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玖恩寺家のハイソな人々

 車を三十分ほど走らせて、火津路町のはずれに位置する新興住宅地に這入った。小奇麗で立派な家々が並ぶ……僕には無縁な場所で、卑屈すぎるかも知れないけど疎外感を覚えてしまったよ。喜久岡家の前を通り過ぎ、玖恩寺家ももうすぐだと海老川さんは云った。

「アポイントメントは取ってるんですか?」

「いいえ」

「じゃあ……突然押しかけて推理を披露するってわけですか?」

「そうよ」

 うーん、もう仕方ないけれど、これでは僕まで非常識な人間だと思われてしまう。そもそも門前払いを食らうんじゃないだろうか? 探偵だなんて、そこらのセールスマンなんかより、よっぽどいかがわしいからな。

「前々から疑問だったんですが、海老川さんは依頼を受けて動いてるんじゃないんですよね? それで事件を解決したって、誰からも報酬はもらえないのでは?」

「ええ、いまのやり方じゃ収益は望めないわ。それでいいのよ。私みたいな駆け出しは、まず名前を売らないとね。今度の火津路町は全国的に注目されてるから大チャンスよ」

 駆け出しなのか新進気鋭なのか、ものは云いようだねぇ。でも、ならば海老川さんはどうやって生計を立ててるんだろうか? 探偵としてあちこち飛び回ってるなら定職はおろかアルバイトもできないだろうし……まさかこの人こそ援助交際じゃないだろうな? それとも実家がぼんぼんなのか……。傲岸不遜の気があるから、これは後者かも知れない。

 車が路肩で停まった。いかにも上流階級って構えの邸宅、門には〈KUONJI〉の表札が出ていた。海老川さんが「ちょっと失礼」と云っておもむろに音楽のヴォリュームを上げたんで、僕は堪らず両耳を塞いだ。鼓膜が弾け飛ぶところだったよ。彼女は煙草に火を点けると目をつぶり、煙を三、四度、いっぱいに吸い込んだ。それから煙草を灰皿に押し付け、車のエンジンを止めた。

「行きましょう」

 引き締まった表情で、彼女は車を降りた。まぁ自分で気持ちを整えるのは利口なことだろう。

 僕は一歩ひいたくらいの位置で海老川さんについて行った――最後までこうするつもりだ。彼女はインターホンを押そうとしたところで、その指を引っ込めた。視線を追ってみれば、庭のウッドデッキで女性がひとり、椅子に腰かけて本を読んでいた。パラソルの下とはいえ、この目もくらむような暑さの中でよくやるもんだと思ったね。しかも本人は涼しげな様子で、金持ちってのは頭がおかしいもんなのかと疑ってしまったよ。

「すみませーん」

 海老川さんが声を掛けると、向こうの女性もこちらに気付いて顔を上げた。若づくりな感じではあったが、おそらく三十は越してるだろうと分かった。

「もしかして貴女、玖恩寺眞由美さんですか?」

 海老川さんが敬語を使うのを何となく意外に思いつつも、僕は眞由美というのが誰だったか思い出そうとする……たしか夫が出張中だとかで帰ってきてる、主人・哲典の妹だったか。

 女性は海老川さんみたく大声で会話するのが嫌なのか、ウッドデッキを下りてこちらに歩み寄ってきた。それから「はい、私は眞由美です」と微笑んだ。口調も緩くて、警戒心なんかは全然なかった。

「はじめまして。私は海老川蝶子、新進気鋭の女探偵です」

 その名乗り、誰にでも云うのか。しかも門越しに名刺まで渡して……見てる僕の方が恥ずかしくなっちまった。

「はぁ、探偵ですか。ご苦労様です」

「お訪ねしたのは他でもありません、単刀直入に述べますが、この家で殺人事件が起きようとしています」

 本当に単刀直入だった。僕は控えめに云っても驚愕したが、でも眞由美さんの方は相変わらず「それは大変ですね」なんて呑気な返答だった。大丈夫か、この人。

「あ、そういえば……義妹が親しくしてる人の家でも殺人があったって聞きました」

「ええ、それが次はこの家で展開されるのです。中に入れていただけますか? 私は皆さんにお話しなければいけません」

「ちょっと待っててくださいね。私もお客なので、訊いてみないことには何とも」

 眞由美さんはゆるりと家の中に引っ込んで行った。

「いけそうね」

 振り向いてニヤリとした海老川さんは、しかし何かに気付いたらしく、慌てた仕草で玄関を一瞥すると車の方へ小走りで戻って行って鍵を開けて何かを探して、それから戻ってきたその手には櫛が握られていた。そして断りもなしに僕の髪を整えに掛かった。ああ、寝癖を直す暇もなく連れ出されてきたからな……。やめてくれと思いながらもされるがままになっていると、そこで玄関扉が開いた。

「探偵? 話せることは何もないと思いますが?」

 玖恩寺澄風だろう。彼女は手にした名刺と海老川さんとを交互に見ながら、棘のある態度だった。まだ若くてそこそこの美貌だったが、しかしいささか離れ目で、短気そうに見えたな。家事の最中だったのか、花柄のエプロンを掛けていた。

「お聞きになりませんでしたか?」

 怯まずに訊ねる海老川さん。

「この家で殺人事件が計画されています。私はそれを防ぎに来ました、新進気鋭の女探偵――海老川蝶子です」

 澄風さんは呆気に取られたような表情で、背後の眞由美さんを振り返った。眞由美さんは「そうみたいなの」と微笑したんだけれど、この状況を楽しんでいるらしいことが見て取れた。なるほど、無害そうに振舞っておきながら、腹の中は真っ黒というタイプらしい。

「悪いですけど、お引き取り願います」

 澄風さんの視線に混じる不快の色が、さらに濃くなった。

「そうはいきませんね」

 海老川さんも毅然とした態度を崩さない。

「無論、許可なくしてお上がりすることは私にもできません。その場合は警察を呼びますが――」

「何云ってるの、貴女」

「警察を呼びますが、それでは手遅れになるかも知れないのです。一分一秒も惜しい。人命がかかっています。正直に申し上げれば、殺されるのは玖恩寺富恵さん。彼女に会わせていただけますか?」

「ふざけないで頂戴。こちらこそ警察を呼びます、貴女が今すぐ立ち去らないと――」

「あ。澄風ちゃん、」

 眞由美さんが口を挟んだ。「……何ですか?」と鬱陶しげに振り向く澄風さん。

「母さんだけど、まだ起きてきてないのよ」

「それがどうしたんですか? あの人はいつも遅いでしょ」

「でも、もうお昼よ。スープ温め直さないとね」

 そのやり取りを、海老川さんが聞き逃すはずがなかった。

「大変です!」

 いきなり門から身を乗り出して叫んだもんだから、全員がびっくりさせられたよ。

「もう手遅れになっているかも知れません。すぐに確認してください。きっと富恵さんひとりで使っている部屋があるのでしょう? 錠が掛かっていて、呼んでも反応がなかった場合――おそらくアウトです」

 澄風さんは何か反駁はんばくしかけたけれど、海老川さんは「人命がかかっているのです!」ともう一度強調した。

「もし富恵さんが何ともなかったなら、謝罪の後、謹んで引き取ります。お願いします」

 頭を下げる海老川さん。さしもの澄風さんもこの真剣さには気圧けおされたらしくて、渋々といった感じで眞由美さんに頼んだ。

「見て来てくれます? 分かってるとは思いますけど、ちゃんとノックして、眠ってたなら起こさないよう静かに扉を閉めてくださいね。機嫌を損ねたら、小言を食らうのは私なんですから……」

「はぁい」と眞由美さんは緊張感なく応えて、家の中に這入って行った。

 澄風さんは溜息を吐いて、またこちらを睨み据えた。

「何ともないに決まっています。いきなり押しかけてきて……一体、何の確証があってそんな変なことを?」

「それは私の危惧が当たっていたときにお話しましょう」

 再び溜息を吐く澄風さん。その視線が、僕に向けられた。

「……そっちの人は何なんですか」

「蟹原刹――私の弟子です」

 おいおい、勝手に名前まで教えるなよ……と思いながら僕はいちおうお辞儀したけれど、澄風さんはぷいっと視線を外してしまった。気持ちは分かるよ。

 玄関扉が開いた。しかし眞由美さんが戻ってきたんではなくて、現れたのは長身の男性だった。うん、玖恩寺哲典だ。澄風さんとはいささか歳の差があるものの、この人も若づくりで、並んだところであまり違和感はなかったな。引き締まった身体つき、小ざっぱりしたヘアスタイル、髭も清潔に剃られてて、まぁ普段はしっかりしていそうに見えるが、このときは気の抜けたスウェット姿で、さらに顔がほんのりと赤かった。

「ご主人もご在宅だったんですね」

「……主人は火曜が休日ですから」

 夫がほろ酔いで出てきたもんだから、澄風さんも少し決まり悪そうにした。

「なるほど、証人も容疑者も、ひとりでも多い方がいい……」

 この海老川さんの呟きは僕にしか聞こえないものだった。つまり、亭主の休日に合わせて犯行が行われるってことを云ってるんだな。喜久岡家の事件は土曜だったし。

「どうしたんだ?」

 哲典さんの問いかけに、澄風さんは「ああ貴方……」と妻の顔になった。

「この人達、探偵だって云うの」

「探偵?」

 物珍しそうに僕らを見る。

「喜久岡さん家の事件か? それなら私にひとつ証言させて欲しいな」

「貴方!」と澄風さんが止めようとした――それを海老川さんが見逃すはずもなかった。

「何ですか、その証言というのは」

 澄風さんは哲典さんに対して首を横に振っていたが、哲典さんの方は「いいじゃないか。しっかりしてそうな女性だ」と宥めるように笑い、こちらに向き直った。

「警察が訊き込みに来たときは私は家にいなかったから、まだ話せてないんですよ。もっとも、全然関係ないかも知れませんが……気になることがひとつあってね。私は早朝のウォーキングを日課としていまして、喜久岡さん家であんなことがあった日、不審な車を見たんですよ……分かりますかね、この通りをあっちに歩いて行くと公共のグラウンドがあるんです。朝の五時半過ぎだったかな、其処の駐車場に黒塗りのワンボックスカーが一台だけ停まってました。それが何だか怪しくてね、ほとんど毎朝同じくらいの時間にあそこを通るが、あんな車を見たのははじめてだったし。それに運転席の男が……こう云っては何だが、薄気味悪かったんですよ。酷くやつれた顔で、煙草をふかして――」

 そこで玄関扉が開き、今度は眞由美さんだった。皆が一斉にそちらを見る。眞由美さんは先程までとは違う怯えたような面持ちで、片手を胸の前でギュッと握っていた。

「変なにおいがするの、母さんの部屋の前。扉も錠が掛かってて……」

「遅かった!」

 また海老川さんが叫んだ――でもこれは、全員の注意を自分に集める術としてやってるんだな。最大の効果を発揮するため、次はいっそ囁くように告げた。

「惨劇は既に起きている。私を中に入れてください。でなければ、真相が逃げて行きます」

 ところで、僕は少なからず驚いていた。連続密室姑殺人だなんて海老川さんの妄想に決まってると思っていたからね。でもどうやら、的中していたみたいじゃないか。しかもこんなグッドタイミング……いや、間に合わなかったならグッドとは云えないかな。

「ど、どういうことなんだ?」

 事態が飲み込めず、誰にともなく訊ねる哲典さん。答えたのは海老川さんで、

「間違いなく、富恵さんは殺害されています。私を中に――」

「いい加減にして頂戴!」

 澄風さんだ。両目が吊り上がって、すこぶるヒステリック。だが海老川さんはそれにも動じず、どころか業を煮やしたかのように門扉を開いて中へ踏み込んだ。

「眞由美さん、案内してください」

「あっ、はい」

 この勝手な振る舞いに澄風さんは「ちょっと!」と声を荒げたけれど、哲典さんがそれを制した。彼も海老川さんの後ろについて行き、訊ねかける。

「母が殺されているとはどういうことです? どうして貴女は知ってるんですか?」

「推理です。真実を照らす、名探偵の推理です」

 一同が家の中にぞろぞろ這入って行くんで、僕も後から続いた。こうなると興味が湧いたし、外で待つのは暑くて敵わなかったからね。

 眞由美さんを先頭とし、海老川さん、哲典さん、澄風さんの順で廊下を奥へと進んで行く。僕は玄関にあった来客用のスリッパを履こうとしたために、やや遅れた。すると右手の両開きの扉が開いて、女の子が顔を覗かせた。

「お兄ちゃん、誰?」

 小学校高学年くらいかな、それにしては落ち着いた感じの三つ編みの女の子だった。眞由美さんの娘・未緒ちゃんだろう。手には本を持っていて……楳図かずお『神の左手悪魔の右手』……漫画本か。

 不本意だったが、正直に答えるしかない。

「あそこにいる人が探偵で、僕はその助手みたいなことをしてるんだ。お邪魔するね」

「探偵……馬鹿みたいだね」

 含み笑い。まぁ馬鹿みたいってのは正しいな。返す言葉もないや。

 澄風さんと僕の間に未緒ちゃんも加わって、僕らは一階の最奥にある玖恩寺富恵の私室――その扉の前までやって来た。眞由美さんの云う通り、異臭が漂っている。扉の下に隙間があって、そこから漏れてるんだ。脳姦殺人に居合わせた際に嗅いだのと同じにおい。異臭なんて云って濁さなくても、誰もがそれは死臭なんだと分かっていた。ざわめく一同……澄風さんなんか急に不安を表出させ、旦那さんの腕にしがみついた。

「内側から施錠されていますね。外に面する窓も同様でしょう、確認するだけ無駄手間です」

 海老川さんはドアノブをひねってもビクともしないことを皆に見せながら、冷静に述べる。いつの間にか、場の空気を支配していた。たしかに多少、見習うところのある手際だ。

「最もスムーズな方法は、ノブの周りを半円形にくり抜いてしまうことです。包丁や錐など、何か刃物を持ってきてもらえますか?」

 扉の錠は内側から開け閉めするのみで、外から鍵を差し込むような穴はないそれだった。扉の破壊……哲典さんがやむを得ないと云って、澄風さんに台所まで包丁を取りにやらせた。その間、海老川さんは皆を見回した後に「長男の木葉くんは今どこに?」と訊ねた。

「木葉は野球部の一日練習ですが……貴女はどうして、我々の家族構成まで知ってるんですか?」

「探偵ですから。その程度の情報収集は造作ぞうさもありません」

 悪びれもせず答えるんだもんなぁ。

 僕の隣には未緒ちゃんが立っていて、しかめっ面で僕を見上げてきた。

「生臭ぁい。私、このにおい嫌ぁい。お兄ちゃんは好きなの?」

「好きじゃないよ」

 好きなわけないだろ。

 澄風さんが出刃包丁を手に戻ってくると、海老川さんはそれを受け取った。ドアノブのちょっと上に刃の先端を押し当てた状態で、柄の尻を拳で思い切り叩く。何度目かで木製の扉を刃が貫通する。この作業が繰り返され……やがて、ドアノブの周りだけを残して、扉は内側へと開け放たれた。

「きゃあ!」

 澄風さんが悲鳴を上げた。続いて貧血を起こしたかのようによろめき、哲典さんが抱きかかえるみたいにしてそれを受け止めた。そうしつつも哲典さんの視線は室内へ釘付けとなっていて、口を半開きにしたまま表情が固まっていた。眞由美さんは「か、母さん……」と弱弱しく云ったきり、真っ青になって俯き、後ろの壁に凭れ掛かった。

「失礼します」

 海老川さんは躊躇わず室内に足を踏み入れた。その際、こっそりと僕に手招きした。僕は位置的に部屋の中を見られないでいたんだが、そろそろと人々の間を縫って海老川さんに続いた。

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