ある奴隷少女の回顧録
【輪廻転生】
そんな言葉は学のないオレでも知っているものだった。
オレは前世も来世も信じちゃいなかったから、輪廻転生なんてのも鼻で笑うタイプだ。
何で信じちゃいなかったかって過去形なのか。
それはどうやらオレ自身が転生をしたらしいからだ。
正直なトコ、今でも信じ難い。
しかも、16にしていきなり前世の記憶、らしきものが蘇ってもみろ。
今まで生きてきた記憶と、前世の記憶で頭ン中はぐっちゃんぐっちゃんだ。
肩口まである栗色の髪、日本人とは違う、薄い虹彩。しかも、女。
これがどうやら今のオレの姿。
前世はひねたクソガキだ。何を言われても喧嘩を繰り返す、どうしようもないクソガキ。
死んだ理由は──まぁ話す必要もないくらい、どうしようもない理由だわな。
で、何が問題かって女に産まれた事だけじゃなくてよ。
今まさに、奴隷として市場に行く最中って事だ。
馬車なんて初めて乗ったが、こんなん乗るもんじゃねェ。
ガッタンゴットン揺れるせいでケツが痛くて仕方がない。
更に周りに居るのはシケた面した同い年くらいのガキども。
辛気臭くていけねェ。
だが、まぁ気持ちも分かる。これから奴隷として売られるんだ。
無邪気に喜んでいたら逆に怖いわな。
脱走が頭を過るが……女として16まで生きてきた記憶から不可能である事を悟る。
市場に着くと馬車から引き摺り降ろされて歩かされた。
中には酷く衰弱しているヤツがいて、足を縺れさせて転けると、監視役が鞭を振り上げた。
無体な仕打ちをしやがる。そいつが衰弱してんのはお前らのせいだろうが。
奴隷にだって扱いの取り決めくらいあるが、形骸化してる。
気に入らねェ。
だから、鞭男を蹴っ飛ばしてやった。
喧嘩で鍛えたヤクザキックだが、体重が軽すぎて効き目はいまいちだ。
「てめぇ、この野郎!」
よく分かったな……今は女だが。
監視役が激昂してオレに対して鞭を振るおうとするが、雇い主である商人に止められた。
女は傷がない方が高く売れっからな。
オレにしてみりゃ、どちらにせよ傷が付くのは早いか遅いかの違いだ。
鞭に打たれたいわけじゃないが、どうでも良かった。
転んだ奴隷のガキはのろのろと身体を起こすと、ふらふらと歩き始めた。
オレの買い主はあっという間に決まった。
買ったヤツはどっかのお貴族様だ。
結構な高値が付いたようで、奴隷商人はホクホク顔である。
当のお貴族様は、身体の弱そうな優男。
まぁ前世のオレと比べてであって、今のオレが殴ってもあまりダメージはないだろうが。
「何処か、痛いところはある?」
「特にねェよ」
この口調、前世の記憶がない時からこのままだ。
三つ子の魂百までとは言うが、生まれ変わっても根っこの性格ってェのは変わらないのかもな。
しかし、奴隷の態度がこのザマだってのにお貴族様もお付きの執事も、特に気にした様子がない。
なんか気持ちわりィな。
「そうかい、なら良かった」
「……オレが言うのも何だが、アンタ変わってんな?」
「ふふ、君ほどではないよ」
「あァ?」
多分、オマエよりは変わってねェよ。
ちょっと前世の記憶があるくらいだ。
ところで、このお貴族様と少し話していて気が付いたんだが、コイツ、目ェ閉じてないか。
いくら見つめてみても分からん。とんでもなく細目なだけだろうか。
「どうかした?」
オレの様子に疑問を感じたのだろうか。
なら、目は見えてんのか。
「いいや、なんでもねェよ」
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お貴族様の屋敷に着くと、すぐに湯浴みをさせられた。
客の前に出される時に多少身綺麗にさせられるが、あくまで多少だ。
お貴族様の屋敷にゃ相応しくなかったんだろう。
メイドに付き添われて、風呂で身体を隅から隅まで磨かれた。
健全な男子高生だった人間からすりゃ気恥ずかしいが、大体同じだけ女として生きているから妙な心持ちだ。
風呂だって気持ち良いもんは気持ち良いが、シャワーだけで済ませてたオレからすると、お貴族様の風呂は面倒で仕方ねェ。
しかし、これからが憂鬱だ。
なんたって、お貴族様からしたらオレは少しばかり見目の良いだけの女奴隷だ。
その目的は……敢えて言う必要もないだろ。
「何か違和感などは御座いますか?」
「いや、別に」
言ってしまえば違和感しかねェんだが。
着させられたのはヒラヒラの付いたランジェリーに薄手のキャミソール。
田舎の寒村なんぞにこんな肌触りの良い肌着なんぞなかったし、前世を考えると、なァ。
メイドの態度だって親切そのもの。
小汚い田舎の奴隷なんて蔑みの目で見られてもおかしくない。
何っから何まで違和感だらけだ。
「では、ご主人様の元までご案内します」
「あァ」
長身のメイドに連れられて屋敷の中を歩く。
前世のオレと同じくらい──百七十くらいありそうだ。
今は百五十を超えた程度だから、元はこんなデカかったのか、とどうでも良い事を考える。
そうして程なく、ご主人様とやらの居る部屋に着いた。
「では、私はここで」
「あァ、ありがとうよ」
長身のメイドは嫌な顔一つせず、ペコリと一礼して下がった。
お貴族様の私室はなかなかに広い。
この一部屋がちょっとした民家一軒分くらいありそうだ。
当のお貴族様は椅子に腰掛けてお茶を嗜んでいた。
「おかえり。湯浴みはどうだった?」
「至れり尽くせりで悪くねェな」
「そう、それなら何より」
そう言うと穏やかに微笑むお貴族様。
何だろうな、態々聞くのも地雷を踏むようなもんか?
……ま、いいか。深く考えんのも面倒くせェ。
「オレが言うのも何だが、奴隷がコレでいいのか?」
「うん?これ、と言うのは?」
「そりゃオマエ、態度やら口調やら色々だな」
直さねェオレもオレだが、何も言わねェコイツもコイツだ。
お貴族様は黙ったまま立ち上がると手ずから紅茶を淹れて、オレに差し出した。
「立ち話も何だし、ここに座って紅茶でも飲みなよ」
奴隷のオレに拒否権はない。
大貴族のコイツなら例えオレを殺したって揉み消せるだろうが……そんな事はしない気がするな。
ただの勘だが。
オレは勧められるまま椅子に座り、紅茶で唇を湿らせた。
……こんな美味い紅茶初めて飲んだな。
「質問に答える前にね、私はアレスと言う。君の名前は?」
「……マリン」
「マリン、良い名前だね」
「そいつはどうも」
ううむ、調子が狂うな。
「マリン、今の態度は君の素だろう?」
「ま、そうだ。田舎育ちなモンでな」
「うん、だからだよ」
「あァ?いや、けど奴隷だぞ?」
普通なら何十発鞭で打たれていても可笑しくはない。
「奴隷、ね」
アレスは立ち上がり、手でオレの首輪に触れた。
そう。ソレが奴隷の証。
これがある限りオレはコイツの奴隷で有り続ける。
「【奴隷契約解除】
……これで問題もなくなっただろう」
「え、あ?なにやってんだ!?」
首に巻かれていた首輪がポロリと落ちた。
大枚を叩いて手に入れた奴隷を、あっさりと解放しやがった。
「何って、奴隷から解放しただけだよ」
「いや、オマエ、オレが逃げ出しても文句は言えねェぞ?」
主人の居ない奴隷は落し物と同じ扱いだ。
見つかれば憲兵へ届け出る義務があり、所有者の元へ戻される。
見付けたヤツが届け出ない場合は……まァそれはそれで碌な目に遭わねェだろう。
それで、奴隷から解放された人間には、一般的な市民権が認められる。
生活力があるかどうかはさて置き、今オレは一人で街に出ても問題ない事になる。
「君は逃げ出さないよ」
「は、体力には自信があるんだぞ」
「体力とかじゃなくて、逃げ出す気がないだろう」
「……なんだと?」
「マリンは、そんな不義理な真似が出来る人間じゃないよ」
何を根拠に言ってんだ。まだ会ってから数時間だぞ。
オレだってアレスに対して少し妙な信頼感が芽生えてはいるが、それだけだ。
いくらなんでも奴隷から解放して逃げ出さない、なんて宣言出来る程の関係じゃ断じてねェ。
「私の一族は、目が見えない代わりに、人の魂が見えるんだ」
「はァ……?」
「その人となり、根本、そう言ったものだよ。
私はね、マリンを初めて見た時に一目惚れをしたのだよ」
「え、と」
面と向かってそんな事を言われても困るんだが。
「ふふ、初めて見たのは君が監視役の男を
蹴飛ばしているところだったらしいのだけれどもね」
「あン時か。いや、それにしたって買い被り過ぎだ」
前世は喧嘩ばかりする破落戸。
今だって粗野な田舎娘だろうが。
「真正直で曲がった事は許せないのに素直じゃなく。
その割に人と関わる事には臆病者で寂しがり屋だね」
「誰がだ、誰が」
「君が、とても複雑で、人間的で、凄く魅力的だよ」
「あぅ、いや……」
なんだよ。今まで生きてきて、そんなん言われた事なかったぞ。
おいィ?頬に手を添えるな、馬鹿野郎。
くっそ、身体が言う事を聞かねェ。どうなってやがる。
「オ、オレには前世の記憶があるんだ!」
「……?」
アレスの動きが止まった。よし、ちょっと隙が出来たぞ。
今のうちに畳み掛けるしかねェ。
「しかも男だったンだよ!」
「ふむ、それで?」
「え?いや、それで、ッて……え?」
前言撤回したり、そう言うの、あるだろうが。
「貴女が何であれ、私がマリンを好きな事に変わりはありません」
「……ンな馬鹿な」
アレスはオレの顔に両手を添えて、正面から見据えた。
つか、目が見えてねェとかホラじゃねェのか。
「私と一生を、添い遂げて欲しい」
ぐぬぬ。
ぐぬぬぬぬぬ。
「……ま、前向きに検討、します」
視線を逸らしてそう言うのが、オレには精一杯だった。
---
誰かに呼ばれる声が聞こえて、日記帳をパタリと閉じた。
呼び声は、とても馴染みの深い声だ。
「ママぁ〜、どこぉ〜?」
ソイツはオレの姿を認めると、満面の笑みを浮かべて飛び付いて来た。
「どうしたの?パパと一緒に遊んでたんでしょう?」
「ママとも一緒に遊びたい!」
「あら、そう」
頭を撫でてやると、気持ち良さそうに頭を擦り付けて来た。
くっそ可愛いなコイツは。
「マリン」
「アレス」
「パパ!ママいた!」
あァ、まァ──つまりそう言うこった。
「ほらぁ、ママ早く早く!」
「あ、こら、そんなに慌てないの」
パタパタと走って来たかと思うと、踵を返してまたパタパタと走り去っていく。
どうしてあの小せェ身体でずっと走り続けて疲れないのかね。
全く、子供ってのは元気の塊みたいなモンだ。
「しょうがねェな。あの落ち着きのなさは誰に似たんだか」
「元気の良さは、マリン譲りだと思うけれども」
「……うるせェよ」
「それにしても、その喋り方、無理しているでしょう?
何で私と二人きりだとそうなってしまうんだろうね」
「な、なンだよ、別にいいだろ」
アレスは俺の顔を見据えてニンマリと笑った。
「ええ、そんな貴女も、とても愛らしいので」
「──ッ!もう、ばか」
甘い物が欲しくなる時があるんです。
仕方がないね!