表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/35

連続首切り殺人と連続脳姦殺人

    ○


 しばらくの間、僕と百合莉は〈愛の巣〉づくりに熱中していた。

 家具店や電気店なんかを回って、必要だったり必要じゃなかったりするものを次々に購入して運び込んでいった。コンロや流しのある部屋はダイニングになって、他にリビングとベッドルームと書斎を整えた。インテリアについては百合莉の希望がそのまま反映され、丸いフォルムを主とした木製の家具や調度、ひらひらしたレースのカーテン、ふわふわした綿のカーペット等による明るく趣味良い見栄えに生まれ変わった。

 ただしベッドルームは、薄いピンク色の壁紙、天蓋付きの豪華なベッド、ぼんやり昏い明かりを放つのみのランプ、分厚い遮光カーテン……メルヘンチックな中にどこか病んだ欲望を潜ませたような、何とも形容しがたい部屋になっていた。まぁ今のところ泊まりの予定はなく、昼過ぎから夜までの時間しかいないので午睡にしか使えないんだが、百合莉としては色々とほのめかしたいものがあったんだろうな。困ったことに。

「これで大体は揃ったよね。もう普通のお家と変わらないもんね。うふふ。こんなに早く二人のお家ができるなんて、嬉しいなぁ。幸せだなぁ」

 夏休み六日目だったかな、夕方――僕らはリビングにある〈く〉の字型のソファに腰掛けてくつろいでいた。百合莉はペットの白蛇をノースリーブから露出した二の腕に絡み付けて、うっとりした面持ちだった。シンプルに〈蛇ちゃん〉と呼んでるこの蛇は毒もないし大きさも控えめなことからペットとして人気の高いコーンスネークで、さらに百合莉のそれは身体が白くて目が紅いアルビノ種。中学のときから飼っている、彼女の無二の親友だそうだ。

 僕は百合莉が「お疲れ様ぁ」と云って淹れてくれた紅茶を飲みながら、白蛇が小さな舌をチロッチロッと出し入れするのをボーッと眺めていた。ちょっと疲れていたんだね、梯子はしごに登ってベッドルームの天井用の壁紙をやっと貼り終えた後だったから。〈愛の巣〉は二人と一匹だけの空間……業者や何かは入れずに自分達だけでつくっていくというのが、こだわりのひとつだったんだ。

「刹くん、肩揉みしてあげる」

 百合莉は白蛇を適当にローテーブルの上に這わせて、自分は立ち上がった。

「気が利くね。お願いするよ」

「当然だよぉ。近い将来……私は刹くんのお嫁さんになるんだからぁ」

 彼女はソファーの後ろに回って肩揉みを始めたけれど、その前にテレビの電源を点けていた。彼女の家は貧乏だからテレビなんて持ってなくて、この機に買ってみたいと云うから購入したんだ。うん、テレビがないのは蟹原家も同じだったが、しかし僕は欲しいと思ったことはないし、実際こうして手に入れてみても、実にしょうもない代物しろものだったな。視聴者を馬鹿にしたような内容ばかりで……皆が見られる公共放送じゃあ平均よりもちょっと下くらいのレベルに合わせるのはもっともだし、そうなると平均より上の人達、つまり半数にとっては馬鹿にされてるとしか思えなくて当然なんだけどさ。

『――火津路町の通り魔事件の続報です』

 このときにやっていたのは夕方のニュース番組だったから、まだマシだった。まさにこの火津路町で――地方じゃなくて全国のニュースだよ――今朝、連続首切り殺人の三人目の被害者が発見されたと報じていた。

 連続殺人……ひとり目の会社員男性は火津路高校の終業式があった日の夜、二人目の女子高生はその二日後の深夜に殺害され、それぞれ翌日の朝に発見されたんだ。被害者たちに接点や共通項は見られない、典型的な通り魔的犯行。現場は住宅地の中にある公園、駅前商店街の裏路地、今度のフリーター男性は河川敷の堤防下で、いずれも首を切られていたという話。残されているのは胴体のみ、首は持ち去られている――フリーター男性は身分を示すものを身に着けてなかったせいで、特定に少し手間取ったらしかった。

「よくやるねぇ。夏も盛りだからって、ちょっとハシャぎ過ぎだろう」

 百合莉の肩揉みが想像以上に気持ち良いもんだから、僕はすっかりリラックスしながら所感を洩らした。

「うう、物騒だよう」

「百合莉が怖がる必要ないだろう。夏休みの間は、火津路町をひとりで歩く機会なんてないんだから。それに、イザとなったら僕が守ってあげる」

「わぁ嬉しい! 愛されてるなぁ私……。でも刹くん、喧嘩なんてできるの?」

「いいや、喧嘩はからきしだよ。あんなのは馬鹿がやるもんだからね。利口な奴は格闘にならないよう立ち回るんだ。相手が殺人犯ならそうだな、打ち解けてしまえばいい。良いですよねぇ殺人、首切り最高!なんて云ってね。それで一緒に飲みか何かに行って、トイレに立ったときにでも通報を入れて仕舞いだな」

「ええ、無理だよぉそんなの」

 百合莉は可笑おかしそうに笑った。それから少し考えるような間があって、

「相手はまともな思考なんてできなくなってる人でしょ?」

「間違ってるよ、百合莉。犯人は冷静で知的な奴さ。三人殺してなおも尻尾を掴ませないってのは、いくら動機の線から探りにくい無差別殺人でも、そう簡単じゃない」

「あ、そっかぁ。でも冷静で知的な人が、どうして首切り殺人なんてするのかな。お金も取られてないんだよね? 怨恨でも金銭目的でもないなら……」

「被害者に個人的な怨みはなくても、社会だとか自分の境遇だとかに対する憤慨や不満が動機になってるということは充分にあるだろう。それか単純に、性的快楽のためかね。ほら、こういう事件が起こると専門家ぶった連中がすぐ云いたがるじゃないか、犯人は性的倒錯者だのインポテンツだの。まぁ、今度の首切りは被害者の性別も不揃いだけど」

 直截的なワードが並んだせいか、百合莉はしばし黙した。興味津々なくせにカマトトぶっちゃってね。

「快楽……この前の事件もそうなのかな? トイレで遺体が見つかったっていう……」

「脳姦殺人か。ああ、ちまたではそう呼ばれてるらしいよ。外を歩けば、その話をしてる人達ばかりだから嫌でも耳に入ってくる」

 こちらも終業式があった日の夜に行われた殺人だが、このときはまだ二人目の被害者は出てなくて、連続殺人とはされていなかった。〈脳姦〉だなんて聞き慣れない人も多いかも知れないけれど、頭部に穴をあけて陰茎を挿入する行為を差す――汚い話で申し訳ないね。被害者の中学校教師は遊歩道の公衆トイレで発見され、ぐちゃぐちゃになった脳の中には精液が残されていたそうだ。ただしこの被害者、男だったんだよ。埒外らちがいな倒錯者が現れたってことで、色々な意味において首切り殺人よりも世間を騒然とさせていた。

「ああいう特殊な殺人が同じ夜に二つ重なったのは面白い偶然だな。もしかすると繋がってるのかも知れないが」

「どっちの犯人も、早く掴まって欲しいよぉ。私達の〈愛の巣〉の周りに、どんな脅威もあって欲しくないもん。平和で満たされててくれないと……」

 そいつは夢見すぎだと思ったね。ニュースで取り上げられるようなそれじゃなくたって、身の回りには常に無数の脅威が渦巻いている人間社会なんだから。もっとも百合莉は、この悪趣味な話題を切り上げるためにそう締め括っただけだろう。ニュース番組も別の政治的な内容に移っていたし。

「ところで刹くん、今度は私の肩も揉んでくれないかな? 揉んで欲しいなぁ」

〈揉んで〉という部分に含みを持たせた感じで、そう要求する百合莉。道理でさっきから、肩の揉み方がやらしくなってきてると思ったんだ。この子も相当に欲求不満だなと思いながら、まぁ僕は揉んでやったよ。肩だけね。



 火津路駅へと送る途中に回り道して例の駐車場の公衆トイレに寄って百合莉を宥めるというのは、毎度の習慣になってしまっていた。百合莉を慰めること自体はいいけれど、あの小汚い公衆トイレは歓迎できない。しかし他に適した場所もないし、百合莉にはいっそ堕落的で溺れるような愛という彼女の理想形をこの公衆トイレに見出している観さえ見られたから、僕は我慢するしかなかった。

「ねぇ刹くん、私のこと面倒臭い女だって思ってない? いつも私とお別れするとき、ちゃんと胸が張り裂けるような気持ちになってる? 私と離れている間、ずっと私に想いを馳せて、次に会うのを居ても立ってもいられないくらい待ち望んでる?」

「面倒臭いだなんて思ってたら、こうしてトイレでの長い抱擁に毎日付き合ったりしないさ。僕は正直者だからね、少なくとも百合莉に対しては絶対に。つまり見たままの僕を信じて、本心では別のことを考えてるんじゃないかと疑う気遣いなんては全然いらないんだ。ああもちろん、僕はいつも君のことを考えてるよ。離れてる間はいつも気が気でない。実は毎回、何度も事故りかけながら帰宅してるくらいだ。スーパーで買い物なんかすると『レジ袋はお付けしますか?』の問いに『百合莉』と応えちまうんだから、僕が君にどれだけゾッコンか分かろうものだろう?」

 こう何度も同じような質問をされると、返事のネタも尽きてくる。〈使い回し〉を彼女は気に入らないんだ。なので僕はもう嘘ばっかり並べ立てている有様だった。教会の懺悔ざんげのためにしてもいない罪をでっち上げる修行僧みたいだな――『カラマーゾフの兄弟』によれば、そういう事例は珍しくなかったそうだから。

「えへへ……嬉しい……私もね、寝ても醒めても刹くんのことしか考えてないよ。私の世界が刹くんだけで満たされているように、刹くん以外の全部をシャットアウトできるように、いつも刹くんとお別れして次に会うときまでは、ひとりでいるとき以外はずっと耳を塞いで薄目を開けるだけにして過ごしてるの。家に帰ると自分の部屋に籠って布団にくるまって、その中でひたすら刹くんのことを考えてるの。その日の刹くんとの会話を頭の中で何度も繰り返して、細かい仕草とか表情とか、こうやって抱き締めてもらったときの心地とか匂いとか、そういうのを全部忘れないように刻み付けるように回想して、それだけじゃなくって、刹くんとの明日のこと、もっと将来の刹くんとの生活のこととかも思い描いてるの。そうしてると刹くんへの想いがどんどん育っていく感じで、幸せで、でも切なくって、自分でもわけが分からなくなっちゃって泣いてるんだよ?」

 ところが、こっちはきっと本当なんだな。彼氏冥利に尽きるね。

 この日も小一時間程度かかって公衆トイレを出て――それにしても寂しいトイレだよ。僕ら以外に人が使ってるのを見たことがなかったんだから――百合莉と改札で手を振って別れた。すっかり陽が沈んでいた。

 それから真っ直ぐ家に帰って、父親のために手抜きの夕食を用意しておくわけだ。そうしておかないと五月蠅うるさいからな、あの低能は。うん、どうせ父親は僕が寝た後に帰ってきて次の日も昼過ぎにようやく起きるとすぐに仕事へ行くってのに僕が夜遊びせずにちゃんと帰宅しているのは、こうしてメシをつくるのが僕の役割だからなんだよ。まぁそれだけだから実のところ欺くのは容易たやすいだろうが……貧乏な蟹原家では夕食の他はパンを齧る程度だから、朝食や昼食をつくる必要はないしね……でも、あんな奴を相手に小細工を弄して手間をかけるってのも阿呆くさいだろう?

 溶けた蝋燭がべとべと貼り付いた汚いテーブルにラップを掛けたチキンライスを置いて、僕はシャワーを浴びて寝た。百合莉は僕のことを考えてるらしいけれど、申し訳ないね、僕が部屋でひとりになって考えるのは姉さんのことばかりなんだ。生まれてからずっと、姉さんがいなくなるまで、僕らは一緒に寝起きしていたんだから。一年経ったくらいじゃ、その感覚はまったく薄らいでくれないんだよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ