第57話 魔女の笑み
姫宮凛々須が夜のさびれた街角を歩く。うっすらと笑みを浮かべ、眼下を蔑む様に歩く彼女は確かに王女の風格を出していた。
――が、彼女に外を歩く権利などあろうはずがないのだ。
常駐する10名の監視者。施錠された5枚の鉄扉。封印処理された回廊。正しい手順で入らなければ襲い掛かるよう調教された犬たち。
その他幾重にも張り巡らされた防御策が彼女を檻の中に閉じ込める。犯罪者……そんなもので済ませるほど生易しくない。魔女の名に相応しい豪奢な牢獄に、彼女は閉じ込められている。
「――ふふ」
なのに、彼女は外に出て、歩いている。ありえないことだ。この国の誰もがそんな事態は許容しえない。このようなことをなくすために、王とそれが支配する民草はあらゆる努力を払ってきたのだから。
そして、彼女の笑みは待望する外の世界を見れているから、なんていうものではない。
そう、それほどまでに厳重に――最悪の死刑囚以上の拘束を受けていたが、そんなものは魔女にとっては踏む段階が増えた程度の意味しか持たない。いつでも自由に出入りできたから、外の世界を見ても感慨はない。
そんな当たり前にできることを実行したからと言って微笑むことはない。ゆえにこそ、魔女の笑みには恐ろしい企むが潜んでいる。
「ああ、かわいらしい。なんてかわいらしいのでしょう――あのルナちゃんは」
そんな、間違っても人間が口にするようなことではないことを言って笑みを深める。あのルナを子ども扱いして、挙句の果てにかわいらしいなど。
この街など地図から消せるだけの権力、そして能力を併せ持つ怪物を……かわいい? 冗談でも吐けるような言葉ではない。
「ふっふ。ふふ――」
身の安全、というのは生命にとって最も大切なことだ。これ以上に重要なことはない。それをおろそかにできるのは、壊れた人間だけだ。
もっとも、ルナが好むのはその壊れた人間なのであるが――割愛。
「……さて」
一転、魔女が笑みを消す。
目的地に着いたらしい。厳重に警戒され、もちろん施錠もされているはずだった扉をためらいもなく押し開けてしまう。……偶然、開いていた。
こんなミスが知られたら、担当者は頭を銃弾でぶち抜かれてしまうだろう。給料カットなどで済ませられる程度の問題ではない。
「ああ――やれやれです。また、このような馬鹿らしいことを」
ため息をついて見せる。銃を抱えた男たちがぎょっとして彼女を見る。どうしてこんなところに――というのが本音。
図ったようなタイミングでのことだった。安堵した瞬間で、誰が来てもぶっ殺してやるという気概がしぼんでいた。その間隙に滑り込んだことで彼女が場を支配した。
「なああっ!? ぬあ、ななな――は?」
20人ほどの男が配置されている。そして、機械的な何かの横に備え付けられた急造の階段の上にそいつは立っていた。
「興亜銅鐸。お父様の側近の一人。確か、担当は経済でしたか。もっとも、その本領は怪しげな魔法のようですが」
馬鹿にするように言う。
本当だったら、兵の銃が火を噴く。誇張なしで、侵入者はハチの巣にするつもりだったし、そうなるはずだった。
何年もかけた魔術儀式、黄金錬成の総仕上げ――この段に至っては、なにかあるとしたら敵対勢力しかありえない。
けれど、成功したのだ。魔術儀式は動いた。
完璧かどうかは兵たちにはあずかり知らぬことだが、ちゃんと動いて成果物も出てきた。”ああ、終わったのだ”と安心する。
その瞬間に魔女はつけこんだ。一瞬の気のゆるみ、そこにするりと入り込んでどうしようもない状況を作り上げた。
「ふふ。そう怖がらないでください。このような小娘を恐れるようなことなどないでしょう?」
そういう彼女の姿は、この国の人間から見たらおぞましい化け物でしかない。
均整の取れた体つき。シミ一つない白い肌。細く引き締まり、しかし大きな胸の異界の美。美人、という概念を人の心が分からない悪魔か何かが粘土をこねて作ったような美しさは社交界の憧憬の的のはずだった。
彼女と言葉を一言でもかわせば、この魔女がそんな可愛いものではないと知れるが。
「くすくす」
嗤う。誰もが恐れる彼女は、その実肉体的には普通以下の少女でしかない。それこそ子供でも殴り倒せるような弱弱しい肉体だ。ナイフでも持っていたら完璧だ。彼女が勝つはずがない。
「ま、それもいいでしょう」
銃を構えた。小さい――それこそ男たちが持っているそれに比べればおもちゃのようなもの。けれど、そんな玩具でも事実として人は殺せる。
「……まあ、理解はできます。迫りくる脅威の大きさに耐えきれなくなった。しかし夜明け団の知見を得ることなく作ったものでは、どこまで効果があるかも知れませんし――実際、どうなのかはこれからもわからないわけですが」
おもむろに銃を構える。
……人を殺す、ということは人間にとってはとてつもないストレスである。ルナならば、前世の世界での戦争下における発砲率のデータ、原因別の死傷者数から導き出された統計から知っている。
しかし、凛々須ならば――自覚どころか深層心理の奥、そしてそこに影響するものを知り、知り合いの知り合いでさえも操ることもできる彼女ならば、全てはその手の内に過ぎない。自らの心でさえも予測可能な要因の一つに過ぎない。
「……ひ」
しかし、狙われている興亜はそれを理解できない。魔女が何かしている――というだけ。そして、それだけで恐れるには十分だった。
「ああ……ひ……うわ……やめ……」
うろたえる。人間というモノは基本的に”逃げたがる”ものだ。この場合も――逃げ道が、ボスが射殺しろとでも言えば兵はそうする。
そのために長年の訓練を受けてきたのだ。多大なストレスであっても、人を殺す本能を克服するために大きな努力を払ってきた。
「あ……ひぃ。ひぃぃ……」
そう、彼は口にすればよかったのだ。撃て、と。
それだけ言えば過酷な訓練を受けた彼らが、か弱い少女を八つ裂きの穴だらけにしてくれた。だが、しかし――それは無理なのだ。
魔女が出てきた。その時点で、抵抗の目などなかったことを意味する。
「くす。無様、ですね」
この魔女が自身を危険にさらすことはない。彼女が脅威に思うのは偶然だけ。しかし、それもまた人を操ってどうにかできる。鉄を砕く歯も、刀を持ち上げるだけの腕力もない彼女が、敵しかいないこの世界で生きる術。
「永遠の命。それを得るための赤い水。その実は単なる魔石を蒸留、濃縮した魔力の塊。流動化した魔力――そんなものを飲んで無事に済むはずがなく、そして濃縮の効率とて決してよくはない。どれだけ魔力を溢しましたか?」
魔女が自然な動作で銃を構える。凶器を持つのに自然も何もないが、魔女は人間の考えることなどすべてお見通しだ。どう構えれば警戒されないか知っている。
「ああ、だから人間というのは嫌なのです。10年どころか、明日すらも見えていない。いえ、言い過ぎましたね」
構え方はいい意味で素人丸出しだ。足を肩幅に開き、両手でしっかりと銃を支え、あごを引いてしっかりと前を見つめる。呑み込みがいい初心者にベテランのインストラクターがつけばこうなるだろう、という姿勢だった。
もちろん、魔女にそんなものを教える人間がいるはずもない。彼女の居室でそれを口にすれば、それこそ盗聴で話が行き現行犯で処刑される。
「ああ――こんなにもはっきりと目に映ることなのに、あなたたちは己の目の前さえ見えていない」
撃った。興亜は倒れ、手に持った赤い水の入った容器は地に落ちて砕け、中身は広がり――蒸発していく。
「本当に不思議です。どうして、あなた方は”そう”なのに生きていけるのです? 愚か、愚鈍、あきれ果てるほどに愚昧。数が多いだけで、どうしてそうも――」
踵を返し、扉を閉める。見送る、しかない。屈強な兵士と言えど、己のみで魔女に立ち向かえるほど強くはないのだ。だからこそ、ここにいる。彼らは興亜の私兵として来たし、魔女は問題なしと足を運んだ。
「私は、こんなにも生きるために必死なのに」
ふふ、と笑う。本当に、心からの笑み。今までの人間を見下す笑みではない。幸せそうな。
「ああ、かわいいルナ。私のルナ。……私を守りなさい。あなたは、そうするしかない。自分の頭の中で、理屈をこねまわすだけのあなたには。ああ、かわいい。愛でてあげましょう。愚かでかわいい私のルナ――」




