれるのであろう。「とりあえず喫茶店にでもはいっているか」と考えていたら着信音が鳴った。先日登録したばかりの番号である。
『連絡が遅くなってすまん!今終わった。会社でたところか?』
「お疲れ様。気にするな。今ちょうど駅に向かって歩いているところだ」
『ありがとう。そのまま○△線で~』と橘に詳しい店の場所を聞きながら、昼間の疑問がもう一度頭をよぎる。
“告白された相手と食事に行くという事は、デートなのだろうか?”
相手に直接聞くわけにもいかず、上擦りそうになる声をごまかしながら電話を切る。
疑問のせいか、声を聞いた為か、浮ついている心を持て余しながら約束の店に向かった。
駅で落ち合った頃には平常心に戻れていたと思う。「お気に入りの店なんだ」と橘に案内されて入ったのは、路地裏にポツンとある小さなお店だった。着物の女性と板前の男性が夫婦で切り盛りしている小料理屋といった佇まいだ。橘の話だとほとんどが常連客だという。
個室に通され、メニューを開くと、日本酒の品ぞろえの豊富さに驚く。
「数がすごいだろう?この店、女将が日本酒を好き過ぎて始めたお店らしいからね」
「すごいな。これだけあると何を頼んでいいのか迷うな…」
「料理の素材や産地に合わせて女将が選んでくれるから、訊いてみるか?」
「お願いするよ。日本酒を飲むのは好きだが、種類は詳しくないんだ」
「了解。料理の好みは?食べられないものとかあるか?」
「食べられないものは特にないよ。酒も辛口でも甘口でも大丈夫だ。おまえのおすすめで頼む」
「わかった」というと女将に声をかけ、料理を数種類頼み、それに合わせたお酒を選んでもらう。時々こちらの意向を聞きながら注文を行う姿に、本当にマメな男だなと今更ながらに思う。
お通しと一緒に運ばれてきた透明感のある日本酒が思わず吸い寄せられるような香りを放っている。すぐに口をつけそうになる衝動を抑え、橘の表情を見ると、笑いながら、手で“どうぞ”とジェスチャーをしてくれた。日本酒で乾杯するのも難しいので、目線まで掲げてから、そのまま口元にグラスを運ぶ。
ああ。橘に「日本酒の美味しい店が良い」とリクエストしてよかった。
あまりの美味しさに言葉にならず、橘に向かってコクコクと頷くと、橘は僕の反応がよほど面白かったのか、机に顔を伏せて震えている。伏せる橘を無視して、今度は料理に手を付ける。
こちらも絶品だ。酒の香りが強いから料理の邪魔にならないかと危惧したが、上手に味を引き立てている。女将に頼んで正解だった。この選択は素人にはできない。料理に舌鼓をうちながら、自分の世界に入ってしまっていたことに気づく。ハッとして橘をみると、嬉しそうに笑っている。
「気に入ってくれて良かったよ」
「本当に美味しい。料理も酒も絶品だし、なによりお互いの相性が良い。噛み合うというか尊重しあっている感じがする」
「そうだろう!俺、日本酒って苦手なんだけど、この店でなら飲めるんだよなあ」
「日本酒苦手なのか?すまん。付き合わせたか?」
「いや、この店なら多少は飲めるから大丈夫だよ。日本酒が苦手というか、本当はめちゃくちゃ酒に弱いんだよ。いつも最初の1、2杯は飲むけど、後は基本ウーロン茶。みんなも飲んでいるイメージがあるのか、いつもウーロンハイ飲んでいると思われているみたいだけど」
「そうだな。僕も橘はいつも飲んでいるイメージがあった」
「やっぱりなあ。昔、「その顔で飲めないことあるか!」って無理やり飲まされた事がある」
「それは理不尽だな。顔は関係ないし、飲む飲まないも個人の自由だろう」
「だろう。でも、仲島が飲んでいるのを見てて、いつも良いなと思ってたよ。仲島はいつも幸せそうに飲んでいるよな」
不意に向けられた言葉に、やわらかい表情に驚く。そして、二人きりで食事に来たのは“お互いを知る為”であると思い出した。
“やはり、デートなのだろうか?”
橘がどう思っているのか疑問に思っていても聞くことはできない。橘の答えがYESであってもNOであっても恥ずかしいではないか。
少し沈黙が訪れてから「仲島に言わなくてはいけない事がある」と緊張した面持ちで話し出した橘に先ほどの疑問がうやむやになった。
次のお話は橘視点の予定です。