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清原勢三郎の追想  作者: さき太
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序章

 正蔵沙衣(まさくらしょうい)は訪ねてきた人物を見て、珍しい奴が来たなと呟いた。そこにいたのは田中隆生(たなかたかなり)。自分の元となった青木沙依(あおきさより)の友人で、自分とは同僚ということ以外大した接点がない人物だった。強いて言うならば、戦争で一度この国が滅びたとき、そこで沙依が死んだと思い込んだ沙衣がその事実を受け止めきれず、死んだのは自分で沙依の方が生きているのだと、自分を沙依と思い込むことで生きていたそんな頃、再会し、少しの間一緒に旅をした、それだけの仲だった。

 「ほら、出産祝いだ。」

 そう言って袋を渡されて、沙衣はそういうことかと思った。隆生は沙衣の夫である忠次(ただつぐ)と仲が良い。だから出産祝いをもってきてくれた、そういうことなのだ。

 「赤子の顔っていうのは不思議だな。父親に似てるかと思ったら、次見たときには母親に似てるように見えたり、ころころ変わる。」

 沙衣の抱える赤子にちょっかいを出しながらそう言って面白そうに笑う隆生を見て、沙衣はそうだなと呟いた。

 「また子供を持つと言うことに関して色々不安もあったが、こうやって生まれてみるとやはり嬉しいものだな。愛しい人との子供というのはやはりとても愛しいものだ。この子が生まれてきてくれて、わたしはとても幸せだ。」

 そう言って本当に幸せそうに目細め赤子を見つめる沙衣を見て、隆生は良かったなと声を掛けた。

 「忠次の奴、自分の子供は自分で取り上げるんだってあんなに意気込んでたってのに、お前あいつに取り上げさせなかったんだって?あいつも正蔵を名乗れるだけの知識も技術も持ってるっていうのに、どうして取り上げさせてやんなかったんだよ。」

 正蔵とは正蔵の当主が認めた優秀な医者に与えられる姓。血縁や婚族関係では決して名乗れない特別な姓だった。忠次は、夫婦になるのならやはり沙衣と同じ姓を名乗りたいのだと、勉強をし、医療部隊で実績を積み、正蔵を名乗れるだけの技術と知識を身につけた。だから確かに忠次なら自分の子供を取り上げることもできるのだが・・・。そう思って沙衣は苦笑した。

 「ちょっとな。あの人も初めての子供で気が高揚していたし。まぁ、あの人ならなんだかんだ言って上手くやるんだろうが、あの人のあの気迫にわたしの方がついていけなかったというか、なんというか。結局、生まれるまで外で待ってろって言ったのに立ち会ってたがな。」

 沙衣のその言葉を聞いて隆生は声を立てて笑った。

 「本当、子供ができたって知ったときのあいつの喜びようは半端じゃなかったからな。よほど嬉しかったんだろ。」

 そう言って隆生は赤子に目を向けて目を細めた。

 「なぁ沙衣。勢三郎(せいざぶろう)と一緒になったときも、あいつとの間に子供ができたときも幸せだったか?色々あったのは知ってるが、昔のことと向き合えるようになったなら。前に進む覚悟ができたなら、あいつとの思い出にも少し向き合ってやってくれないか?」

 そう言って手紙を差し出されて沙衣は疑問符を浮かべた。

 「勢三郎から預かったお前に宛てた手紙だ。中は見てない。俺に宛てた方の手紙に、もしあいつがお前と一緒にここに来れなかったら渡してくれって、お前がこれを読むときは傍にいてやって欲しいって書いてあった。」

 そう言われて、手紙を受け取り沙衣は少し胸が苦しくなった。清原(きよはら)勢三郎。かつて自分の夫だった人。自分が自分を沙依だと思い込んでいた頃に出会い、祝言を挙げ、子を成して。人間の普通の女のような、愛する人と家庭を持って子を育てそして成長した子を送り出す、そんな幸せを自分にくれた人。今の夫である忠次のように、好きだとか愛してるだとかそういう言葉を口にするような人ではなかったけれど、彼が忠次と同じように自分を愛してくれていたと信じている。そんな勢三郎からの手紙、いったいここには何が書いてあるのだろう。

 「あいつはただ者じゃなかったな。初めて会ったとき、俺はあいつから嫌なものを感じてあいつを信用できなかったんだ。でもお前等と別れる頃には、お前を、自分の仲間を任せて預けようって思えるくらいには信頼してた。あいつはどうやって調べたんだか、ここのことも、ここに居る俺にどうすれば連絡がとれるのかも知ってたんだな。和葉(かずは)が死んで、小太郎(こたろう)連れてここに戻ってきた後、情報司令部隊を通してあいつから手紙が届いて驚いた。」

 そう言って隆生は沙衣に、ずっと渡さなくて悪かったなと謝った。

 「正直、昔のこと過ぎて忘れてたんだ。お前が戻ってきたのは俺がこれ受け取ってから数百年も経った後だったし。小太郎が死んだとき、和葉と出会ったときの事とかあの頃のことを色々想い出して、それでこれのことも思い出した。でもその時は、お前は過去のことと向き合うの避けてたし、忠次と一緒になってたしな。今更これ渡して夫婦仲に水を差すようなことになってもな、なんて考えて渡せなかった。でも今のお前等なら大丈夫かと思ってさ。」

 隆生はいつも腕に嵌めている数珠を手で弄びそれを愛おしそうに眺めながらそう言った。

 「それはあいつがお前に宛てた物だ。読むも読まないもお前が決めることだろ。俺が勝手にどうこうしていいもんじゃないって、ようやくな。ようやく俺もそう思えるようになった。俺がこれをお前に渡さないっていうのは、あいつの想いを踏みにじることになるんだってな。」

 そう言って隆生は沙衣を真っ直ぐ見つめた。

 「忠次と一緒に読めよ。勢三郎は俺しかお前の知り合いを知らないから俺に託したけど、今お前に寄り添うのはあいつの役目だろ。まぁ、お前が読まないっつうならそれでもいいけど。それをどうするかはお前に任せる。」

 そう言われて沙衣は手に持った手紙に視線を落とした。

 じゃあなと言って去って行く隆生の後ろ姿を見送って、沙衣は遠い昔に想いを馳せた。

 独り生き残ってしまったと思っていたあの頃。誰とも関わりたくないと、そのままずっと独りでいて、そしてそのままいつの日か静かに生を終えようと思っていたあの頃。拒む自分をよそに交流を重ね、独りの世界から連れ出してくれたあの人。そして自分にかけがえのない幸せな時をくれたあの人。あの時、彼の元へ行ったことを後悔した時もあった。自分がその幸せを手に入れようとしなければと後悔した時もあった。でも今は、あの時彼の元に行って良かったのだと思える。そんなことを考えて、沙衣は今の夫の姿を思い浮かべながらかつての夫を偲んた。

 勢三郎。わたしは今とても幸せだ。あなたが連れ出してくれたわたしの世界は光に溢れている。あなたはわたしの事実を知らず傍に居てくれたが、例えあなたが愛していたのが偽りのわたしだったのだとしても、あなたがわたしを想ってくれたこと、そしてあなたと添えてわたしは幸せだった。忠次と出会って、彼に諭されてわたしは解ったのだ。わたしは沙依の身代わり人形なんかではなくわたしなのだと。あなたに恋し、あなたを愛したのは紛れもなくわたし自身なのだと。愛していた。本当に、あなたといられてわたしは幸せだった。

 そんなことを想いながら、沙衣は手紙をそっと胸に抱いた。


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