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白樺夫人の弱気な訪問

 何と云うか……海老川さんは探偵小説に憧れてるもんだから、現実の事件にさえも突飛な真相を求めがちなんだろう。玖恩寺家で殺人が起きることを当てたのは見事だったし、連続脳姦殺人の犯人ないしは関係者として僕に目を付けたのもまったくの見当違いではなかったから、勘は冴えてるのかも知れない。でも結局のところ、探偵小説式の荒唐無稽な思考法に染まってて、それを基に諸現象を組み立ててしまうせいで、いくら取っ掛かりが良くたってトンチキ推理に進んで失態を演じるのは必定ひつじょうだったんだ。

 ひとりで勝手にやるなら結構だけれど、巻き込まれた僕としては堪ったもんじゃない。ああ、どうして気付かなかったんだろうな? そもそも玖恩寺家で本当に事件が起きると信じてなかったわけだが……海老川さんが推理を誤った後、当然、警察に通報された。これはもし海老川さんが推理を成功させていたところで同じだったんだから、僕は玖恩寺家に上がってはいけなかったんだ。迂闊うかつだったねぇ、信じ難いくらい。

 本来的に全然関係なかったはずなのに、僕は海老川さんと共に取り調べを受けることになっちまった。以前から海老川さんは火津路警察のどこかにパイプがあるんだとかのたまってたけれど、それはあくまで非公式のものであって、こうも派手に行動してしまっては庇い立ててなどもらえないようだった。別に犯罪行為を働いたんではないから、そう深刻な事態ではなかったんだけどね。それでも自称探偵だなんて不審人物に違いない。追及は厳しいものになりそうだった。

 まぁ海老川さんは僕を弟子だの助手だのとは云わず、単にこの町で知り合った友人であって、自分の活躍の舞台に同席させたくて無理矢理に連れてきただけというふうに説明してくれたんで……いや、実際その通りだけどな……それで僕は比較的早く解放されはしたんだが、畜生、余計な面倒を抱えちまったもんだ。

 これについては僕が所属する火津路高校、それ以前に保護者にも知らされるとのことだった。うちには電話がないし、父親が今どこにいるかも分からないって云うと、なら明日の昼に直接伺うから、親御さんに伝えておくようにと指示された。憂鬱だったねぇ。〈後悔先に立たず〉ってのは馬鹿者にしか当て嵌まらない言葉だと思っていた僕だけれど、どうやら僕もまた、その馬鹿者ってやつらしいじゃないか。どうして海老川さんになぞついていっちまったのかね、どうして事件が起きているらしいと分かった時点で玖恩寺家を離れなかったのかね、はぁ…………。

 警察は家まで送ろうかと云ったが、僕は断った。火津路警察署は火津路駅の近くだったから、歩いて帰れない距離じゃない。とにかく警察ってやつに一分一秒でも長く関わってるのがご免だったのさ。あいつら、揃いも揃ってデク野郎の分際で偉そうじゃないかい? 今回接した連中は取り調べにあたった禿茶瓶を除けば物腰だけは丁寧だったけど、あたかも自分には何か強い特権があるんだと云わんばかりの雰囲気がプンプンにおっていたよ。大体、あのださい制服を得意気に着ていられる神経からして理解できないんだよな。僕だって火津路高校のださい制服を着せられてるけどさ、ちゃんと毎回これは恥だって感じてるぜ。胸を張るなんて以てのほかだ。

〈愛の巣〉に寄ろうとはまったく思わなかった。百合莉の相手をする気力はこれっぽっちも残ってなかった。別れ際の、あの痛切な表情を思い出すと尚更ね。近頃の僕は百合莉に会って疲れさせられることならあっても、癒されることは全然なかったんだから。それにもう夕方だったし、睡眠不足が祟って頭も痛かったんだな。頭ん中で太鼓を叩かれてるみたいだった。

 ただし途中で夕飯の食材を買いに、スーパーマーケットには寄らなきゃならなかった。自分の律儀さに泣けてくる。父親から渡されてる……百パーセントが食費であってお小遣いなんてはゼロの、雀の涙ほどの金で上手くやり繰りするんだ。それはともかく、ふと思い出して僕は此処で新聞を立ち読みした。海老川さんが今朝〈愛の巣〉にやって来たとき、連続脳姦殺人に三人目の被害者が出たとか云ってただろう?

 確かめてみるとその通り……でもそれだけだった。ちょっと気になる点と云えば、現場が公衆トイレじゃなくてラブホテルだったってことかな。火津路町内の公衆トイレは警戒が高まっていた……警察からのって意味でも、民間人からのって意味でもね……だから変更したんだろう。犯人が援助交際を装って標的を誘い込んでいるのは警察も既に承知してることだし、こだわる必要はなかったというわけだ。他の手口はまったく同じで、間違いなく同一犯とのこと――書かれてはないけれど、残されていた精液が前回被害者のものと一致したんだろうね。利用されたラブホテルはボロボロの安っちぃところで、防犯カメラは設置されておらず、他も犯人に繋がる痕跡はなかった云々。

 ああ、どうしたもんかな。僕は脳姦殺人の犯人には興味がある。一目だけ見ることができた、あの垢抜けない女子……海老川さんから非公開の情報を入手して彼女に迫ろうとしていた僕だが、この方法の期待値はかなり疑わしくなっていた。今日の一件で海老川蝶子という人間にもだいぶ愛想が尽きたし……それに海老川さん自身、堪えてるみたいだったよ、今日のあの敗北が。

 そりゃあインパクトは絶大だったからな。赤ん坊が収まっているはずだった腹の中には、代わりに全然別の生首が収まっていた。海老川蝶子の間違いを嘲笑うかの如く。しかも強烈なのは、その生首が連続首切り殺人の二人目の被害者――その持ち去られた首だったということだ。まったくの意味不明。プライドの高そうな海老川さんだから、あのカウンターパンチに打ちのめされたってしょうがないだろう。

 しかしながら、実のところ、これは海老川さんが口にしていた別の推理……って云うか勘が、これも正鵠を射ていたってことでもあるんだけどな。うん、連続首切り殺人と連続密室姑殺人は、たしかに繋がっていた。あの生首が繋げた。

 でも一体、どんなふうに繋がってるんだ? 密室にしたって、その必要性も手口も依然として不明だ。海老川さんの推理は間違っていた。文也くんは寝室でちゃんと眠っているのが確認された。つまり、内側から部屋の錠を掛けた文也くんが、死体の腹の中じゃなくて別の、ベッドの下なり机の下なりに隠れていたという可能性も否定されたんだ。当たり前だけどね。赤ん坊を使うなんて……泣かれたらお仕舞だし、死体発見時に大人しく隠れていてくれるかも分からない……そんな不確実な方法に、殺人なんて大罪を犯す人間が安心して頼れるわけがないんだから。

 いやはや、混迷を極めるってのは、まさにこんな状況を云うんだろう。疲労と眠気と頭痛とに苛まれたこのときの僕には、紐解こうとする気は湧かなかった。探偵でもあるまいし。



 帰宅した僕はまずシャワーを浴びて、それから夕飯をつくろうとしたところで、家の玄関扉がガンガン叩かれた。インターホンはぶっ壊れてるんだ。脳味噌にきりでも揉み込まれてるみたいな頭痛に苦しめられつつも玄関まで行って扉を開けると、えらく痩せ細った妙齢の婦人が所在なさげに立っていた。化粧っ気のない顔には当惑が滲んでいる……自分から来ておいて、何を困ってるんだろうか。

「あっ……君が、蟹原刹くん……?」

「そうですけど」

「あっ……私、白樺百合莉の母です……」

 よっぽど自分に自信がないのか、それとも人見知りなのか、目玉を左右にキョロキョロと動かして落ち着かない。百合莉の母……たしかに顔立ちといい、薄幸そうな佇まいといい、どことなく似ていた。着古した安っぽいベージュのワンピースから、経済状況のほどが窺える。

「じ、実は百合莉が……もう五日間ほど帰ってないんです。家出しまして……百合莉は学校のことを私達に話したりしない子ですから、火津路高校の方に電話して、牛垣うしがき先生――」

 この牛垣ってのは僕らのクラスの担任で、国語教師のくせに〈役不足〉や〈確信犯〉を平気で誤用してる阿呆だ。

「――から、百合莉と仲の良い子達の電話番号を教えてもらって……その子達に電話して百合莉を知らないか訊いてみたんですけど……何人かから、蟹原刹くんが百合莉の、か、彼氏だって教えてもらって……もう一度、牛垣先生に電話して、蟹原さん宅の電話番号を訊いたんですけど、電話はないって……それで、住所の方を教えてもらって……来たんですけど……」

 あの阿呆、個人情報保護法に違反してないか? まぁ阿呆だからな、仕方ないか。

「はあ、ご苦労様です。電話を掛けた牛垣先生や生徒たちには、百合莉さんが家出して帰ってこないということは伝えたんですか?」

「えっ……いえ、あっ、百合莉のお友達の子達には簡単に説明しましたけど……牛垣先生には、あの、大事になると困りますから……」

 大事になると困る。つまり警察沙汰にするつもりはなく、内々に解決しようとしている。

「そうなんですね。あいにくと僕にも、心当たりはありません。百合莉さんと僕の交際はあまり密なものじゃなくて、住む町も違いますし、学校のない日には会わないんですよ。百合莉さんは携帯電話を持ってないでしょう。僕の家には固定電話さえないんで、夏休みに入ってからは連絡すら取ってません」

「あっ……そ、そうでしたか……」

 こうべを垂れる白樺夫人。

「でも大丈夫ですよ。誰かの家に泊まってるんでしょう。百合莉さんは人気者です。牛垣先生はあまり生徒を見てるタイプじゃありませんし、教えてもらった友人たちというのには洩れがあるはずですよ。そうじゃなくたって、誰かが百合莉さんをかくまってるなら、自分の家にいることを素直に教えてくれるとは思えなくないですか?」

「それは……はい、そうですね……」

「何の助けにもなれなくて、すみません。でも僕が云えるのはこの程度です。料理してるところなんで、この辺で」

「あっ……いえ、その、こちらこそ押し掛けてしまって、すみませんでした……」

 僕は扉を閉めた。適当なことをベラベラ喋って申し訳ない、とはまったく思わなかったな。僕は百合莉の味方なんだ。百合莉の母親はいかにも弱者でございって感じだったけれど、妻があんなだから、夫の方が好き勝手に振舞えるんだろう。その結果、百合莉が苦しめられている。あの母親だって、百合莉を心配してるってよりも、まるで自分のために〈私は確かに娘を探す努力をしました〉って証拠づくりをしてるかのようだったじゃないか。夫に命じられて仕方なくやってるんじゃないかね? いずれにせよ、協力してやる理由はなかった。

 それよりも。現状、警察沙汰にするつもりがないのなら、もう少し時間を稼げそうだな――そう思った。

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