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第56話 初めての恐怖 side:ルナ


 まだ続く。この、恐ろしい会談を打ち切りたくなってもルナは席を立てない。

 僕は、こんな”化け物”とは会ったことがなかった。今はもう――この女が怖くてたまらない。逃げ出したくてたまらないのに、根でも張ったかのように足が動かない。

 〈ルナ〉は強大な神だが、そこに宿ったのはただの名もなき男の魂だ。全てはルナの身体のスペックに過ぎず、精神性はまだ幼稚だ。大人物のように見せているのは能力と【翡翠の夜明け団】の後援、ただ本人だけを見れば笑ってしまうくらいの小物に過ぎない。


「あまり怖がらないでください。私は、あなたとは違って人の首を折るだけの力も、人を殺しても誰も何も言えないような恐ろしい権力も持っていません。そもそも銃を握ったことさえない少女の身です。このような小娘に……恐れることなど何一つとてないでしょう?」


 そう、怖い。僕はこの女に恐怖している。観察力によってあらゆるものから膨大な知を得て、それを智へと昇華させ痴呆的な量のデータを収集し続けている。解析能力と言えばそれまでだが、そこから生まれるものは全知の怪物だ。


 隣の騎士団長も、視線はお姫様を素通りしている。文字通りに”お姫様”を護衛する騎士だ、その人格には頓着しない。

 ――いや、できない。探るようにその男の眼を見てみれば、悲壮な光をたたえている。この状況、姫が僕の相手をするということすらも彼女の手の内に過ぎない。

 身命を賭し、姫の謀略を止める気か。無駄と分かってもなお捧げる忠義が、この男をこの場に留めている。自らの眼が黒いうちは、この姫様に何もさせないと気張っている。この男にとって”敵”とは姫君――否、この魔女のことだ。


 この国の人間が恐れていること、それは僕がお姫様をどうにかしてしまうことではない。この”僕を使って”行われる魔女の所業を恐れている。この女も、そしてこの国の民も僕なんかは道具としか見ていない。

 けれど、怒る気も起きないね。それほどまでにこの魔女は恐ろしい。美しく無力な、智謀の怪物……!


「そう言われることは多いのですよ。このような小娘によい年をした男たちが情けないなどと思ってしまいますね。私はあくまで――何の力もなく、美しさとてかの【月光姫】には劣る凡百の小娘ですよ。ただ、ちょっと偉い人の血を引いている、と言うだけで」


 恐怖の目を受けて、くすくすと愉快そうに笑う。そう、面白がっている。国に根を張り、町の一つや二つ等歯牙にもかけない秘密結社――その大幹部であるルナが怯えているのを見て、鈴のような声で笑う。


「触れたら折れそうな首の細さだね? まあ、僕としてはさっさと商談をまとめてくれるのなら何でもいいけど」


 横を向く。すねた子供じみた行いに見えたかもしれないが、もう限界だ。怖くて見れない。このまま首を斬ってやればいい、などとはとても思えない。

 それは可能ではあろうが、きっとものすごく怖いことが起こる予感がする。


「……おやおや。これは――音に聞く【翡翠の夜明け団】、その頂点に立つともうわさされるお方がこのような小娘に背中を見せると?」


 笑みがさらに深くなる。ここまで認識能力がかけ離れていたら、人間など別種の生き物としてしか映らないだろう。

 そして、強力で”危険”なルナが手も足も出せないのを見て楽しんでいる。檻の中から、自分には手を出せないだろうと猛獣を嘲っている。


「終わったから帰るだけだよ。何かな? まだ言いたいことがあるのかな」


 相変わらずルナの視線は横に向けたままだ。


「ふふ。ルナ・アーカイブス。ドラゴンさえ何食わぬ顔で葬り去る少女の形をした完全兵器。けれど、中身は――ただ人の温もりを求めて、けれど怖くて近づけない無垢な女の子。くふ。かわいい。かわいいですね、愛でてあげましょう。小さく、愛らしい臆病な心」


 そ、と手を伸ばしてきた。


「……ッ! 僕は、そんなこと思ってない。くだらない。温もりなど、あろうがなかろうが現実の前には何も関係がない。成果を積み上げ、目的を達することこそヒトの本懐。生きる道だろう」


 体が固まって、払いのけることもよけることもできずに頭を撫でられる。氷柱でも押し付けられているよう。まるで死神に首元を掴まれた気分だ。まるで生きている心地がしない。


「私には、そういう感情が分かりません。なぜ、仲間を必要とするのです? なぜ、一人で生きていくことができないのですか? なぜ、あなたはかよわく矮小な心で生きていけるのです? 生命の枠を飛び越えても、あなたはまるで安心できていない」

「……」


 ルナの表情が消える。それはまるで、顔を作ることを忘れた人形のように。


「人の求めるものは”安心”だと思っています。恐怖は人の思考を縛る。不安は思考を間違った方へ向かわせる。それだけではありませんよ。喜怒哀楽の全ては思考を狂わせる邪魔で余計なものでしかありません」

「……へえ。頭がよくなるとそんなことを言い出すんだね? 僕は勇気とかそういうものが大好きで、そんなものに意味なんて求めない。合理的に生きたいなら死んだらどうだい? 合理的に見るなら――生命活動など無駄にエントロピーを増やしているだけで、何の意義もないのさ」


「究極的には、あなたの言っていることが正しいのでしょうね。世界構造的よりも、人間の歴史を考えるなら――人類はどこにもたどりつけないことは証明されている。ええ、合理などではない。感情的に、”考える”それ自体が楽しいのですよ。だから、人を少しからかってみたりもします」

「からかう……ね。人外の遊びに巻き込まれるほど、碌なものはないね。もっとも、僕の趣味も碌でもないものだと自覚しているけど」


「ふふ。……必死ですね? あなたには世界のあるべき姿など見えていない。いえ、それは個々人で完結すべきものだとでも思っていますか。だから一見人の意見を受け入れたように見えて、その実は単に瑕疵を探しているだけの揚げ足取りです」


 そうだ、あの反論はただの強がりだった。当然、全ては見抜かれていた。ああ、なんて怖い。壊すことで解決できない問題が、こんなにも心を乱してくるとは。


「……ッ!」


 ぎり、と唇を噛む。心当たりがあった。きっと、ぐちゃぐちゃになって把握できない心さえも細分化して何を考えているかを読み取ってしまえるのだろう。この女は。


「くすくす。かわいいかわいい。世を恐怖のどん底に引き落とす破滅の魔王などと、一部からは差し違える対象にでもされているあなたが――まるで頭の足りない小娘のよう。ええ、女の子は少しくらい頭が悪い方がかわいらしく見えるというモノでしょう」

「――ずいぶんな言いようだ。僕は、これでも団の中で結構な存在感を持っている。君たちを人類にとって有害とみなし、地図から消すこともできるんだよ? ま、街の一つや二つまでならという制限はつくけれど」


 余裕の表情を作る。どう作ればいいのかを忘れて、以前にしたことのある表情をそのまま張り付けただけだけだ。


「ふふ」


 そして、この(化け物)はまるで子供の背伸びを見るようにほほえましげに笑う。


「……っぐ。この――」


 余裕の表情を能面のように貼り付けたまま刀に手をかける。あの騎士団長ごとき、もろともに一刀両断にできるのだ。できないなら、モンスタースキルを使って宮殿ごと潰すまで。


「ああ、あなたは異世界から来たのですよね。こんな風にからかわれたことはなかったのですか? まあ――男の子ですから、見栄を張りたい気持ちもわかりますが」


 手が止まった。”そんな馬鹿な”それくらいがルナが考えられたこと。あとは頭の中が真っ白になってしまった。


「……」


 分かるはずがない。そもそもがこの世界には異世界という概念自体が欠落している。魔物におびえて暮らす中で、それでも海の向こうには大陸があることは知っている。だが、宇宙の裏側には別の世界があるなどと――そんなことは想像することすら難しい。

 そもそも、ルナはそのことをアリスやアルカナにすら話していない。……示唆したことはあるが、しかしこの世界の人間にはさわりすら話していないため、この女に知る由はない。誰かが流したのはありえない。


 そして、前世――もはやルナの中では遠く、戻ることもない過去として位置付けたそこでは彼女が男であったことなど、推察すらできないはずだ。

 だいたい、ちょっと男っぽいしぐさや口調を見せたところで、ルナは元々奇人変人の類な上に幼女だ。確証できるほどのものなど何もない。


「帰りたいですか?」


 その言葉に戦慄した。先ほどの恐怖は、訳が分からないものに対する恐怖だ。しかし、これはルナの根源、存在そのものを揺るがす恐慌。ああ、”戻りたいわけがない”のだ。この力を捨て、アリスやアルカナと離れるなど――認められるわけがない。


「……特に、思い入れはない」


 機械のような調子で話す。もはや取り繕う余裕すらなくなった。このような恐怖――いや、ルナは本当の恐怖を味わったことがなかった。

 どうせ、この身体は分身なのだ。箱舟に帰れば安置されている(本当の自分)がある。どこまでも当事者でないのに、本当の感情など抱きようがない。


「実はこの地下には秘密の魔法陣が眠っています」

「――あ。え」


 けれど、これは当事者だ。本体の意識、それが元の世界に戻されるかもしれない。元の世界がどうとかまでは考えられない。もうここにはいられない、それだけが重要で、そして”ルナ”にはもはやそれがなければ生きていけない。


「もしかしたら、あなたをその世界に戻せるかもしれません」

「それ、は――」


 足元が崩壊していく感覚。背筋に氷柱を入れられて、臓腑を死神の手でわしづかみにされたような恐怖が忍び寄ってくる。それは脳がかき回されるような戦慄だ。叫びだしたくなるような恐慌に支配される。ルナは初めて”それ”を味わう。


「まあ、考えることもいろいろあるでしょう。どうぞ、色々とお考えなさってください。けれど、破壊されては元も子もありません。これからも、この街と姫宮凛々須をよろしくお願いしますね――私の、かわいいルナ」


 蛇のような笑みとともに会談は終わった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] この主人公ちゃんは情緒的に不安定なところがあるなぁとは思っていたけれど、まさかそこを徹底的に突いてくる天敵がいるなんて… 最強が掌で踊らされるというのは背徳感のようなものがあってとてもゾク…
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