海老川蝶子の最終推理1
僕と黄昏とで父親を引きずって家の中に入れると、椅子に座らせてガムテープをぐるぐる巻きつけて固定した。いくつか訊ねたいことがあるんでそうしたんだが、いずれもイエス・ノーで答えられる内容だから口も同じくガムテープで塞いだ。
「いひひ、拷問するんだ? 『ホステル』だね。あたし、アキレス腱切りたい」
「そんなことはしないよ……。こいつが苦しむ様を見たって、気分が悪くなるだけだし」
さて、起きるのを待っている暇はない。頬を引っ叩こうとした――その時、
ガンガンガンッと、玄関扉が叩かれた。
「…………嗚呼、ちょっと待っててくれ」
「うん」
参ったな。できれば避けたかった展開だ。そう思いつつ、僕は単身、玄関へと向かった。
扉を開けると、其処に立っていたのは案の定、海老川さんだった。まったく……予定よりも早いじゃないか。それともはなからブラフだったのか……。
「どうも」
「ええ蟹原くん……ちょっと話せるかしら?」
ホテルにいたときと同じ、でもどこかが違う、深刻そうな……無理をしているかのような気配が分かった。この人との付き合いもそれなりに長くなっていたからね。
「車の中で。すっかりお馴染みでしょう、私達にとっては」
そう云って少しだけ微笑んだ、これもやはり無理しているように見える。でもそれは、こちらが断るのを許さないって態度でもあった。
「……そうですね。分かりました」
僕は頷いた。とにかくそうしなくちゃ、事が進みそうになかった。
家の正面に停めてある赤色のMINI cooper――もしかしてこの色は海老をイメージしてのものなのかな、と今更どうでもいいことに気が付きつつ、いつも通り、助手席に乗り込む。海老川さんが運転席。だがいつもと違って、何の音楽も流れていなかった。
海老川さんは早速、切り出した。
「家の中には天織がいるのね」
「いませんよ」
僕はあくまで、いつもの調子で返す。
「どうして僕が天織黄昏と繋がってるなんて考えるんです?」
「私は君がどう動いていたのかすべて把握してるわ。その靴に発信機を縫い込んだの」
「…………」
同じ手口を二度使うとはね。この人もこの人だが、引っ掛かる僕も僕だった。
「根本広の殺害現場に残されていたのは、君個人へのメッセージ――天織から君への救難信号だったのね。割られた腕時計が示していた時刻に、君は彼女を迎えに行った。それからはずっと行動を共にしてるんでしょう」
「なるほど……」
……ちょっと誤魔化せそうにないな、これは。
「遠くに行くなんて云って僕をひとりにしたのは、黄昏を拾わせるためだったんですね。そして彼女を引き渡せってわけですか。大手柄だ」
「いいえ、違うわ。それはついでに過ぎない」
海老川さんは僕を見た。冷徹でありながら、そこに憐みみたいなものが宿った目で。
「蟹原刹――連続首切り殺人と連続密室殺人の真犯人として、君を糾弾しに来たわ」
「…………はい?」
いや、呆気に取られたよ。この人はいっつも僕を呆気に取らせるが……でも今度のは、その一番凄いやつだった。
「あの、海老川さん、」
今回ばかりは僕も諭すような口調になったね。
「残念ですけど……貴女はまた見当外れのことをやっていますよ」
「教えたわよね、蟹原くん」
カチャリと下の方で音がした。何かと思って見れば、拳銃だった。
「名探偵の解決編よ。大人しく聞きなさい」
「……やめてくださいよ。物騒だな」
口ではそう云うけど、ああ困った。銃口が脇腹に突き付けられている。海老川さんはさっきの宣言で以て覚悟が決まったのか、もうどんな冗談も通じなさそうな目つきだ。
もうさぁ……馬鹿にこんなもの持たせるなよな。ろくなことになりゃしないんだから。
「冤罪です。撃ったら貴女が犯罪者ですよ。そもそもこの国じゃ銃刀法違反だ」
「〈夜の夢〉――例の動画をアップしたアカウント名が、君が組織した犯罪集団の名称ね」
構わず話し始める海老川さん。玖恩寺家で推理を披露したときとは違い、ふざけたような感じではなくてえらく真面目な口調だったが――なに? 僕が組織した?
「戸倉ビルの最上階。君が借りてるあのフロアを〈夜の夢〉はアジトにしている。出入りしている人間の写真も撮ってあるわ」
「ああ、そうか、貴女はあそこを知ってたんでしたっけ。でも誤解ですよ。そいつらは僕とは無関係で――あそこは乗っ取られたんです。ああ、もう、複雑な事情があるんですよ。勘違いしてもおかしくないですけ――」
「黙って聞きなさい。君は〈夜の夢〉の創設者にしてリーダー。構成員たちに指示を与えて諸犯罪を行わせていた。けれども連続首切り殺人のはじめの三人は、おそらく君自身が殺害したのでしょう。まずはリーダーが手本を示す――加えて君は経験者でもあった。でもこの話は後に回すわ。――はじめの三人と断定する理由は、少なくとも四人目の時点でそれまでとは犯人の身長が変わっていたこと、そして三人目と四人目との間で、君が私と出逢ったこと。ええ、契機や理由はどうであれ、探偵の私にマークされたことによって、警戒した君は犯行を部下に任せるようになったのよ。ちなみにひとり目の遺体に残っていた索条痕から推定される犯人の身長も、君とほぼ一致しているわ。切断した首はいずれも戸倉ビルの最上階に持ち帰っていたんでしょう。あの部屋が怪しいわ、ひとつだけ暗証番号式の錠が付いてる扉があった。あの中に冷凍庫でもあるんじゃない?」
「あのですね、聞いてくださいよ。あそこは夏休みの間、僕と百合莉の二人だけの空間にするために借りたんです。でも百合莉が殺されて、すると――僕も何が何だか分からないんですが、同じ学校の阿弥陀承吉って奴が――」
「そう、阿弥陀承吉。戸倉ビルに出入りしている人間のひとり。君の一年生のときの友達よね。でも二年生になってからは表立って関わらないようになった――怪しまれないためにね。彼は〈夜の夢〉の一員であって、君の右腕的存在でしょう」
「知りませんよ。とにかくあいつが、此処はもう俺達の持ち物になっただとか抜かして、あそこを占拠してたんだ。百合莉が殺されて僕は落ち込んでたし、百合莉がいないんじゃあそこに意味はないんだし、結局そのまま放っておいたんですがね」
まったく、堪ったもんじゃない。黙ってたら本当に真犯人にされちまいそうじゃないか。そりゃあ阿弥陀といい戸倉ビルといい、〈夜の夢〉は僕と関係が深い――姉さんがそういうふうにしたんだからな――それはいいけど、でもそのせいで、こういう実際以上に飛躍したこじ付けが可能にもなっちまったんだろう。海老川さんはこじ付けの天才だし…………と、その天才さんだが、ここでちょっと黙り込んだ。何か考えているらしかったが……、
「…………じゃあ蟹原くん、白樺百合莉が殺害されるまで、あそこには君と彼女だけ。他の人間は立ち入らなかったって云うのね?」
「そうですね」
「そのころに、蛇がいなくなったでしょう? 白樺百合莉が飼っていた蛇よ。彼女のご両親の話だと、彼女が殺されるよりも以前から、そう云えば見なくなったとのことだったわ」
「……たしかにその蛇なら、戸倉ビルの中でいなくなりましたね。百合莉が連れてきてたんですけど」
「ここでひとつお知らせ。つい数時間前――連続密室殺人のタネが割れたわ。失敗したのよ、君達」
「はあ、そうですか」
蛇の話は何だったんだ?
「四件目の密室殺人が起きたの。一矢薙家――満を持して『本陣殺人事件』の一栁家ってわけね。殺されたのは居候していた中年女性で、容疑者はその妹。一家が密室を破って死体を発見したとき、部屋の床を一匹の白蛇が這っていた。警察が到着するまでご主人が扉を閉めてずっとその前で見張っていたから、警察はこの白蛇を回収できた。話を聞いた私は急いで確認してもらったわ――結果、さっき届いた報告によると、白樺百合莉が飼っていたそれだって、彼女のご両親が認めたとのこと。
ええ、すべての密室は、この蛇を利用していたのよ。蛇に簡単な芸を仕込んだのね。ドアノブに絡み付かせておいて、口でサムターン錠を回させる。その後は、蛇は狭くて暗い場所を好むから、勝手に物陰に隠れてくれる――現場のカーテンが毎回開け放たれていたのも、この習性を利用しやすくするためでしょう。そして死体発見後、警察が来る前に、それぞれの家で被害者に殺意を抱いていた女性たちがこっそりと蛇を見つけて回収していた。彼女たちの仕事はこれだけだった。つまり代行殺人なのよ。実際に殺しと密室トリックの仕込みをしていたのは、彼女たちの手引きで朝方に忍び込んでいた〈夜の夢〉。謝礼はへそくりから貰っていたのかしら? それなら足が付かないから。
しかし今回、とうとう失敗した。蛇が毎回毎回そう都合良く動いてくれるわけもなかったのね。来るべき失敗よ。もっとも、まだ密室トリックが割れただけで他の証拠も自白も取れてはないけど、もはや時間の問題でしょう。容疑者たちを守っていた〈不可能性〉は瓦解したのだから。
そして蟹原くん、これが大事なんだけど――他の人間が立ち入らなかった戸倉ビルの最上階、君と白樺百合莉だけの空間から、君の他に誰が彼女の白蛇を奪えたのかしら? 連続密室殺人がスタートしたのは、白樺百合莉が殺害されるより前よね?」
「………………」
あの蛇が〈愛の巣〉の中でいなくなったというのは、たしかに変なことだった。密室からの消失。でもその犯人が僕だったなら、不思議はなくなる――――って、何を考えてるんだ僕は? 馬鹿馬鹿しい。断じて違う。まったく身に覚えがないね。
「別の云い方をするなら、どうして君以外の人間が、わざわざ奪いにくい白樺百合莉の飼い蛇を攫って使おうとするの? 自前で用意すればいいのに。君だけなのよ、そうするのが一番簡単で、かつ可能だった人間というのは」
「……発見されたそれ、百合莉の蛇じゃないんですよ。ただ似てるってだけですね。百合莉の親だって、そんな正確に見分けられるわけがない。何の特徴もない、あり触れた蛇でしたから。……そもそもその話、本当なんですか? いまいち信用できませんね」
ああ、もどかしい。蛇なんか関係ない。そいつは偶然に迷い込んだだけだ。密室をつくってるのは〈生きた生首〉なんだからな。でも、さすがにそれを教えることは……。
「大体……どうして僕がこんな事件を起こさないとならないんです? 家が貧乏ってことで勘繰ってるのかも知れませんけど、僕は金なんて欲しくないし、安いスリルだって欲してません」
「そう、それよ」
……畜生、敵に塩を送っちまったか?
「それこそが、君が単なる〈夜の夢〉の一員ではなく、創設者にしてリーダーでしかあり得ない所以なの。私は君の過去を調べて、その真相を知ったわ」
「らしいですね。姉さんのことを聞いたんでしょう、父親から」
「ええ。君が――双頭のシャム双生児だったということを」
「はあ?」
何だって?
「シャム双生児よ。身体の一部が結合した奇形の一卵性双生児。エラリー・クイーン『シャム双生児の謎』でも扱われたけど……あの〈カニ〉よりも珍しい、君たちは頭が二つあって、それぞれ別個に人格を有した双子だったの」
「ちょっと――馬鹿な。なに云ってるんです? 僕と姉さんは双子だったが――そんな珍妙な姿で産まれてなんかない。ただ姉さんは――隠し子だったんです。それが僕の家の秘密で――」
「いいえ。それは君の家じゃなくて、白樺百合莉の家でしょう? もう知られてるのよ。白樺百合莉の死体が発見された日の午前中――つまり白樺百合莉の死体が発見された後で、彼女らしき人物を目撃したという証言がいくつも上がっていた。あの家の隠し子については、前々から噂もあった。そして今日、ついに白樺のご両親が白状したわ。実は殺された方こそがその隠し子で、白樺百合莉の方は依然として行方不明なんですってね」
あいつら……口止めしたってのに! ――あ? 何を考えてんだ僕は? いや……そう、阿弥陀が云ってたんだった。口止めがどうとか……。
「君は白樺百合莉と知り合って、彼女のこの家庭事情を察したときに、それをそのまま自分の家の事情に借用――〈設定〉することによって、精神を落ち着けていた。彼女と付き合うようになってから君が随分と落ち着くようになったってことは、同学年の生徒たちから聞いているわ。そう、これゆえに、彼女は君にとって価値があったの。お姉さんを失った君は、しかしそれを認めず、恐ろしい大妄想を脳内に展開させなければならなかった……」
順を追って話しましょう――と頷く海老川さん。何だこいつ……妄想狂はあんただろ?
「君が前に住んでいた町まで行って、調べて来たのよ。この引っ越しの契機こそ、手術によって君の身体からお姉さんの頭が取り除かれたこと、すなわちお姉さんが死んだことだった。――その首の傷がそうね。
手術自体は大成功。いまの君を見て、一年ちょっと前まで頭がもうひとつあったと分かる人はいないでしょう。脳や身体にも――少なくともその手術によっては――何か障害が残ることはなかった。なぜならもとから、その身体の主導権は君の方にあったからよ。心臓や肺などは共有されていたけど、頸椎も神経も、大部分が揃って綺麗に繋がっているのは君の脳髄。もちろんそんなに単純ではないのだけど、大雑把に云ってしまえば、お姉さんの頭は君の身体に〈おまけ〉でついているようなものだったというわけ。
現に君のお姉さんは、呼吸していて、思考していて、自我を持っていることなんかは認められたものの、肉体との交換に欠陥があり、栄養がよく行き渡らず、耳も聞こえていないらしい等の様々な問題から、まともな発達は望むべくもなかった。意味のある発話はできなかったし、視点は常に定まらず、理解能力にも――」
「違う! どいつもこいつも分かってなかったが、姉さんはとても頭が良かったんです! 僕とも――僕とだけはいつだって会話を交わしていました。姉さんは感じやすい人で、周りの心無い視線にいつも傷付いて――」
ああ、僕は何を話してるんだい? 誰か教えてくれないかな。まるで脳味噌がミキサーにかけられてるみたいなんだ。
「――でも、強い人でしたよ。それに優しい――本当によく、僕を気に掛けてくれました! 僕なんかよりよっぽど人間らしかったのに、どうして誰も分かってくれな――」
「落ち着きなさい!」
ぐいっと、拳銃を脇腹に押し付けられる。
「痛えな!」と怒鳴ったところで「――――」今度は打って変わって呆然とした。これじゃあ僕が、ただ感情に任せて暴れる大間抜けじゃないか。父親だとか百合莉だとか、僕が最も軽蔑している人種と変わらない……。
「…………何なんですか。出鱈目ばかり……知りませんよ。全部、本当に知らない。仮にそれが事実なら、僕自身がそんなことを知らないなんて、あるはずないでしょう……」
「あるのよ、それが」
海老川さんは憐みの眼差しを向けてくる。またこれだ。そんな目で見るんじゃねぇよ……。
「君は昔から、嫌な記憶、嫌な感情、嫌な思考、そのすべてを、お姉さんの脳に押し付けて生きていたの」




