告白B
橘視点です。
会社の飲み会で酔っ払った上司がよく「人生の3つの坂道」の話をした。結婚式のスピーチでよくある「3つの~」である。
「人生には3つの坂道がある。一つは上り坂。一つは下り坂。最後の坂は「まさか」の坂だ!」とういダジャレを含めた話である。
良い話ではあるし、自分に置き換えて「往々にしてあることだな」と感じる。
しかし、人生25年生きて来て、これほどまでに難解な「まさか」が立ちふさがるとは思ってもいなかった。
俺、橘 宗一郎は同じ職場の同僚の “男” に “恋をする”という形で、第3の坂「まさか」に出くわしたのだ。
25歳の時という事は、今から5年も前の出来事である。
この5年間、付き合った相手もいれば、結婚を考えた相手もいた。しかし、どうしても彼の事が忘れられなかったのだ。「恋に落ちる」という劇的な表現よりも「じわじわと浸透していく」という表現があっている気がする。とても厄介だ。気が付いた時には「ああ彼が好きなのだ」と思ってしまった。
彼の名前は、仲島 裕樹 独身 同じ職場で同じ営業の同期である。
仲島が女性であれば、早々に口説き、既成事実をつくってでもモノにしただろう。しかし、あろうことか仲島は男性で「平凡で波風の立たない生活」を愛している。平和主義者というより何事には動じない肝の据わった男である。
そんな仲島だから、同僚であり男である俺が告白しても動じないのかもしれない。だが、もし彼に「気持ち悪い」と言われてしまったら……俺自身が立ち直れないではないか。
俺は彼ほど肝が据わっていないし、彼にフラれて同じ職場で平静でいられる自信がない。告白して気まずくなるのであれば、この気持ちを隠し通して、「話ができたら、眼があったら、手が触れたらラッキーと心の中でガッツポーズをしている方が幸せだ」と乙女のような考えである。正直自分でも気持ち悪いと思う。アラサーの男が何をしているのかと思わないでもないが、自分と彼の平和を守るためにもこの “恋” を忘れられないのであれば隠し通す覚悟を決めていたのだ。
あの時までは…。
いつものように外回りに行った昼近くの事だった。出先で上司である野々村から連絡があり、「俺も外に出ているから昼行かないか」という誘いだった。毎度の事だし弁当を作ることも、作ってくれる恋人もいない俺は、二つ返事でその誘いに乗った。
「あの時、この誘いを断っていたら」と考えるととても恐ろしく感じる。そんな俺の人生に大きくかかわる相談をこの時、野々村からされたのだ。
定食屋でメニューを見て、結局いつもの日替わり定食を頼む。食事が来るのを待っている間、職場の事、家族の話、他愛無い事をいつも軽快に話す野々村が、今日は口数が少ない。野々村は何か言いづらい話をする時は決まって、口数が少なく、顎の下を掻く癖がある。顎の下を掻いていないという事は俺自身に直接関わりのある事案ではないのかもしれない。
「どうしました?」という俺の言葉に、「悩んでいるんだよな~」と始まった野々村の話は、俺に衝撃を与えるものだった。
「もうすぐ、人事異動の時期だろう。そこで人事の部長から「誰か営業から名古屋の支店に勉強に行かせてみないか」と打診があってな」
本社の営業から名古屋支店に異動して5~6年勉強するのが営業の出世コースである。人事の通知が来てからでは断ることは無理に等しい。しかし、この言い方だと、俺自身の話ではないだろう。「まさか」と思いながら動揺を隠すように水を飲む。
「…俺ってことはないですよね?」
「ああ、お前の事も考えたのだが、悪いが今お前に抜けられたら後を任せられる奴がいなくてなあ。この間、光井物産との契約も取れたばかりだし」
「まあ、そうですよね。それは良いんですが…では誰を考えているんですか?」
「仲島にしようかと悩んでいるんだよ。お前同期だろう?どう思う?」
野々村が “仲島” と言った瞬間、天を仰ぎそうになった。
彼が名古屋に異動して5年も経てば、この無益な恋心も消えてなくなるのではないか。そんな考えが頭によぎったが、俺の口は正反対の結論を口にしていた。
「仲島ですか?うーん…仲島は厳しいですね」
「やっぱりそう思うか…」
「もちろん彼が悪いわけではないのですが、彼が担当している案件は、先方の担当者がどれも癖が強いんですよね」
「そうだよなあ…。あいつよくあんな面倒な案件抱えてられるよな」
「俺も今手一杯なので、引き継ぐとしたら野々村さんか渡部じゃないですか?」
「俺も無理だよ~。若いときあそこの担当と大喧嘩して上司と一緒に謝りに行ったもん」
「もんって…。それでどうしたんですか?」
「許しては貰ったけど、担当は代えられたよ。「2度と来るな」ってね。その人まだ現役でやってるから俺は無理だなあ」
「それっていったい何年前の話なんですか…」
「20年近く前だけど、一昨年仲島に担当が代わった時に一緒に挨拶に行ったら塩撒かれたからなあ」
「…それは、渡部にも荷が重いですね」
「そうだよなあ。でも、渡部を名古屋支店に行かせるのも早くないか?」
「渡部は今かなり成長していますよ。見た目は頼りない若者ですが、営業先でも可愛がられてますし、本人のやる気も上がっている時期なのでいい機会だと思います」
「そうだな。部長にも相談してみるか…」
ここで定食が届き、会話はいつもの他愛もない話に変わった。しかし、どんなにソースをかけてもカツの味はしないし、いつも濃いと思っていたみそ汁の味さえ今の俺にはわからなった。
仕事を終えて、家に帰り、風呂の中で一息つきながら俺は急に怖くなった。
“俺は仲島の出世の道を妨害してしまったのではないか?”
野々村に言ったことは嘘ではない。俺は彼の能力を買っているし、彼の仕事の引継ぎが大変であることも確かだ。
しかし、大きな組織で働いていたら担当代えや異動なんてよくあることだ。それこそ後輩の渡部だって成長している。今すぐは苦戦しても、何年かやれば慣れていくだろう。
でも俺は、仲島に遠くへ行って欲しくなかった。自分の異動の話ならよかったのだ。
新しい場所に慣れる間に、もしかしたら仲島の事は忘れられたかもしれない。
しかし、 “いつもいる場所に仲島がいない” そのことに俺が耐えられそうになかった。
だから否定した。彼の事を考えてではない。自分自身のエゴの為にだ。
“この恋は彼を傷つけることはない” と思っていた。
“彼の平和を守るためにも隠し通す” と決めていた。
しかし、今回の件で思い知った。“この恋は彼の害となりうる”
忘れることができないのであれば、フラれるしかない。フラれたからと言って忘れられるかどうかはわからないが、それでも少しはマシになるだろう。
それに、告白してフラれたのならその場で冗談にすればいい。「冗談だよ本気にするな」とか。「好きだ」と告白したのなら、後から「おまえの仕事が」とか。かわす方法はいくらでもあるはずだ。仲島にとっては迷惑極まりない話ではあるが、彼の将来を壊さないためにも必要なプロセスである。
かくして俺は彼に“告白”することを決めた。いや、“フラれる”ことを決めたのだ。
しかし、俺は自分が思っているほど器用な人間ではなかった。
彼が珍しく一人で残業しているという “告白にはベストのシチュエーション” に動揺して、「好きだ。付き合ってくれ」となんの言い逃れもできないシンプルな告白をしてしまった。フラれに行ったはずなのに、5年間温めた恋心が「付き合ってくれ」と欲をだしてしまったのだ。
仲島が「恋愛の対象として見たことがない」と言った時、「それはそうだ」と思ったし、“恋愛対象” という言葉にもう冗談にすることなんてできないと彼との今後の友好な関係を諦めた。
だから、彼に引き留められて「告白の答えを出すには、待ってほしい」「橘の事をよく知らないから返事を出す為に判断材料が欲しい」と言われたときは、絶望の淵から救い上げられた気分だった。
こうして俺たちは、「お互いを知る」という事を始めた。
仲島の会社以外での顔を知りたい。それに、仲島に俺の事を知ってほしい。歴代の彼女には、「イメージと違う」とよくフラれたが。彼ならば“イメージが違う”なんてことを気にしないだろう。もちろん、告白した経緯である“出世の邪魔をした”という事実は正直に話そうと思う。それによってフラれたとしても、謝らなければいけないとは思っている。
彼に“恋”をした経緯については追々話していきたいと思う。こちらについては、どうしてもと聞かれれば、話すのもやぶさかではないが、なるべく胸に秘めさせてほしい。
今後彼との関係は“同僚”からどう変わっていくのか、 “恋人” になれるのかどうかはわからない。もしかしたら彼にとって “嫌悪する相手” になる可能性もある。
それでも、今まで想っていた彼との関係が変わっていくのを楽しみに思いたい俺がいる。
最後まで読んで頂きありがとうございます。