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円環の大復讐計画を暴く

    ○


 翌日、普段よりもやや遅い時間に起き上がった僕は、机の上に妙なものを発見した。妙なものと云っても、それは火津路町内の地図が白黒で印刷されたA4用紙だったんだが……僕の持ち物じゃないんだな。身に覚えがない。

 開けっ放しの窓をチラと見て、あのベニシロという少女のことを思い出した。僕が眠っているうちにまたぞろ侵入してこの地図を机の上に置き、起床を待たずして出て行ったんじゃないかとね。とはいえ、あの少女が何者なのか分からない以上、そうと確信できもしなかったんだが……海老川さんの手先ではあるまいかと以前は疑ったけれど、いくらか付き合いを経てみると、彼女にそんな手先がいて、何か回りくどい策を仕掛けてきてるとはあまり思えなかったんだな。

 地図には一ヶ所、赤色のペンで点が打たれていた。その上にはひとつの住所が書かれ、住所の後ろには〈天織あまおり黄昏たそがれ〉と人名らしきものがくっついていた。住所にも人名にも、やっぱり心当たりはない。何だこれ?

 しかし自分でも不思議なくらい、興味をそそられた。忘れていた予定を他人から指摘されて思い出したみたいな、そんな気持ちだったね。どうせ遠い場所じゃない……行ってみよう……そう決めた。

 ほどなくして家を出たが、父親に書き置きするのは忘れなかったよ。うん、昼に警察が来ることについてだ。僕は同席しなくても構わないとのことだったからね。父親と警察に挟まれるなんて光景はぞっとしないじゃないか。絶対にご免だよ。

 この日も猛暑だった。アスファルトの上ではミミズが大勢死んでいて、打ち水してる家や商店があったけれど全部すぐに乾いてしまっていた。坂道ともなるとペダルを踏むたびに汗が滴った。そうして半時間ほど掛けて、目的の住所に到着した。迷うことはなかったよ、火津路高校の近くだったから、ほとんどいつもの通学路と変わらなかったんだ。

 表札には〈天織〉の文字。出鱈目を書かれたわけではないらしい。家そのものは平凡な一戸建てだったが、車庫に停まってる高級車を見ると、そこそこ潤ってる家庭なんだろうとは察せた。あとは二階のベランダに干してある洗濯物から、おそらく三人家族で、父、母、それから年頃の娘って構成だろうということ。

 さて、どうしようか。詳しい素性も分からなければ、もはや僕がこの家にどんな用があるのかも分からない。用がないって場合すらあり得る。これじゃあ訪ねることはできそうにない。僕はそんな無鉄砲な人間じゃないからさ。

 なので、自転車は適当なところに置いて鍵を掛け、僕自身は近くの電線の陰に立ってしばらく観察していることにした。家人が出入りしているところを見れば、何か分かるかも知れない。……こんな張り込みはまるでどこぞの探偵みたいで、気が滅入りはしたけれど。

 でもねぇ、三十分もしないうちに退屈で堪らなくなったし、何よりも喉が渇いた。このままじゃさすがに倒れるだろうと思われた。昨日の頭痛が少し蘇ってもきた。どうしてこんなことしてるんだろう? 自分が物凄く間抜けな奴に見えて、それでももう少し粘ろうとは思いつつも、自動販売機か何かを探して一旦その場を離れたんだ。近くに公園があって蛇口があったけれど、あれほど不衛生なもんもない……でもこのときの僕はよっぽどカラカラだったんだな、それに貧乏人だから性根がケチなんだ、タダで済ませられるに越したこともないかと考えて、結局その蛇口の水を上に向けてがぶがぶ飲んだ。後悔したねぇ。こういう公園の蛇口には、馬鹿な子供が泥を詰めたりしてるもんだろう?

 僕は不快感と徒労感とにぐったりしながら天織家の方へ戻って――その途中だった。

 前方から歩いてきた女子。これが目に留まったんだ。見覚えがあった。服装の感じも髪型も違ったし、日没後と太陽の下ではそれだけでも印象は異なるものだったが、しかし背格好、猫背と歩き方とにピンときた。

 うん、あの子だったんだよ――連続脳姦殺人の犯人だ。いやぁ驚いた。それに何だか、呆気ないとも思ったね。別にドラマティックなのを期待してたんでもないけどさ。

「ねぇ君、」

 本当はもっとプランを練ってから行動すべきだったんだが、このときの僕は暑さでイカれてたし、てっきり徒労に終わるかと思っていたところで不意の収穫を得たんで不覚にも大胆な気分になって、考えるよりも先に話し掛けていた。

「は?」

 相手はあからさまに嫌そうな反応を示した。意外ではなかったな。前に見た垢抜けない格好と違って、彼女はパンキッシュなデザインのTシャツにショートパンツ、髪は無造作ながらも風体には似合ったボブカットで、前髪に隠れがちではあったが鋭い目つき……いかにも『は?』なんて云いそうな感じだったからさ。

「あんた誰よ」

「僕は蟹原刹って云うんだけどね、君は――」

 確信まではなかった。でも彼女が歩いてきた方向、僕が此処にいる理由、これが偶然ではなくある程度の必然であるなら、

「――君は、天織黄昏かい?」

「そうだけど、何? 火津路高の人?」

「君も火津路高なのか」

「クソ学校だけど近いからさ。進学しちゃったんだなぁ、これが」

 天織黄昏は自嘲気味に笑った。板についた観があったから、よくこういう笑い方をする子なんだろう。でもすぐにまた苛立った表情に戻って、

「それで何なの。上級生? 早く用件を云ってよ」

 頭ん中を目まぐるしく回転させた。こうして話し掛けてしまった以上――あんまり舐められる前に先手を打つこと――それが生むメリットとデメリット――致命的な展開へ進む危険性の有無――此処は真昼間の往来――結局は遅いか早いかの違い――ここで身を退いてみたところで、一体何をすることがある?――そして叩き出された答え。

 しかしながら実のところ、僕は最低限考えるポーズを自分に対して見せたってだけで、ほとんど捨て鉢だったような気もするな。

「君、俗に云う連続脳姦殺人の犯人でしょ」

 ほんの一瞬間の間があって、

「は? 違うけど?」

 動揺なんかは表れてなかった。さすが三人殺しても尻尾を掴ませないだけはあると思った。だが一瞬間の間の意味は絶大だった。やはり間違いない――この子だ。犯行の際には服装はもちろんのこと、ウィッグなんかも付けて変装しているんだろう。

「すっごく失礼。もう話し掛けないで」

 そっぽを向いて歩き出す天織黄昏。僕は一歩分遅れて追った。露骨な舌打ちが聞こえたが、こうなればあとは突き崩すしかない――兼ねてより考えていた推理を話し始めた。もっとも僕の〈解決編〉は海老川さんの過剰装飾なそれと違って、簡潔で現実的だぜ。

「君の目的は復讐だろう。君は誰かからはずかしめを受けた、それも性的な意味合いにおいてね。しかし君は君を辱めた相手――仮に〈ゼロ〉と呼ぶことにするけど、〈ゼロ〉だけじゃなくて〈性欲ひいては性的行為〉、それにまみれた〈男たち〉をも軽蔑し、憎悪し、これにも裁きを下したいと考えたんだ。ゆえに援助交際を持ち掛け、引っ掛かった男たちを次々に殺害……しかも極めて残酷かつ相手にとって屈辱的である方法を用いて殺害し続けている。

 だがもちろん、最終的に殺害する相手は〈ゼロ〉本人に他ならない。この連続殺人は、それ自体が〈ゼロ〉に対する一種のカウントダウンであり、犯行予告となっている。被害者から回収された精液が次の被害者の脳に注がれる連続脳姦殺人――では第一の被害者の脳に注がれていた精液は誰のものなんだろう? 〈ゼロ〉だね。〈ゼロ〉は始まりであって終わりなんだ。〈ゼロ〉が最後の被害者となって、連続脳姦殺人は完了する。精液によって媒介された奇妙なが完成する。

 つまり君は、〈ゼロ〉の性器から発射された〈精液〉が巡り巡って最終的に〈ゼロ〉の脳へと帰還し、これを以てして〈ゼロ〉を殺そうと構想してるんだよ。この因果応報式の死のカウントダウンが既に始まっていることに、〈ゼロ〉は気付いてないだろう。うん、君はそんな間抜けな〈ゼロ〉と、環のために供物くもつとされる〈男たち〉、さらには象徴的にその観念自体を組み込まれた〈性欲ひいては性的行為〉……これらすべてを脳姦という行為によって存分に蹂躙して嘲笑うっていう、大変に戯画化めいた夢想に基づく狂気の復讐計画を遂行中ってわけだ」

 こう語ったものの、考えていった際の順序は逆だった。被害者の精液と脳に残されたそれがひとつずつズレている、よって第一の被害者の脳に残されたそれの持ち主は不明――これを聞かされたとき、ならば第一の被害者の前に、精液を搾取されたのみの第ゼロの被害者が存在するのだと分かった。と同時に、最終的な被害者の数がどうなるかは不明だが、最後の被害者こそが第ゼロの被害者と同一人物であり、被害者たちは精液で繋がれた環になるんだという構図が思い浮かんだ。これなら〈精液を搾取されるのみの被害者〉も〈脳に精液を注がれるのみの被害者〉も出ないで、きれいに収まる。では始まりであって終わりである、他と比べて特別な〈ゼロ〉にこそ、犯人の目的があるんではないか……手口から鑑みるに、それは性的な屈辱を与えられるか何かしたための復讐ではないか……と、まぁこんな具合さ。犯人がまだ若い女子であると知っていたのも大きかったな。そういう年頃なら、レイプに類する行為はさぞかし多大なショックとなるだろうからね。

 天織黄昏は僕が話している間ずっと歩き続けてて口も開かなかったけれど、ちゃんと聞いているらしいのは分かっていた。そして話が終わると、立ち止まって振り返った。僕らの距離はわずか一歩分。さらに彼女は背伸びをして、互いの息がかかるくらい間近まで、その顔が迫った。大きく見開いた両目は、僕の両目の奥から何かしら真意を探ろうとしているようだった。

「それで、どうしたいの? あたしをいつでも破滅させられる弱点を握って……あいつみたいに、それをネタにあたしの身体を要求するの? それとも金? 欲しいものは何?」

「即物的だね。別に何も欲しくはないさ。僕は純粋な興味から動いてる。まぁ好奇心ってやつも下種なことに変わりはないが」

「何それ。随分とお気楽じゃない? それとも度胸が据わってるの? 殺人犯にのこのこ丸腰で近づいてくるとか」

「ああ、いちおう云っておくと、僕の身に何かあった場合は、君が連続脳姦殺人の犯人であるという証拠が警察やマスコミ各社に流出するよう仕掛けてある」

 これは真っ赤な嘘だ。

「脅迫ではないよ。君が何もしないなら僕も何もしない。単に最低限の防衛手段さ。君が今、後ろ手にスタンガンを握ってるのと同じだよ」

 スタンガンかどうかは分からなかったけど、でもスタンガンである可能性が一番高いだろうと思った。天織黄昏の反応を見るに、どうやら当たってたらしい。うん、彼女がこんなにも顔を近づけてきたのは僕の視界を塞いで自分がパンツの後ろポケットから何か取り出すのを悟らせまいとするためだったんだが、注意してれば気配で分かるものだ。

「そうだね……だから強いて云うなら、僕の要求はもう少し君と話してみたいってことかな。僕の興味はなおも持続してる。もちろん、僕が現在知り得ていること、これから知り得ることを脅迫や強請ゆすりのネタにすることが絶対にないとは、ここで約束しておこう」

 しばらく間があった。僕と天織黄昏は無言で見詰め合っていた。頭上では太陽がジリジリしていて、単なる生理現象として首筋を汗が伝った。緊張感はなかった。天織黄昏が瞳の凝視で以て僕を見定めようとしたように、僕も同じく彼女を見定めていたんだ。だから予想通りだったよ。この子は話が分かるし、趣味は悪いが無粋ではない。

 彼女の唇の両端が、ニィと吊り上がった。

「あんた――合格。いいよ、ちょっとだけなら付き合ってあげる。で、名前なんだっけ?」

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