第62話 見当違い side:ルナ
突如開いた大穴……開けたのは僕だけど、そこはとぼけている。その調査中、怪しい二人組が現れた。そして、その片方――老人が刀を抜く。
「貴様がルナか。【翡翠の夜明け団】の大幹部。世を混乱に貶める悪魔――人界を塵へと返す魔王」
憎しみの視線が向けられた。
ルナにとっては慣れたもの。なぜなら、魔物に殺された人間を親類に持つ者で、【夜明け団】に憎しみを向ける者は少なくない。
魔物というのは、人類にとって天敵であり恐怖だ。けれど登山して死んだ者の親類は自然そのものよりも警備体制や救護に対して恨みをぶつけるようになる傾向がある。……自然や魔物といったあやふやな物より、同じ人間なら憎しみを向けやすいんだ。ゆえ、恨みやすそうで手頃な人間に憎しみが集中する結果になる。
……この場合は、いまだ本性を隠し人間とふるまっている者、僕に。
「酷いな。僕は人類の生存可能性を底上げしているだけだってのに。ま、確かにこの稼業をやっていると風評被害はよく聞くけどね。君の言うことも、実はよく言われる言葉だったりする」
それを知って、ルナは憎々し気な笑みを浮かべてみせる。もちろん、わざとである。ルナは――”あの時”を除き、自分からはあまり手を出さない。
手を上げてきた人間をばっさり、というものを好む。無抵抗主義ではないが、殺人に快楽を感じるほど堕ちていない。
「当然だ」
刃を向けられる。飽きるほどに見てきた光景だが、違いが一つ。剣先がぶれていない。積み重ねた武を連想させる凄絶な気迫だ。銃をやっとのことで担ぐ凡百とは雲泥の差である。
逆恨みの馬鹿とは一線を画す実力者だ。
「と、その前に――護衛さんたち、そっちを確保しておいて」
老人の他にもう一人いる若者を指さす。道案内役だったのだろう。あっけにとられて固まっている。これを見る限り、何も関わりはなさそうではあるが……
「は!」
と、護衛の4人ほどが銃を向ける。
「おいおい――ちょっと待ってくれ。俺はそこの爺さんに脅されてただけなんだよ。あんたたちに敵対するつもりなんてこれっぽっちもないんだって。……アイタッ」
銃で小突かれ連れてかれる。4人の重武装した男たちに手も足も出せないらしい。つまりは、そこの爺さんよりも弱い。
「問答は無用。礼士街というのを知っているな?」
「いやあ。知らないね」
こくり、と首を傾ける。聞いたことはない。
人間の記憶力とは違い、キーワードがあればいくらでも”記録”から引き出せる僕の記憶に引っかからない、ということは団の意志としてそこに関わったことはないことを示す。
「やはりな。犠牲にした者にわずかな敬意も持たぬ悪魔。だから、貴様たちは――」
しかし、相手にそんなことが分かるはずもない。ごまかしているだけ、頭に血が上った老人にはそうとしか取れない。瞬歩を使い、一息でルナの前に現れる。
「記憶力には自信があるんだけどねえ。リストにも書いてなかったし――」
振り下ろされた刃を、刀で受け止める。リスト、それは大きな街をつづったもの。さすがに大小様々ある都市の中で大幹部たるルナが把握する街は有名、もしくは有用な場所に限られる。
「……殺す」
地の底から響いてくるような怨念の声。
彼はつばぜり合い――と見せかけて、高度な駆け引きを実行する。ステータス上では僕が有利のはずが、互角にやりあっている。力を抜こうとしても入れようとしても対応される。
「身に覚えはないわけだけど。まあ、仇討というなら付き合ってあげよう」
下がる。そして、ば、と服を脱ぐ。その下には白い着物。――手品の類、早着替えだよ。アーティファクトの鎧があっては、文字通りに刃が立たないから。
傷も入らないのであれば、相手も命のかけがいがないというものだろう。
「さあ、これで同じ舞台に立った。殺陣を始めようか!」
こちらも瞬歩を使う。先ほど老人が使ったもの以上の速度だ。そして精度すらもこちらが上。スペックでははるかに上なのだ、これくらいはできる。しかし。
「……この程度か、化け物。いくらスペックが高かろうとな!」
この老人はこともなげに斬撃を防いだ。……すばらしいね、スペック差をものともしない武が本当に存在することは知っていたが、その境地に達した武人であったか。
武とは弱者が強者に立ち向かう術である――おためごかしの類かと思ったが。
「こうまで手がバレバレでは意味がないな」
――このご老人、強い。
「……くっ」
疾風の8連撃が来た。巧みな変化、緩急をつけた斬撃にルナは防御に集中するしかない。スペックは上でも、手を読み切られれば不利になる。それでも――
「……っと。やはり、思った通りだったね。上手い、とんでもなく。その年齢になるまで武を磨き上げてきたのだろう? その技術には敬意を払おう」
ルナは一歩で10mは下がった。……ご老人は簡単には追いかけられない。
確かにルナがアーティファクトを脱いだことで老人の攻撃も通るようになった。まさか殺戮者でもないのだ、完全に作戦が決まった上で奇跡が起きたとして――それでも老人はルナにかすり傷一つ付けられない。
――アーティファクトの鎧とは、そういうものである。
だが、”それ”を脱いだことで老人にも勝利の可能性ができた。
しかし、それは――決して五分と五分を意味しない。ルナはもう一つ、刀のアーティファクトを持っている。まともに剣撃を合わせただけで、老人の持っているただの鋼でできた刀は折れるのだ。
「ずいぶんと、いびつな剣筋をしておいて――よく言う」
この短い攻防で何度も刀を合わせた。
なのに、刀が折れていないのは――ひとえに老人の築き上げた武によるものだ。飽き果てるほどの研鑽の末に得た至宝と言える。
こんな真似ができる人間など……いや、こんなものは人間にしか不可能だ。飽き果てることなく努力ができる存在、人間。
「ふふ。そう言わないでよ――確かに君の磨いてきた技術は素晴らしい。僕たちには真似できない。君に言わせれば、どこかでズルをするからね僕たちは。けれど、老人らしい傲慢だ。自分の価値観以外はすべて塵屑、だなんて……ただの方法論の違いなのにね」
ルナの方から飛び込む。これはもう性格だ。待てば千日手――これをやられると体力の劣る人間側には打つ手がない、つまりは勝つべくして勝てる。
逆にルナの方が攻撃を仕掛けるならばカウンターができる。……ルナが負ける可能性が出てくるが、ルナはそうした。
「下らん。基礎の基礎だけはしっかりとできているのは認めよう。だが、それ以外など……!」
神速の振り下ろし、老人の刀が蛇のようにからみつき軌道を捻じ曲げられる。刀が空を切る――なるほど、すさまじい。
流石に見て分かっても、手を動かすところまでは至らない。とはいえ。
「身体能力に頼り切りだ。もし武器さえも悪ければ、僕には打つ手もない……そう言いたいのかい? 武人として有利な条件の勝利に意味はない、とかいう思考は理解できるよ。この刀までは捨ててあげないけどねえ!」
ルナは老人の斬撃を”見て”避ける。
刀と刀が触れ合えば、そこから如何様にもされる。相手は達人だ。しかし、達人であろうと斬るには刀を振るう必要がある。
それだけの時間があれば、ルナだって回避できる。
「卑怯な手段でしか戦うことのできぬ小童が――いっちょ前な口を利くでない!」
「はは――無駄に重ねた年齢なんぞに、払う敬意などないね!」
もう一度、突っ込む。お見合いでは千日手だ、だがこうしてぶつかり合っても千日手の様相を呈してきた。
「小童がァ!」
「……な!?」
あわせた剣撃は寝かされた。ちょうど僕の刀は横っ腹で老人の刀と真正面から鍔ぜりあう。まるで魔法のような手際だった。
刃筋を立てた一撃を刀の横っ腹に喰らわせられた。これは折れる。……アーティファクトが相手でさえなかったのなら。これでも折れないのが、僕の使うアーティファクトだ。
「……っちィィ」
けれど、それを披露した老人は苦い顔。なにせ――
「あは。もしかして、自分に有利なものが一つでもあるとでも思ったのかな!? あきれ果てた高慢ちき!」
刀の横腹の強度は刃よりも数段落ちるのは事実。でもね、だからといってアーティファクトの最も脆いところが、ただの刀の一番強いところになど負けるはずがないのさ。
「ガキが――偉そうにィ!」
押し返そうとして、刀が抜けた。まるで魔法のような技術が、ぽんぽんとお出しされる。僕は刀のない状態で老人の斬撃を防がねばならない。
「く――あ!」
地面にべったりと伏せるように、返しの一撃を避けた。そして、そのまま体のばねを使って真横に跳ぶ。
「あは。すごいね――人間の身体というモノをよくわかってる。まさか、ここまでいいようにやられるとは思わなかった。力を積分し、己の身体を微分してシミュレーションするだけじゃ分からないこと。修練などはただの贅沢、やった気になれるだけの無駄だと思っていた。いやはや、机上だけじゃわからないこともあるものだ」
首を振る。振り返ればいいようにやられてばかりだ。けれど、僕の身体には傷一つない。けれどそれは身体能力と武器によるアドバンテージの恩恵でしかない。
だが――疲れ知らずの前にどれだけ粘れる? ご老人。有利なのは武器だけではなく、体力もだよ。
「訳の分からんことを。計算だけで世の中の何が分かるという。積み重ねた年月のみが、武に厚みを与える。貴様は強いが、薄っぺらいな。それで、人間に勝てると思うなよ――化け物」
「あは。連綿と受け継いできた武の歴史。そして、生涯を刀に捧げた想い……とても重いね。素晴らしい。芸術という言葉はこのためにあったのかと感動すら覚える。けれど、こんなものかよ! 月読流――【桜花八閃】」
8つの斬撃……を3つまで出すと、老人には下がられた。無駄に出す意味も無し、中断して一息つく。逃げなければ仕留められると分かって退いた、やはりすさまじい腕前だ。
「ぬ――やはり、面妖な」
かわした……が、ご老人は苦い顔。このままでは体力差で押し切られると理解したのだろう。
「君の剣は大体わかった。僕らは武人じゃない。僕が手塩にかけて育ててきたあの子たちは兵士で。そして、僕は科学者だ。現状をあるがままに観測し、解釈し手を加えて作り上げる。そこに君が積み重ねてきた経験なんてものは必要ない。君らが信仰する経験というのは、分析して智へと変換するための素材にすぎないんだよ」
笑う。……嗤う。夜明け団は武術と言うものにさほど注意を払ってこなかった。そんなものより、錬金の秘奥にこそ可能性を見た。そして、それは正しかった。
【災厄】をも殺す力は、武にはない。
「……なにを?」
「君らはよく普通普通と言うけれど、本当の基準というものを調査する苦労というモノが分かっていない。最適化のためには基準というモノを用意すれば十全で、それを作るのが肝要なのさ。というより――それを設定するのが仕事で、あとは余禄でしかない」
ルナは勝利を確信し、しゃべり続ける。まるで事件を解決した名探偵のように。
「大体が武というモノが曖昧過ぎる。武を極める? 筋力の衰え、骨の歪み、背丈の減少――人はその一生で、全く体の調子というのが安定しない。どころか、胃の調子や筋肉の乳酸蓄積による疲労、一秒とて変わらないものはない。基準なんてどこにある? そんな不安定なものから生まれたものが完全など片腹痛い」
「僕に言わせれば、それは素人の見当違いなのさ。確かに、パーツを組み合わせるにあたって、適当に買いあさったものを順番に取り付けていけば調子のよいときもあるだろう。けれど、僕の使う”武”は違う。シミュレーションによる最大効率を求めた機械の業。計算から生まれた究極にして窮極、そして完全なのだ」
「人外にしか扱えない〈異形の武〉――いくら一生を費やそうと、人間の武では届かない」
ニタリ、と笑って見せる。人間の武……確かに芸術だ。一生をかけて築き上げたそれに払う経緯は惜しまない。けれど、しょせんは芸術。――完全に効率化された闘争に”芸術”など必要ない。
「き……さ……まァァ!」
「そう喚くな。脳まで老衰してるのか? その武にとって君自身は不純物でしかない。引導をあげるよ、ご老人。手も足も出ても、それでもどうにもならない絶望を味わうがいい。月読流――【百花繚乱】」
連撃。息もつかせぬ機械の早業だ。感情など入る余地のない冷徹な剣。数えるのも馬鹿らしくなるほどの剣閃がメトロノームのリズムで反復する。
「ぬ……! お。おお……お――ぬぅ……っぐ!」
それでもさばくのは、人間業とすら呼べるようなものではない。この歳になるまでたゆまず積み続けてきた武――そして、幽鬼のごとき怨念に支えられた奇跡。だが、それも。
「はっは! 守るだけではね!」
キン、と硬い音が響いて――老人の刀が折れる。それはただの市販品なのだ。アーティファクトとは違う。いくら衝撃を吸収して刀を守ったところで、ゼロにはならない。何度も合わせていれば折れるさ。
「ぐ……!」
研鑽した武――それは、刀があってこそ。二つの刀を持てるほどの体力もない老人には、もはや打つ手などありえず……
「あは――そう言えば、武人には背中の傷は恥なんだっけ?」
ルナはわざわざ後ろまで回った。
「きさ……」
斬った。
「ガ――貴様らは、いつもそうやって……!」
倒れる。浅からぬ傷と、老人にとっては致命傷となりえる出血。
「すぐ手当をすれば助かるかもね。けれど――ここには手当なんかをしてくれる人はいない。逃げてみる? そいつは無理だよねえ」
「あ……ああ――」
「僕は助けない。【夜明け団】に君は必要ない。ああ、確かに僕が生徒に教えてきたことは、君ができることの一部を切り取って、さらにその簡単なことだけなんだろうね。けれど、僕らは君とは違う。僕らの相手はあくまで魔物。人間を相手にする君たちとは、武の質そのものが違うのさ」
あの出血ではもはや起き上がれまい。あとは死ぬだけ。
「だから、貴様らは人を救えんのだ。あの【光明】とか言う現実主義者どもも――」
震える足で立ち上がった。……あの傷で? 無意味なのに――よくやるものだ。
「ゆえ、皆殺すと誓った。あの悪夢を――夜明けを。赤い悪魔――【砕けた月】を!」
手には、黒い薬品。アンプル、腕に刺す。
「……『フェンリル』だと!?」
後ろで見ていたルートが一歩を踏み出しかける。
「下がれ、ルート。あれはフェンリルじゃない!」
目の前で、”それ”が老人の身体の中に吸い込まれていく。
「……これこそ『エインヘリアル』。許さんぞ。許すものか、貴様らだけは。憎しみの炎は途切れることなく燃え続けると知るがいい!」
ぼこぼこと体が変形していく。黒い魔力が発散される。
際限なく周囲を汚していく爛れた腐臭のする魔力が漏れる。それは確かに強力な力なのだろう。使う前と後、もはや”前”が束になってかかろうとも敵わないはずだ。
その化け物の力は、決して侮れるものではない。
「……くだらない」
けれど、ルナはそう吐き捨てる。
「ッジャアアアアア!」
もはや人間の域ではないノイズの混ざった掛け声。折れた刀を黒い魔力が再構成して――ルナを貫いた。
「……先生!」
ルートの悲鳴が響く。
「……で? まさか、倒させてもらえるなんて期待した? ……馬鹿が。研鑽には敬意を払うが、耄碌した老人などにくれてやる血などない」
魔力の刀はルナに触れた部分から消滅していた。服が変わっている。アーティファクトを着た、ただそれだけでもう――彼に打つ手はない。
「ッガアアアアアア!」
魔刀を生み出しては斬りつけた端から消えていく。……徒労。完全に上回った防御力の前に、攻撃は自傷行為にしかならない。
「払う敬意は欠片たりとも持ち合わせない。アリス、アルカナ。……潰せ」
ずっと居心地悪そうにしていた二人が、一瞬で老人だったモノを八つ裂きにする。
「くだらない。本当に、くだらない。君を見ていて、一つ仮説を作ってしまったよ。人間というモノは、救われようとなんて願ってない――とね。もちろん、救われたいとは思っているのだろうさ。けれど、責任どころか、力でさえ背負う気はない。ノブリス・オブリージュ……力あるものが背負うべき義務は、力がないからこそほざけるのだ。人間、お前たちは自力で己を救う気はないのか?」
ぐちゃぐちゃと再生していく。それがエインヘリアルなのだろう。永遠の戦奴隷――汚染を広げながら永久に戦い続ける。
「なぜなら君は生きるつもりだった。状況を考えれば誰でもわかる。活路は、差し違えることにしかない。武器が違うよ、生きて勝つつもりじゃ届かない。そして現実、届かなかった。どころか、最期は西洋の怪しいおクスリを持ち出して。何がしたかったの? 君たち人類のやることは全くもって意味が分からない」
背を向けて、思い当たることがあって振り返る。
「ああ、そうだ。【砕けた月】と言ったね。人類軍幹部、砕槻俊樹はうちの【爆炎の錬金術師】が殺したぞ。すでに仇は討たれている。安心して逝くといい――哀れな道化め。跡形もなく、消してしまえ」
再生する――なら、再生しなくなるまで消し飛ばせばいい。そして、それはアリスとアルカナにとっては簡単なことだった。
近くで見ていたルートが駆けよる。
「……先生、なんで第一世代相当の力しか出さなかったんですか――というのは、置いといて。なぜ、自分の身を危険に晒したんです? あれは、無意味でした」
ルナは答えず、何事もなかったかのように調査機器の方に行っていじり始める。遠慮して3歩ほど後ろにいたアリスとアルカナは一歩だけ距離を詰めていた。




